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「ねえ、あなた……。」
洸一の方ばかり見ていた俺は、急に聞こえた女性の声に驚いて振り返った。洸一も少しだけ身を傾けて、女性を見る。
「いえ、貴方じゃなくて奥の方……智弘さんでしょう?」
はっ? ともひろ……? 思わず洸一の顔を見た。
「いや……智弘ではない。」
洸一が呟く。
「うそ。私が忘れると思った?」
その女性が妖艶に微笑んだ。
「貴方は誰ですか?」
俺は思わず口を出していた。女性は長い髪をアップに結い上げて、派手な化粧をしていた。紺色の長くて裾の広いスカートみたいなズボンを履いている。上は涼しそうな布地の花柄のブラウス。結構背が高そうだ。
「私……? 陽和(ひより)。覚えているでしょ?」
真っ赤な唇に人差し指の先を這わせて、陽和という女性が答えた。俺が質問したのに、俺を通り越して洸一に話しかけてる……。何だかムカムカしてきた。
「いや、全然、覚えてない。」
洸一は興味が無くなったかのように、マスターの方に向き直りウィスキーを口に含んだ。
「半年ぐらいになるわね。3月の終わり……。駅前の噴水の所で会ったじゃない。」
「会ってないな。」
全然女性の方を見ようともせずに平気な顔で呟く洸一の顔を眺めながら、俺は半年前を思い出そうとしていた。3月の終わり……。俺がモールでの拘束期間が解ける頃だ……。もう、自分の住居で寝ることはなくなってた。毎晩「過去の部屋」に帰って、洸一の作ってくれた夕飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒に寝て……。
「人違いじゃないんですか?」
自然と熱くなった顔を誤魔化すように、俺は女性に向き直りさらに話しかけた。1日として離れた事はない。3月だけじゃない。あの日からずっとだ……2月に、俺が告白した日から……。
『……?……。』
でも、本当にそうか……? ふと、俺と洸一の休みが合わないことを思い出していた。俺が仕事から帰ると、いつも夕飯を準備し終わって待っていてくれるが、昼間は……? 俺は何をしているかまでは全然気にしていなかった。ま、まっ、まさかっ……?
「人違いなんかじゃないわ。智弘さんどうしたの? 今度また会うことがあれば……って約束したじゃないっ!」
少しだけ苛立ったような口調に釣られるように、俺もだんだんイライラしてきた……。どうしてそんなに断言できるんだ? そして、どうして洸一はそんなに余裕かましてるっ!?
「駅前で会って、それから……?」
洸一が横目で、視線だけこちらに送って聞いてきた。
「何軒か梯子して……そして駅前のホテルに入って一晩中……。」
「フッ……。」
洸一が笑みを漏らし、また視線をウィスキーに戻した。俺も不安に思っていた気持ちが、急激に治まるのを感じていた。洸一は、俺と暮らすようになってから、外泊どころか、夜一人で出かけたことなんてない。
「ねぇ、智弘さん……。私も結構いろんな経験してきたけど、あの夜のことは忘れられないの。」
女性が席を離れてこちらに歩いてきた。
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