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第二章:トランスポーター / 運搬する人
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東京は神田の外れにある古ぼけた古書店『文永堂』の店内に、レジカウンターの前に丸椅子を持ち出してダラダラしている菊乃の姿が有った。この店は丁度『澁谷』と同じように、表通りから奥に入り込んだ位置関係にあり、その所在を知っている者は多くない。
彼女はカウンターにひれ伏すようなだらしのない格好でボンヤリとスマホを覗き込んでいる。かと言って、その行為に没頭している風でもなく、ただただ暇を持て余しているといった風情だ。
そのカウンターに就いて、山本周五郎を読みながら店番をしている拓海が、文庫本から顔を上げもせずに言う。
「そんな所で油売ってないで、家に帰ったら? ってか、商売の邪魔なんだけど」
菊乃も負けじと、スマホから目を離さず返す。
「こんな黴臭い古本屋、どうせ客なんて来ないくせに」
そのままの状態で、またしばらく時間が過ぎた。店内に掛けられた年代物の柱時計が、カチコチと大き過ぎる音で時を刻む。菊乃を無視して本を読み続けていた拓海が思い出したように本を閉じた。
「そうそう、今度の重右衛門さん。なかなか良い人選じゃないかって、箱崎先生が褒めてたよ」
「ふぅ~ん・・・」菊乃はまだスマホを弄り続けていて、気の無い返事だ。
「リクルーターとしての腕が上がってきたんじゃないかって」
「そりゃど~も」菊乃はやっとスマホを閉じる決心が付いたようだ。それをポケットに仕舞い込むと、丸椅子をカウンターにグィと近付けて、拓海を正面から見据えた。
「ねぇ。それより言葉が全然違うんだけど」
両目をパチクリさせながら拓海が聞き返す。
「言葉?」
「そう、言葉」
「何の話をしているのか、サッパリ判らないんだけど。女の人ってどうしてそうなのかな? 自分が頭の中で考えていることを、相手も考えているっていう前提で話を展開するのが、男にとってはすっごく迷惑なんだよなぁ」
「なんで判らないのよ! 言葉だって言ってるでしょ! 男子って鈍いんだから!」
自分の言葉足らずを棚に上げて、なんでもクソも無いもんである。拓海は本気で迷惑そうだ。女子同士ならこれでも会話が成り立つという現象を、奇跡と呼ばずして何と呼ぶ?
「私が知ってる昔の言葉ってさぁ・・・」
「あぁ、江戸言葉のことかな?」
拓海の質問には答えず、菊乃はカウンターに片肘を付いて不遜な態度をとり、片方の口角を上げた。何かが始まったらしい。
─ ふっふっふ。お主も悪よのう、越前屋。これで南蛮船の荷調べは、全て我が藩の思いのまま。後は良きに計らうのだぞ。
これこそ悪人面と言うに相応しい顔を拓海に向け、低くしわがれた声で台詞を吐くと、今度はカウンターに両手をついて、低頭しながらも嫌らしい上目遣いで見上げる。彼女のイメージする小賢しい越前屋がこれらしい。
─ そういうお代官様こそ。ウッシッシ。魚心あれば水心と言うではございませんか。荷抜け品はこの越前屋が全て処分いたします故、ご安心下さい。で、上がった金の四分は私共に、というお約束をお忘れなきようにお願いいたします。
再び悪代官に戻って不敵な笑いを漏らす菊乃。悪徳商人から悪代官への変わり身は鮮やかとしか言いようが無い。
─ くっくっく、承知しておる。心配には及ばぬから安心せい、越前屋。
と、その時、何かに驚いたように振り返り、彼女は表情を固めた。勿論、振り返った先には客のいない店内が広がるだけだ。
─ むっ、曲者かっ! 出あえ出あえっ!
ここで登場するのが、一見、遊び人風の男である。ところで遊び人って何だ?
─ おぉっと、こいつはいけねぇ。見つかっちまったぜぃ。
庭先の植え込みの陰に隠れていた体で、自分の額を右手でポンと叩いて洟を啜る。江戸っ子風の粋で威勢の良い感じが重要だ。本当に江戸時代の市民が皆、このような大袈裟な仕草で会話していたのかどうかは定かではないが、もしそうだったら甚だ面倒臭い連中だったに違いない。
それを見た菊乃扮する悪代官は狼狽えた。ここまで来ると、殆ど顔芸ではないか。どこでこんな芸風を仕込んだのだろう? と言うか、菊乃は学校でいったい何を習っているのか?
─ せ、拙者、何やつ!? 名を名乗れっ!
激高する相手を前に悪びれた様子を微塵も見せない遊び人は、悪代官を軽くあしらうのが鉄板。
─ なぁ~に、語って聞かせるほどのもんじゃぁ、ござんせん。ただ、チョイとばかし物騒な話が聞こえちまったもんでね。コイツぁお天道様に聞かせるわけにはいかねぇってなもんで、お節介を承知で参った次第でやんす。
悪代官モード全開で丸椅子を蹴って勢いよく立ち上がった菊乃は、有りもしない腰の刀に手を添え、拓海に向かって吼えた。
─ ぶ、無礼者め! 問答無用じゃ! 手打ちにしてくれるわっ! はっ!
お代官菊乃がいきなり斬りかかる。いかし遊び人菊乃はヒラリと身をかわし、その切っ先を容易くいなした。その間、小心者の越前屋菊乃が慌てふためいて、「ひっ」と怯えるワンカットを挿入することも忘れなかった。
─ おぉぉぉとぉ。危ねぇ危ねぇ。
彼女の迫真のニヤケ顔は、悪代官でなくとも腹立たしい限りだ。
菊乃の渾身の寸劇がクライマックスに達しようとした時、事の成り行きを呆れたように見守っていた拓海が、我慢し切れずにカウンター越しに口を開いた。
「ねぇ? その三文芝居いつまで続くの? ってか『拙者、何やつ?』って『私は誰?』って意味だよ。それを言うなら『お主、何やつ?』だと思うけど」
いつの間にか身振り手振りに、顔の表情までつけて熱演している自分に気付き、菊乃は顔を赤らめた。これでは殆ど、歌舞伎の大見得ではないか。
「ばっ・・・。そういう細かいことばっかり言ってるから女子にモテないのだよ、君はっ! いずれにせよ、私達が知ってる昔言葉って、こういうやつじゃん? でも実際に当時の人と話すと、全然違うんだもん。どういう事?」
「確かに安っぽい時代劇では、そういったインチキな言葉遣いが乱用されているね」
拓海は手に持っていた、閉じた文庫本をカウンターの上に置いた。
「でもあれって、厳密な時代考証をした結果じゃなくて、らしく聞こえる言葉を選んでるだけなんだと思うよ。所詮、テレビと言うか、テレビの時代劇を見てる人って、そこまでの正確さを求めてはいないからさ。菊乃も気付いてると思うけど、あの当時のお侍さんが『拙者○○でござる』なんて言ってるの、聞いたこと無いよね。普通に『俺』とか言ってるし」
「そっ! そぉなのよ!」菊乃は拓海の顔を指差す。
「でも、そんなに気を使わなくてもいいんじゃない?」
つまらなそうな様子で、一旦は置いた文庫本を再び手に取ろうとする拓海を、菊乃が押し留めた。
「あんたはトランスポーターだから、人と接する必要も無くて呑気なことが言えるのよ!」と、取り上げた文庫本を彼の目の前でヒラヒラさせる。
「でも、私みたいなリクルーターは、どうしたって相手と会話しなきゃいけないじゃない? 単にスカウトするだけじゃなく、以降の実質的な窓口なんだから余計に深刻なんだってば!」
「でも菊乃の昔言葉、それなりに様になってると思うよ。結構イイ線いってるんじゃない? あっ。ほらぁ、何処まで読んだか判らなくなっちゃったじゃないかぁ」
彼女のせいで文庫本からハラリと抜け落ちた栞を手に取った拓海が文句を垂れたが、聞きたい部分だけが聞こえるというのも、女子の得意技であることを再認識させられただけであった。
「あら、そうかしら? やっぱり? 加納のお爺ちゃんに教えて頂いた甲斐が有ったわ」
当の菊乃は、拓海に褒められてご満悦のようだ。思わず顔がほころんだ。
「んなことよりさぁ、もうチョッと教えてくれないかな。何て言うの? バックグラウンドっていうか背景っていうか・・・」
自分から始めておいて「んなことよりさぁ」とは、何たる言い草だと思わないでもなかったが、拓海はその件に関しては黙っておくことにした。その代わり、菊乃の語彙の無さを指摘する。
「バックグラウンドも背景も同じ意味だけどね」そう言って文庫本を取り返した。
「うっさいなぁ、教えてくれたっていいでしょ!?」
パラパラとページをめくり、自分が読み進んだ箇所を見つけた拓海は、栞を挟み直しながら答えた。
「勿論、教えるのは構わないさ。でも、余計なことを知っちゃうと、仕事がし難くなることも有ると思うんだけど・・・ それでも聞きたい?」
「う、うん・・・」
正面を切ってジッと見詰められた菊乃は、少しドギマギした様子。
「これまでのリクルーターは、あえてそういったことを知ろうとはしなかったよ。私情を挟まず、プロフェッショナルに徹するって意味だったんだと思うけど・・・。それでも知りたい?」
一瞬だけ躊躇を見せた菊乃であったが、自分の決意の固さを示すため、今度は拓海の目を見詰め返して言った。
「それでも私は知りたいの」
「そう? だったら・・・」
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