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『美味しいっ!』
社会人になって1年間はモールにある居酒屋ばかり。学生の頃もこんなに落ち着いた雰囲気の飲み屋さんになんて来たことがない。とりあえずビールで乾杯しない所は初めてだ。いや、してもいいんだろうけど……。
「どうぞ。」
マスターが小さな皿に入れたナッツを出してくれた。
「最近、女性が増えたな。」
洸一が奥のテーブルに視線を送り、マスターに話しかけた。
「ええ。口コミで広がって。元々どなたにでも出会いの場を与えたいと思ってましたし……。でもお陰で出会いの場というより、カップルで来てくださる方の方が多くなりましたけどね。」
チリンチリン…
「いらっしゃいませ。」
ウインクしながらのマスターの言葉が終わるか終わらないかのうちに、入口のドアが開いた。マスターは笑顔を見せると、俺たちの1つ隣の席に誘導した。
「マスター、こんばんは。待ち合わせなの。もうすぐ来るはず。」
「美香さんですか?」
「ええ。そう。」
俺の1つ隣の席から、強い香水の香りが漂ってくる。あまり嗅いだことのない香り……。いい香りなのかもしれないけど、程度ってものがあるだろ……。
「何かお作りしますか?」
コップを磨いていた手を止めて、マスターが女性を見る。
「んー、もうちょっとだけ待っててもいいかしら? 連絡取ってみるわ。」
「どうぞ。ごゆっくり。大丈夫ですよ。」
マスターが笑顔を見せながらコップに向き直ると、洸一が口を開いた。
「マスターはいつも磨いてるな。」
「ええ。グラスはそんなに高いものではないのですが。こうやって磨いてあげると高級感出るでしょう?」
「ああ。」
マスターが持ち上げた透明のコップは、照明を受けてキラキラ輝いた。
「昔働いていたレストランでは、ナプキンと同じ素材の布で磨いていたんですよ。タオルだと繊維が残ってしまいますから。手ぬぐいもダメですね。」
ナプキンと同じ素材!? 紙ナプキンが出てくるレストランしか知らないんですけど……。そういえば、中学の頃のテーブルマナーで布のナプキン使ったかな?あれかな……?
「それは……?」
「これはマイクロファイバーです。本当に昔と比べたら便利になりました。」
グレーの布巾を掲げて見せる。マスターって何歳なんだろ。40とか……?長めの髪を後ろで1つに結び、前髪もオールバックにして固めている。一筋だけ垂れて来ている前髪の束がオシャレだ。俺たちの両親よりは断然若いけど、30代には見えない……かな?
「マイクロファイバーか……。勉強になる。」
洸一がウィスキーの入ったコップを傾けた。
「安いものではダメですよ。すぐに買い換える事になりますから。あ、でも家庭で使う分にはあまり関係ないかもしれませんね。」
「そうだな。」
「ねえ、あなた……。」
洸一とマスターの話を断ち切るように、俺の隣から声が聞こえた。
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