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高校三年生の夏、私は裁縫の道へと足を踏み入れようと思い立ちました。妹のぬいぐるみを綺麗に修理してやると、まるで桜でも咲いたかのような満面な笑みで笑顔を咲かせていたことがぬいぐるみのお医者さんという道へと誘ったのでしょう。
会社に入社すると、荒波に揉まれ、社会という厳しさを痛感したのでありました。
ですが、時が経過するに連れて、気づけば仕事にも慣れ、徐々に学生の頃に味わっておりました、ぬいぐるみを修理した時のやりがいというものを感じるまでの余裕が生まれてきました。
人間というのは不思議な生き物です。つい、この間まで目先のことしか頭になく、我武者羅に、死に物狂いで人生を走ってきたかと思えば、今度はすっかり冷えて容量が大きくなった頭で別なことを思案し始めました。
それは自分のところへとやってくる、ぬいぐるみを一つ一つ気持ちを込めて修理するということです。
年の幼い女の子が食事をする時も抱えていたのでしょう、犬のぬいぐるみの眼の周りに醤油の染みがあれば洗浄し、外にでも連れて歩いていたのでしょう、すっかり日焼けした兎には生地を剥ぎ、新しい白い生地で縫ってあげたりもしました。また、毎日一緒に寝ていたのでしょうか、まるで風船の空気が抜け、萎んでしまった熊のぬいぐるみがくれば、綿あめのようなふわふわを代わりに入れてあげました。
私はぬいぐるみのお医者さんであって、本当のお医者さんではございません。もし、私が本当の医者、それも獣医なのであれば、犬には点眼薬を処方し、兎には毛を刈り皮膚の移植を施し、熊には体のあらゆる内臓という内臓をすべて入れ替える、並みの獣医では難色を示す、技術が要求される手術を行う必要があったのかもしれません。
私はただの一ぬいぐるみの修理工ではありますが、命の尊さの違いはあれ、やっていることは彼らと何ら遜色ないとまで思っておりました。
会社を通じて、ぬいぐるみの依頼者から感謝の便りが届いておりましたので、暇を見つけては私はそれを見にいっておりました。
依頼者は幅広く女性はもちろん、男性もいらっしゃいました。年齢は生まれたばかりの赤子から八十代歳、中には九十代の方や百歳をも超える方からも感謝の言葉は届けられておりました。
これほどまでに老若男女問わず、愛される職業がどこにあるのでしょうか。
感謝の意を脳裏に刻み、一つ一つのぬいぐるみ修理すると、依頼者の嬉しそうな顔が頭に浮かびました。一人一人に人生があり様々な思いの中、大切なぬいぐるみを預ける。あるお客様にとっては親友だったり、別なお客様には恋人であったり、中には一緒にご結婚までされるお客様もいらっしゃいました。
私は、様々なお客様たちの顔を思うと、現実世界を離れ、妄想の世界で得意な顔を作っておりました。ぬいぐるみを依頼したお客様の全員が私の技術を褒め称え、やりがいという言葉の意味が改めて実感することができたのです。
そして、なぜかいつも私の夢の一人劇に登場するのが、容姿端麗で元気溌剌、ぬいぐるみが好きな二十代の若い女性だったのです。私はその女性からちやほやされ、まるで絶世の貴公子にでもなったような気分でした。
さらに妄想を広げていきますと、私とその甘美な彼女とで、あろうことか愛の囁きまでする恋仲になっているのではありませんか。私は独り妄想の世界で恋のランデブーに酔い浸る日々を送りました。
現実とは非情なものです。
向こうの世界の彼女が容姿端麗、元気溌剌ならば、私は眉目秀麗、冷静沈着で彼女を包み込むような優しさを持ち合わせていた紳士でありました。
しかし、現実世界では、どれだけやりがいを感じ、女性を思い詰めたところで、金は人並みにも持ち合わせておらず、妖怪のようなみすぼらしい容貌をなした私は年頃になっても誰にも相手にされなかったのです。
私は自分の境遇を呪いました。天はある人には二物を与え、ある人には何も与えない。そんな悶々とした灰色な生活を今日まで長い間続けて参りました。
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