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色白で透明感のあるきめ細かい肌、ハッキリした目元と形の良い唇。すっきりしたショートカットも、デキる女の雰囲気を纏う瑠美子にはよく似合っている。
俺が瑠美子と出会ったのは大学の時だ。その頃から彼女は群を抜いて綺麗で、ミスキャンパスにも選ばれたほどだった。あの当時から変わったのは髪が短くなったことくらいで、いまだに肌も艶やかだし、スタイルもばっちりキープしているし。とても中二の息子がいるとは思えないほどの若々しさと気品に溢れている。
多分ミスキャンパスに選ばれたというプライドが、あれから20年近く経った今でも、美しくあろうとする原動力になっているのだろう。
「じゃあ、これでしばらく書くものがなくなって暇になっちゃうな」
俺が出されたクロックムッシュに齧りつきながら言うと、彼女はきょとんとした顔をした。
「何言ってんのよ。コンテスト以外でも毎朝連載してるのがあるから、そっちはちゃんと続けるし」
「そんなに何本も書いてんのか?」
「これでも結構人気が出ている作品なのよ。楽しみにして読んでくれる人もついてるんだから」
瑠美子が自慢げに言った時、歩が寝ぼけ眼でリビングへ出てきた。
いつもは遠くの中学校まで片道1時間半かけて登校する息子も、日曜日の朝は優雅に朝寝坊と決め込んでいる。
これでも県下トップの中学へと進学した秀才だ。引きしまった顔立ちの眼鏡イケメンだと同級生の女子からも騒がれているらしいのに、この間抜け面はなんともはや。
いくつになってもこういうとこは可愛いよな、と俺が苦笑を浮かべる中、瑠美子はいそいそと愛息子に駆け寄った。
「おはよう。ねぇ、相談があるんだけど」
「えー」
母からの相談内容は聞く前から分かっているらしい。歩は顔をくちゃくちゃに歪めて嫌そうにしたが、そんなくらいじゃこの母はめげない。
「そう嫌がらずにさぁ、ママの相談に乗ってよ。あのね、妻子ある男性と不倫している女が、密会中に妻からかかってくる電話の多さに閉口して『まぁ、あなたの奥さんって、まるでナントカみたいにしつこいのね』って言いたいのよ。このナントカってところは何を言うと思う?」
「んなの、分かるわけねぇだろ。てか、それ俺に聞くのが間違ってるから」
逃げ腰の息子は、こともあろうに俺を話に巻き込んで来た。
「そーいうシーンなら、場数踏んでるパパの方が詳しいんじゃねぇの?」
「いや、俺だって分かるわけねぇし」
俺は普段通りの笑顔で答えたが、心の動揺が多量のパンくずを生み出すという形では表へ出てしまった。食パンを強く握りしめてしまったからだ。
……ははは、なんだよ、この会話。
さっきまで美味しかったはずのクロックムッシュがうまく喉を通らない。この一瞬だけで俺は脇汗びっしょりだ。
そんな俺の目の前で、瑠美子はけらけらと笑っていた。
「パパはダメなのよ、こういう話にはまともに答えてくれないんだから」
「え……」
「だって、パパは昔から国語苦手だもんね」
「……だな」
俺の返事が遅れたのは、ちょうどトマトスープを飲んでいたからだ。
そう。断じて動揺したわけじゃない。
それでも頬が引きつって見えてしまうかも、と恐れた俺はスプーンを使ってカップの底に溜まっているニンジンやセロリの欠片を無心にかき集め始めた。
その間も瑠美子のお悩み相談は続く。
「ずっと考えてるんだけど、いいフレーズを思い付かないのよ。男の方は結構開き直ってる感じね。妻がいることも知った上で付き合ってるんだから、電話に出るくらい構わないだろって。でも女としては、その姿勢がなかなか納得できなくてねぇ」
「ママだったらどう答えるかって考えたら?」
「うーん……でも、ママは不倫なんてバカな真似をする気がそもそもないから、いまいちイメージできないんだなぁ」
「自分で分かんないような話なんて書くなよ」
「でもどうしても書きたくなっちゃったんだもん」
……こりゃ新手の尋問方法か?
俺は自分が余計なこと言わなくて済むように、残っていたクロックムッシュの欠片を無理やり口の中に詰め込んだのだった。
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