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東京
あの後どうしたっけ、と僕はバスに揺られ少し微笑みながら考えた。
確か極楽湯とかいう大層な名前のスーパー銭湯に行って、二時間くらい語り合ってから出てくると、リンゴ酢をむせながら飲んだ。
そしてそのまま畳の休憩スペースで寝てしまったから、翌朝の点呼に間に合わず二人で怒られたんだったっけ。
「楽しかったなあ」
思わず溢れた言葉に危うく泣くところだった。この程度の感傷で泣いていては何もできない。僕はまだ生きていて、生かされている。
誰の人生なのかわからないものを。そして、思ってはいけないことを不意に考えてしまった。優香に会いたかった。
僕は初めて会ったあの日から、彼女のことが好きだったのかもしれない。しかしそれは現実的な恋だったのだろうか。僕はただ、夢を見ていただけなのではないだろうか。
優香は、僕の胸の中の幸せになるべき人リストの先頭に刻まれている名前だった。だから僕は彼女を自分に巻き込んではいけない。
僕は現実を生きていない。誰にも責任を持てない、屑のような人間だ。だからそんなことは願ってはいけない。
日は上り始めていたが、バスはまだ東京に着かなかった。水がなくなり、喉が渇いた。隣の歯ぎしりはいつの間にか収まっていたが、今度は右前の乗客の鼾がひどかった。
何よりお尻が痛い。体勢を変えようにも動けるスペースが少ない。グーグルマップで現在地から新宿駅までの予想時間を調べる。
まだ一時間二十分はかかるようだ。煙草を吸いたいと思った。煙草を吸う必要はないのに、僕は何故か煙草を吸いたいと思うようになっていた。
そうすれば目の前の不鮮明さや、今の気持ち悪さを煙草のせいにすることができた。それはありがたいことだった。
律儀につけていたシートベルトを外し、小さく伸びをする。どうしてシートベルトなんてしていたのだろう。普通の人みたいに。
普通とはなんだろう。誰から見て?普通なんていう大層なものを作り出したのはいったい誰なのだろう。集団とはなんだろう。社会とはなんだろう。
僕にはわからないものだらけの世界で、どうしてみんな普通に生きていけるのだろうか。
それともみんな、こういう疑問を抱えたまま、それでも生きていける強さを、何か、信じられるものを見つけているのだろうか。
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