母の死

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母の死

私の母は一ヶ月前、事故で突然亡くなってしまった。 穏やかで優しかった母。 泣き虫だった私をいつも支えてくれた母。 私の母は、母方の祖母から受け継いだ多数のビルを所有していて、かなりの家賃収入を得ていた。 そのため金銭的には大変裕福で、私の中に金銭的な苦労をした記憶は一切ない。 しかし私が幼い頃、父は寝たきりとなってしまい、そこからは母の人生は介護一色だった。 母は家政婦を雇うことなく、一人自宅で懸命に父を介護して最後を看取った。 当時まだ母はまだ若かったが、父以外の男性と付き合う事はなかった。 父が亡くなった時も愛おしそうに父の体を入念に拭き、一番お気に入りだった服を着せてあげてた。 父をとても愛していた母は、父がいなくなってどんなに心細くて辛かっただろう。 そんな中でも、私を不安にさせまいと必死に悲しみを堪えていた母。 いつか母に恩返しをしたいといつも思っていたのに、その願いは果たせぬままとなってしまった。 でも母が亡くなる前に、安心させてあげられた事がたった一つだけある。 長年付き合っていた友樹と、昨年ようやく結婚出来た事だ。 友樹とは大学で出会い、かれこれ十年近く付き合ってきた。 しかし、いつまでも籍を入れようとしない友樹との関係は曖昧なままダラダラと続き、いたずらに時が過ぎていた その事をいつも母は心配していた。 「男は何歳でも結婚出来るけど、女はそうはいかない。 若くて綺麗な時期をあんな人に全て捧げてしまって大丈夫かしら」 母は、幾度となく怪訝そうにそんな話しをしていた。 友樹にぞっこんだった私は、そんな母の言葉を聞くたび疎ましく感じて仕方なかった。 確かに友樹は趣味も多くて女友達ともよく出かけていたけど、私は友樹しか目に入らないくらい愛していた。 友樹から浮気の香りがする度に私は寂しい思いをしていたけど、友樹はその不安を打ち消す程の優しさを持ち合わせていた。 どこかに出かけるとお土産は欠かさないし、毎晩のように私を愛してくれた。 どんなに遊んでいても、最後には必ず私のところに戻ってきてくれる。 そんな妙な自信が私を支え続けていた。 時は経ち、友樹が三十三歳、私が三十歳の時だった。 建設会社を経営していた友樹のお父さんが脳梗塞を起こして倒れてしまった。 跡継ぎだった友樹は地元に帰らなければいけなくなり、私に「ついてきて欲しい」とプロポーズしたのだった。 もちろん私はそれを受け入れ、すぐに母に報告した。 それから半年後、私達は式を挙げた。 式の費用はほとんど私が出したけど、そんな事はどうでもいい。 ウエディングドレス姿の私を見た時の嬉しそうな母の表情が今でも忘れられない。 ふと、リビングの壁に飾ってある2枚の写真が目に入った。 1枚は、若かりし父と母が宮崎県を旅行した時の写真。 もう1枚は、飼っていた三匹の犬と一緒に写る父の写真。 宮崎県の海沿いのヤシの木の下で、父に寄り添う嬉しそうな母。 今頃、天国でお父さんと仲良くデートでもしている事だろう。 犬好きだった父は、私が子供の頃広い庭でシェパードを三匹を飼っていた。 父の死後、母の希望もあり犬は三匹とも讓渡し、それ以降我が家では動物を飼った事はない。 懐かしい思い出に浸りながら、私はスマホのスケジュール帳を開いた。 友樹が出張する予定の日にちに赤い印が入っている。 私は、その日に合わせて遺品整理のため実家を訪れようと決めていた。 私には兄弟もいないため、この家に住む者はもう誰もいない。 出来るだけ早いうちにこの家を売りに出したいと考えていた。 思い出の詰まった家を手放すのは寂しい気もするけど、空き家のまま放置していてはご近所に迷惑もかかる。 生前、整理整頓を心がけていた母は不要品などはこまめに捨てており、比較的家の中は片付いていた。 そのため、貴重品を探し出すのに時間はかからずに済みそうだ。 大切な物を取り出したら、あとは全ての処分を業者に任せるつもり。
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