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第三章:ディテクター / 検出する人
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「どちらまで?」
「近くてごめんなさい。茅場町までお願いします」
「はい、かしこまりました」
虎ノ門で二人のサラリーマン風の男たちを拾った東都無線のタクシーは、路肩から発車すると直ぐに、新橋方面へと続く車列の中に溶け込んで判らなくなった。テールランプが連なる赤い川へと身を隠した車は、丁度、緑にカモフラージュするカメレオンの様だ。その車内では、こんな世間話が交わされていた。
「どうですか、お客さん。世間では最近、どんな話題で盛り上がってるんですか? 私らタクシーを運転してるばっかで、テレビも新聞も見る時間が無くってねぇ」
歳の頃なら50代半ばといったところか。会社が支給しているのであろう、白い布でカバーされた帽子の下から覗く頭髪にも白いものが混じり始めている。白い手袋をはめてステアリングを握る姿は、典型的なタクシー運転手といった風情で、この道一筋30年みたいな、ある種の風格を備えていた。
「そうですねぇ・・・ 僕は個人的に山元敬徳の件が気に掛かってますけどねぇ」
運転手の質問に、右後部の席に着いた若い方が応えた。
「山元敬徳? 誰です、それ? スポーツ選手?」
ブスッとした顔で左に座る上司風の男と会話するくらいなら、タクシーの運ちゃんと話していた方が気楽なのだろう。若者は身を乗り出した。
「知りませんか? 部長もご存じありませんか?」
そう言って横を向いた若者に、部長と呼ばれた男は「いや」と、益々不機嫌そうな顔で応えた。
「あぁ、やっぱり。いわゆるマスコミに圧力が掛かっているらしく、テレビとかでは全く取り上げられていないんですよね。それを忖度とかいう言葉でごまかしてるみたいですが、とどのつまり単純な言論統制ですよ、あれって」
外堀通りを下るタクシーは新橋で蓬莱橋を過ぎて、そのまま昭和通りに入る。
「ほぅ・・・ そんな力を持っているんですか、その山元って男は?」
「えぇ、元SBテレビの社員で、政治部の記者から始まり、ロサンゼルス支局長やら報道番組プロデューサーを歴任したらしいんですがね、何でも記者時代から今の安本首相と懇意な仲らしくて、そちらから手が回ったんじゃないかって、SNSとかでは盛り上がってるんですよ」
「へぇ~。そいつは何をやらかしたんですかね?」
混雑を回避するため、京橋一丁目で右折すると室町ランプが見えてきた。タクシーはその前を通り過ぎた。
「大学でメディア学を学んでいた女子大生を食事に誘ったらしいんですけどね。そりゃメディア業界を志す学生が大手テレビ局のエリート社員と話す機会が有れば、断りませんよね。きっと貴重な経験になるだろうし、業界への伝手が出来る可能性だって有りますから。そういった立場を利用して声をかけ、ワインだか何だかに薬を混ぜて酩酊させたんですよ。そんで、そのままホテルの部屋に無理やり連れ込んで、って流れです」
「それで? その女性は訴えたりしたわけですか?」
「えぇ、訴えました。この件は海外メディアでは、結構大きな見出しで取り上げられてるんですが、肝心の日本では、さっき言った圧力に屈したメディアが沈黙をし続けていますね」
今度は八丁堀交差点で左折し、新大橋通りに入る。あと数ブロックで茅場町だ。
「実際に山元が知らぬ存ぜぬで国外逃亡を謀った時、成田空港で逮捕される直前に警視庁の刑事部長から待ったがかかって逮捕が中止になったらしく、この件も明らかな裏工作によるものと言われています」
「力を持つ者同士が結託して、弱者を踏みにじるって構図ですか。根が深そうな話ですねぇ」
「しかもこの山元。逆に名誉棄損だとか言い出して、一億円以上の賠償金で女性を訴える始末。それだけならまだしも、自分の息のかかったジャーナリストもどきの連中を集めて記者会見を開き、その女性に対する反論を一方的に、かつ大々的にアピールしたんです。頭がイカレた女に付きまとわれて、私は迷惑してますぅーっていう苦し紛れの主張を既成事実化しようとしたんですな。その結果、一部の心無い連中からは、被害者女性が枕営業に失敗して、その腹いせをやってるような言われようですよ」
「質の悪い男ですねぇ」
タクシーは永代通りとの交差点である、茅場町一丁目交差点で信号待ち中。
「結局、山元の訴えは退けられて敗訴が確定したんですが、たしか300万程度の賠償金で済んでる筈ですよ。あの裁判所が決める賠償金の額って、意味有るんですかね? あぁ、もう少し先まで行って下さい」
「判りました。でも、女性が被った肉体的、精神的被害に対し、明らかに安過ぎるような気がしますね。男が取った行動こそが名誉棄損ってかんじですが」
「まったくです。ただのレイプ犯が、なんで偉そうに大手を振って歩いてるのかが判らないんですよ。日本の警察とか司法って、結局、まともに機能してないんじゃないですか」
「とんだ下衆野郎だよっ! 腐りきったクズ野郎だっ!」
信号待ちが明けてタクシーが再び走り出したと同時に、ずっと黙って話を聞いていたはずの部長がいきなり声を荒げて、運転手と若者は腰を抜かしそうになった。
「ど、どうしたんです、部長?」
「や、山元は私の大学時代の同期だ!」
「あぁ、確か部長も慶城大学出身でしたね? 顔見知りなんですか?」
部長は鼻息を荒くしたまま続ける。
「まぁ、言うほど親しかったわけじゃないが、あいつは昔からああいう奴だった。口だけ達者で中身の無い男だったんだ。今にして思えば、いかにもあいつがやりそうな事だよ! 慶城OBの面汚しだ、全く!」
いきなりの部長の激高に、二人は固まった。
「だいたいジャーナリストって看板を掲げている奴が、権力側に擦り寄ってどうするんだ!? 虎の威を借りて甘い汁吸って、危なくなったらその庇護下に逃げ込むって、恥知らずにも程がある! メディア業界でそんな奴が力を持つようなら、それこそ報道が死んだも同然だろ!?」
「ぶ、部長。落ち着いて下さい」
「これが落ち着いていられるかっ! 日本人にはテレビとか新聞の言うとこを、何の疑いも無く信じ込む奴が多いんだ。年寄りなんか、NHKが嘘をつくはずないって本気で信じてるんだぞ! 大本営発表に騙された経験のある世代が、凝りもせずまだ国営放送を信じてるって、頭悪いんじゃないのか? これを日本人のお気楽DNAと呼ばずして、何と呼ぶっ!?」
何だか論点が変わって来たようなので、運転手が恐る恐る声を掛ける。
「あのぉ~・・・、もう茅場町なんですが・・・」
「国民を舐め過ぎなんだ、奴らはっ! 平気で嘘をついて、その嘘をつき続ければいずれそれが本当になるって思ってるのさ! 美しい国、日本だとっ!? おもてなしの国、日本だとっ!? ふざけるなっ! 俺は日本人に生まれたことが、心の底から恥ずかしいっ! うぉぉぉぉーーーっ!」
部長の雄叫びを最後に、なんとなく気まずい雰囲気のままこの話題は終わりを迎えた。そしてタクシーは若者が指示した通り、イタリアの高級車を専門に扱うディーラー前でハザードランプを点滅させて停車する。
レイプ事件から始まって、四方八方に怒りの矛先をぶちまけた ──中には誤爆と言うか、無差別テロに近いのも有ったが── 部長の気持ちはまだ治まらないようで、若者が料金を払っている間にタクシーを降りた彼は、肩を怒らせながらズンズンと人混みを掻き分けるように行ってしまった。道行く人々は、そんな彼を見てヤバそうな雰囲気を敏感に察知し、面白いように道を譲るのだった。
「有難うございましたーーっ」
二人を降ろした運転手は、部長を追いかける若者の背中に声を掛けたが、彼には届かなかったようだ。ビジネスバッグを小脇に抱えて走る若者の後姿をルームミラーで見送ると、運転手はコラムシフトを操って車を発車させた。彼の駆るタクシーはノロノロとした車列に再び合流し、そのまま神保町方面に向かって消えて行った。
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