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強い風が吹いた。
群青の花びらが吹雪のごとく飛ばされ、しんしんと宙を舞う。艶やかな長い髪が朝日に晒され、繊維の一つ一つが光沢を帯びた。
振り返った一刹那、もうその時には、花びらも帽子も、風も。視界に入らなくなっていた。
風とともに飛ばされた帽子が紺碧の花弁に包まれた白い蕾のように踊り散る。
その方向――道路を挟んだ向こう側に、淡い白光が照りついた。花色の宝珠の一つがそれに触れ、華奢なシルエットを写し出す。
「あ……」
無意識に声が漏れた。気を抜けば、きっと涙が出るだろう。それを寸前で押し止め、澄み切った目で前を見る。
立ち尽くしたように、私より少し年下の少年が無気力に空を眺めている。若干15を過ぎたその子はぼろぼろの診察衣を着ていて、一目では男女の区別がつかないほど可憐で儚い。色素の薄い瞳に映るどこか哀愁を漂わせた表情は、言いようのない庇護感を与える。
まるで誰かを待つように、諦めた世界を反射していた。
道端でたったひとり永遠の時を過ごすその影は寂しそうで、叶うことならいますぐにでも抱き締めてあげたい。
「こんにちは」
私の声に男の子が振り向く。長くまっすぐに伸びた髪が光を反射して、いとおしく感じる。
「―――」
少年は口を開いたが、その声が聞こえることはない。けれども私はゆっくりと頷いて、虚ろな瞼に微笑みかける。
「うん、そうだよ。だから一緒に帰ろう」
雫の溜まった瞳を限界まで細め、手を差し伸べる。
春の心地よい風が花びらを舞い上げる。少年の掌が私の手に乗り、それをゆっくりと握りしめる。ほのかな体温が身体の芯を通して心を溶かす。少年は朗らかな笑みを浮かべ、そして、花びらとともに消えていった。
かつてその瞳で、私を愛したように。
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