序章あるいは終章

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序章あるいは終章

 新芽の芽吹く春の季節、僕らは結婚した。  式場は決して、良い場所とは言えなかった。花壇は雑草が生い茂り、地面との区別もできず、壁には(つた)()っていた。教会内も半森林と化して、いまでは動植物の新しい住処となっていた。  僕らのために脚を運ぶ者も誰一人としておらず、これでは式を挙げる意味などない。誰もがそう思うだろう。  それでも僕らはこの場所を選んだ。この思い出の場所で式を挙げたいと、花嫁たってのご希望で。  誰かに祝福されなくてもいい。ただ、僕と結婚式を挙げたいと彼女はそう言ってくれた。  豪勢な料理の一つも無ければ、合唱団(コーラス)が歌ってくれるわけでもない。古びた教会で、たった二人で挙げる結婚式はあまりにも寂しく、彼女に申し訳ないと、つい、思ってしまう。  突然、扉が少し大きく揺れ、中から小柄なシルエットが現れた。 「……ああ」  僕の(のど)から短い声が漏もれた。  純白のウエディングドレスをまとった花嫁が、まっすぐこちらに向かって、ゆっくりと歩みを進すすめる。 僕の心は彼女に捕とらわれてしまい、それまで聞こえていた小鳥のさえずりも、風の音も、耳に入らなくなった。体の全てが彼女に毒されてしまっていた。  あらためて、僕は今日、結婚(けっこん)するのだと、意識(いしき)し始めた。  嬉しさのあまり発狂しそうだった。長らく愛し合った幼馴染みと夫婦になることはもちろんのこと、それ以外でも僕を喜ばせた。  永い、永い呪縛から解き放たれようとしている。彼女が1㎝近づく度に、胸の中が熱くなるのを感じた。気を抜くと(なみだ)のダムが決壊しそうだ。(ひとみ)を閉じ、一度、深い呼吸をする。  ふと、脳裏にかつての記憶が浮かんだ。  かつて、僕は少年だった。  かつて、彼女は少女だった。   僕らは幼いときから、いつも一緒だった。歳を重ねるに連れて、お互いを意識し合っていった。いずれは彼女と暮らし、気持ちを確かめ合い、結婚し子供を設け、幸せに暮らす。そう僕らは思っていた。  しかし運命の歯車は狂い、僕たちの望んだ未来とは違う道を、時は進んでしまった。ここにくるまで、長い遠回りをした気分だ。  だが、それも今日きょうで終わりだ。歯車は()み合う。ようやく、終わる。その時が来る。そして、運命(うんめい)を……神を否定する。  瞳を開けるともう彼女は、すぐそこまで来ている。階段を一段。(さら)に、もう一段。僕のもとへ近づく。  不意に、彼女は足を止め、崩れ落ちた天蓋を見上げた。 「どうしたの?」 「……あの日も、こんな気持ちのいい天気だったわね」  (いぶか)しげに首を傾げる僕を無視し、どこか遠い眼をした彼女は呟くように言った。懐かしいそうな顔する彼女の(ひとみ)が、一瞬だけ潤みを増したのは、気のせいだろうか。  階段を上がりきった彼女は、僕を見つめる。僕も彼女の天色(あまいろ)の澄んだ瞳に微笑みを向けた。  祭壇はその半分が植物に蹂躙(じゅうりん)されており、十字架も蔦に巻かれ、その原型を留めていなかった。僕らは曲がりきった十字架を背に互いを見つめ合う。  今日、僕らは夫婦(ふうふ)となる。  誓いの言葉はいらなかった。どちらともなく、顔が近づき、(くちびる)が触れ合った。  軽く。もう一度、強く。  何度この瞬間を夢見たことだろう。何度、祈ったことだろう。  胸の奥が熱い。僕は無意識のうちに彼女を抱き締めていた。彼女は一瞬驚いたように体を強ばらせたが、そっと僕の肩に腕を回した。僕の両目から、ついに涙が溢あふれた。 (しずく)が頬を流れ、ドレスが青く染まる。 「……ふふ、変わってないなぁ」  彼女の頬にも、銀に輝く涙伝い、(こぼ)れた。濡れた瞳で懸命に笑顔を繕い、僕の頬に手を添えた。  鐘が鳴なった。甲高く、しかし重みのある音だった。鐘は鳴り止むことを知らず、鳴り続ける。僕は顔を上げ、泣きじゃくる彼女を腰に絡めた腕の力を強めた。ああ、美しい。 何度この少女に救われたか。僕はいまだに潤みを増す瞳を細めて笑顔を作り、言った。 「……君を、愛してる」  その顔が彼女にどう映ったのか解らなかったが、瞳を濡らしたまま、あの太陽のような笑顔を向けた。 「私も……アナタを愛してる」  これは誰にも祝福されることない、二人だけの結婚式。それでも、僕らは幸せだった。 恐らくこの時だけは、どんな富豪にも、どんな貴族にも、また、どんな神にも勝っていたはずだ。  この先、何があろうとも、彼女を守る。そう誓ったあの日から、ずいぶん遠回りをしてしまった。だがやっと……やっと夫婦となれた。これからは二人、共に歩いて行こう。彼女の掌の温もりを噛み締め、そう思った。  夫婦の(つな)がれた手はもう、二度と離れることはなかった。  この日を、この一瞬をいつまでも忘れないでいよう。
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