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もうすぐ夜が来る。時刻は午後六時を回って、着々とあたりは暗闇を増していく。
「――そういえば、先輩は進路どうするんですか?」
何気ない一言だった。
ぴたっとそれまで聞こえていた足音が途切れる。呪詛のようなドス黒い感触が少女の耳を粘着質に覆い隠していく。
瞬間、しまったと少年の思考が止まった。
苛立ちと焦りが急激に少女の自我を蝕む。満ち足りた幸福を喰い殺し、恐怖と絶望が水槽に泥水を加えるように、ゆっくりと身体を浸食していった。
いや、いやいや嫌、嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌――――――。
振り向いたそこに、先ほどの彼女はどこにもいなかった。
大きく開かれた瞳孔は虚構を見据え、怯えるような表情が異常事態を告げる。両の手がゆっくりと頭を押さえつけ、ぎちりっと鈍い音を合図に激しく頭を掻きむしる。まっすぐなはずの黒い髪は、滅茶苦茶に乱されて叫び声が喧噪をかき消した。
茶柱は自身の妄言に舌打ちした。唇をきつく結んで、急いで少女を抱き締める。
「先輩、落ち着いてください!」
「いや、いやいやいや―――っ!!」
少女の爪が肌を掠めて鮮血が頬を垂れる。半狂乱に陥った彼女から滴る雫が茶柱の肩を濡らした。振り乱された腕が少年の顔を何度も殴打する。それに一切の怯みを見せることなく、茶柱は回した腕を力一杯密着させた。
非力な自分の細い腕では、彼女をこの胸で抱えることしかできない。
夕暮れに犇めく朱と碧い天井。その間で煌めく小さなルビーの蕾みが、腐っていく死体の腕のなかで静かな吐息を立て始める。暗闇が影を増して、曖昧な世界を作り上げていく。
ふいに、その影にひとつ、紺碧の花が散った。
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