『吹雪の社』

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「わたしは雪女だからな」  ごうっと強い馬なり風が壁を貫いた。ろうそくの火は掻き消され、煙が夜風にさらわれる。歪な音を立てて、寒さが舞い降りた。気づけば、女は男を押し倒していた。家の奥はしんっと静まり返った。  体温が奪われる。呼吸すら痛む寒さに男の顔が歪む。 「わたしは雪女だ。————だからお前を殺す」  不意に、唐突に、そう結論づけた。どうしてそう至ったのか女自身もわからない。だが、この冷えは女から熱を消し去った。 「……知って、ました」  だが男から返ってきた言葉は予想外のものだった。 「なに———?」  じっとこちらを視る双眸はまるで雪月。  暗く白い雪の夜を照らす仄光(ほのびかり)に静かな声が響く。 「オレは———生贄なんです。あなたを(まつ)るための(にえ)、なんです」  ここ数年、各地の集落を原因不明の吹雪が襲った。その度に村は壊滅し、その原因は雪女の怒りによるものだと噂立った。噂は広まり、山麓にあった男の村にも届き、怒りを鎮めるためここに鳥居を立て、贄を用意したのだ。 「皆んな、捧げ物をすれば、安心して冬を越せると言ってました。幸い、オレはもうすぐ死ぬ身です。噂を信じる気にはなれませんでしたが、こうして現れてくれて本当によかった」  聞けば、男は病だった。治る見込みはない。老い先短い男は贄には最適だった。  生贄——この男はつまり、自分に殺されるためにわざわざこんなところで待っていたのか。 「なぜ逃げなかった? なぜただ素直に待っていた?」 「そうですね……逃げることもできたかもしれません」  対して男は自嘲する。だが、伏せた眉毛の下で瞳を逸らした。 「——でも、もう。なんだか疲れてしまって……」  生きることに。無気力な返答にそれまで力んでいた女の力も抜けていく。 「妹が死にました。親と同じ病です。たったひとりの家族でした」  女はそのとき初めて、男の表情を見た気がした。悲しみとも愛しさとも怒りとも取れる複雑な顔。 「もうオレには何もない。あるのは消えかけのこの命。それももう終わり、最後にあなたのような美しいひとがもらってくれるのなら、いっそ心嬉しい」  喉が灼けるのも構わず、男は笑った。霜を被った睫毛が冴え冴えと羽ばたく。
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