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私信 #殺伐百合
身請け相手の名前を聞いたとき、私は激しい吐き気に襲われた。
それは相手が恐ろしい人物、たとえば祖父ほども年齢が離れているだとか、この世のものとも思えない顔貌をしているとかいうわけではない。
ほかでもない彼女だったからだ。
今、私は店を出たままの着飾った姿で、彼女の屋敷の応接間にいる。
「風の噂であなたのことを聞いたの。お父様の事業が失敗して、色街で働いているって」
あなたがそんな目にあって良いはずない、と正義感に瞳を潤ませる彼女は、女学校の人気者だった頃となんら変わりない。
私は唇を噛み締める。
「でも、もう安心してね。ここで一緒に暮らしましょう。ね、寮にいたときみたいに。夫も構わない、むしろ良いことだと言っているわ。うちの人、これからは女子教育だ、なんて言って新しく学校を作ろうとしているの。あなたは成績優等でしたから、助言してもらえたらと言っていたわ。そしてゆくゆくは教師も、なんて考えているみたいで。」
とても素晴らしい案だ。
心優しい彼女らしく、誰もが幸せになれる提案だ。
私以外は。
「あなたが来てくれて嬉しいわ」
何かが切れる音が頭の中でして、私は差し出された彼女の手を払い除けた。
私を見上げる瞳は、驚愕で見開かれ、「どうして」と無言で問いかけている。
限界だった。
何が助言だ、教師だ、安心だ。
はるか天上から差し伸べられる救いの手など、侮辱でしかない。
分かったことが一つだけある。この女はあの時から何も変わっていない。
「あなたに何が分かると言うの」
髪に刺さった簪が、私の荒い息遣いに併せてゆらゆらと揺れた。
✴︎
推敲して、タグをつけ、最後にもう一度読み直して投稿のボタンをクリックした。
私は別にプロを目指しているわけではない。趣味でちょっと小説を書いているだけの人間である。
小さい頃から空想は好きだったし、物語を考えるのは楽しい。
それならただ書いて保存すれば良いが、ネットに小説を上げるという行動は、見知らぬ誰かに宛てた手紙の入った瓶を海に投げ込む行為と似ていて、ロマン溢れる。
反応ももらえたら、やっぱり嬉しいし。
それに。
もう会うことはない彼女に届いているかもしれないから。
こんなネットの奥深くにある小説にあの人はたどり着かないだろう。そもそも物語というものを好むタイプではなかった。
それでも、こうして書いてアップし続ける限り、彼女が読んでいるという可能性は消えない。
たぶん、謝罪をしたいのだ。私を偽善者だと言い切った彼女に。
だからせめてもの罪滅ぼしに、書き続け、投稿し続けるのだ。
そうすることで、私の心は救われ続ける。
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