第三章:ディテクター / 検出する人

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3  「たった今、ディテクターから指示が来たぞ」  さっきまで静が座っていた丸椅子を引き寄せて、史人が言った。  「ディテクターって、あのタクシー運転手の? 一度しか会ったことは無いけど」  「そう、秋田さん」菊乃の質問には拓海が答えた。  「秋田さん、次は誰になったって?」  「山元敬徳(やまもとたかのり)って奴だそうだ。ところで、誰なんだこの山元って?」  ネットを見ない史人には馴染みの無い名前らしい。しかし現代っ子らしく、スマホでSNSなどを愉しんでいる菊乃は当然知っていた。  「あぁ、あのレイプ犯ね」  「レイプ犯だって?」史人の眉間に皺が寄る。  「やっぱり知ってるんだ?」と聞き返したのは拓海。  「まぁね。今SNSで話題になってるから。あまり表沙汰にはなってないけど、あのレイプ事件そのものは知ってる人が多いと思うよ」  「秋田の父っつぁんが次のターゲットに選んだのが、その山元とやらだ」  その発言を聞いた菊乃が、不思議そうに尋ねる。  「ねぇ、どうしてわざわざタクシーの運転手さんが情報収集に当たってるの? そういったネタなら、ネットにいくらだって転がってるじゃん。ってか、秋田さんがターゲットの決定権を握っているのは何故なの?」  餡子がはみ出た豆大福の失敗作を新たに追加し、やっぱり菊乃はつまみ食い。  「でもネットの盛り上がりって、実は殆ど中身の無い空騒ぎの場合が多いんだよ」と拓海は続ける。「炎上、炎上って騒ぐ割に、翌日には誰の記憶からも消え去っている話題って多いよね? そういうのって、結局ただの張りぼてだから発生している憤気だって実は大したことは無い」  「お前、お母さんみたいに太るぞ。あっちで着る服がキツイって言ってたろ?」  「太ったんじゃなくって、胸が大きくなったの!」  この年頃の女子に体重の話はタブーである。その辺のデリカシーが無いから、世の父親たちは嫌われるのだ。  「SNSの字面だけ追っていてもそこまでは判らないから、秋田さんみたいなディテクターが直接、巷の声に耳を傾けつつ空気感を読んで、本当に考慮すべきネタを選り分けてるのさ。それと同時に、彼は憤気を読む唯一無二の特殊能力の持ち主でもあって、次のターゲットの決定権は、自然と秋田さんに委ねられているってことなんだ。つまりディテクターは単なる情報収集屋ではないってことだね」  「そりゃ本当かい、拓海君?」と言いながら、両手で卑猥に胸の形を作る史人。一人娘のブラのサイズが変わったのなら、父親としても心構えが必要だ。  「あぁ、確かに他人の尻馬に乗って、一緒に騒ぐだけ騒いで終わりって奴、多いかも。あいつらって、誰かをこき下ろして喜んでるだけの馬鹿のくせに、ホントにゴキブリみたいに湧いてくるのよね、不思議と」と、父親の下品な腕の動きを無視して菊乃は言った。  「僕がそんなこと、知ってるわけ無いじゃないですか」と言いながら両手で胸の形を作る拓海の脚を、テーブルの下で思いっきり蹴飛ばしたのは菊乃だ。  「痛てて・・・ それにしても、随分と辛辣じゃないか? 何か気に障ることでも有ったのかい?」  蹴り上げられた脛をさすりながら問う拓海に、憮然とした表情で菊乃が応える。  「別に何にも無いわよ。あいつら、匿名社会のネットでしか自分の意見を言えない腰抜けだから、ネットではことさら攻撃的で、無礼で、卑劣で、恥知らずで、幼稚で・・・」  「何か有ったんだね。詳しくは聞かないけど」拓海は目をパチクリさせた。  「・・・頭が悪くて、足が臭くて、耳毛が伸びてて、歯に青のり付いてて、ホクロから長い毛が生えてて・・・」  菊乃の心の中に渦巻く、何やらドロドロしたものの漏出は止まらないようだ。その様子を見た拓海は、今自分が目の当たりにしているものこそ「憤気」なのではないかと思うのであった。  「あのぉ~、菊乃さん? ネット民がお嫌いなことは、もう判りましたから・・・ もしもし?」  そこに店番をしていた静が戻ってきて顔を出した。  「店長、慶和大の箱崎教授がお見えになりました」  「おっ、そうか」  「えっ、箱崎先生が!? ご挨拶しなきゃ!」  そそくさと席を立つ史人を追うようにして、菊乃も立ち上がった。厨房を出て行く二人と入れ替わりに入って来た静が、「よいしょ」と言いながら拓海の向かい側に座る。  「あら、拓海君やっぱり上手ね」  そう言って自分も餅を一つ手に取り、そこに餡玉を乗せて器用に包んでいった。ほんの束の間、二人は沈黙を共有する。  「ところで菊乃とはどうなってるの?」  突然の静の問いに一瞬手が止まりかけたが、拓海は視線を上げることも無く、豆大福の成形に集中しながら答える。  「どうって言われても・・・ 別に、どうにもなっていません」  再び訪れた沈黙が二人の間に横たわった。静も餡玉を包む作業を続ける。  「言っちゃえばいいのに。じれったいなぁ、もう。あの子、あぁ見えて結構鈍感だから」  拓海は何も答えなかった。その沈黙を埋めるかのように、厨房の隅の業務用製氷機が、ドサリという音を立てた。  拓海たちが手を染めている裏稼業のことを静は知らない。何一つ聞かされていないのだ。だから・・・ だから、言えないことも知らない。
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