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「……」
短い息を吐くと、気怠げに長椅子に体重を預ける。
倒れ込むようにして椅子が傾いたその刹那、彼のこめかみの位置だったところに、紅の剣閃が走った。
剣圧が微量の風を誘う。
酷く鈍い。狙いが定まっていないのか、二撃目は壁を洋菓子のように砕いた。
黒焦げた外気が駆け抜ける。崩すには惜しい築物だったが、さして触りはない。
完全に倒れるまえに椅子から跳ぶと、敵を一瞥した。
もう一度、閃光が靡く。せめて欠伸ひとつくらいは猶予が欲しいものだ。連撃が青年の脇腹めがけて抉る。僅か三秒。影の間合いが迫る。
鯉口が唸り、全身のマナを置き去りにする。残像を伴った高速移動で無骨な鋼を弾き返した。キンッ。金属の澄んだ音が空気に満ちる。
土煙が宙を舞う。
剣戟というにはほど遠く、奏でるというのにはいささか力足らずの接敵。
「なんだ、まだ生きてたのか」
煙の治まった館から銀色の甲冑が姿を現す。
ぎこちなく剣を構えるそれに、青年は憮然とした表情のままだ。
夜色の瞳が僅かな憐れみを抱いた。相対する騎士は所々傷を受けて朱い衣魚をつくっていた。
逃げればよかったものを。
「……本当に面倒だな」
爆音が唸る。甲冑が腕を振った。薄赤いライトエフェクトが刃に滴る。上方から両手剣振り下ろしソードスキル《スロウダ》が迫る。
間合いを詰めるのに時間などいらなかった。切っ先が軌道を描く寸前、青年の右手が目を見張る速さで左腰の柄を抜刀。同時に半身を捻らせて回転――両手剣の厚いブレードを切り流す。
甲冑が態勢を崩す。クールタイムを強いられて、身動きが取れない。がら空きになった首筋を、二度の回転による青年が斬り伏せる。
兜と鎧の間、円弧を描いた刃面が動脈を討ちつけて確かな手応えが刃に浸みる。十字の刺繍が鮮血を撒散らす。
途端にぐったりとなった甲冑はそのまま地面に倒れ伏せた。転倒の衝撃で頭の兜が割れてしまい、隠されていた素顔が見える。セビア色の髪のもの静かな女性。昨日までの所属仲間は視るも憐れな死に際だった。
「……ど、うっ――――して……?」
「………」
青年は応えない。あと数秒で死ぬソレはもうモノだ。そんなものに興味など抱くはずがない。
「あ゛――っ、…――」
なおも言おうとしたが、喉を切ったのだ。声を出す前に息が抜けてしまう。
だから撃った。バァンと。重い金属を撃った音がその最期を遮った。
瞳が色褪せる。容易く動かなくなったソレを捨て置いて、鎺にこびりついた血潮を振り落した。鼻に女の血汐が付着する。返り血が目尻に張り付いていたようだ。頬に伝うそれは、まるで涙のように思えた。
膠の灼ける匂いがする。館は砕け、数分で崩れるだろう。景色が明瞭になる。
そこは戦場だった。辺り一面の無。さきほど家の広がっていたそこに街はない。
人界国家エリュデューゲン。いかなる国とも交易を行わず、いかなる全貌を明かさなかった世界に残る唯一の秘匿。海を囲む霧に包まれて未だ外界を受け入れたことはなかった。
誰も訪れることのなかった未踏の国。それがここだ。
濃い霧の茨に包まれたその姿はまるで眠り姫のささやかな眠りを守るようにそう呼ばれている。
別名、霧城網ラベルオヴァ。荒れ果てた土地は海を隔てた国境沿いに陣地を敷く神代の魔獣から国を守る戦上のど真ん中だ。
あるひとが言うには、戦場は地獄らしい。人の命が湯水のように流れては血を落とす。それは確かに地獄だろう。
けれど青年は思う。戦場が地獄だからといって、戦場だけが地獄な筈はない。
崩れた死体を踏んで、火薬くさい空を見上げた。宇宙を張る蒼は灰色の現実に埋もれている。
道理も通らず、正義さえも掠れた大地。真実なんてどこにもない。
それが彼には赦せなかった。視界いっぱいに血を染めて、無限に続く血肉を見据えてさえ感じぬ心をもって。拳を握りしめる。
無限の死体。絵に描いたように現実身のない景色。
運のなかった、ただそれでけで死んでいった奴らの終着点。
「 仮面の集団 に告げる。これより目標9との接触を行う」
誰もいない荒野を誰もいないはずの空に口解く。常人なら聞こえるはずもないそれを、彼らは臆面もなく聞き取っていた。
「各自、嘘の侵略戦争を維持しろ」
「「「「―――――」」」」
静寂を回答と受け取って視線を凭れた。その瞳は驚くほど澄んで、闇色の髪が虚空の世界を舞う。
怒リノ日、カノ日コソ世界ハ灼ケテ灰トナルベシ。
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