東京

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 高校二年の夏休み明け、僕は学校へ行くのを辞めた。理由は自分でもよくわからなかった。とにかく行きたくなかったのだ。それから二ヶ月後、今度も理由なく学校へ行き始めた。その日の駅で、僕は学校を辞めていく小西に出会った。僕らは一年生の時に同じクラスで、彼は冬ごろから学校に来なくなった。いじめがあったわけではなかった。彼が不登校になった理由は知らない。優しい笑顔の、真面目な奴だった。次の日、彼は自殺した。あの日、僕は何を言うべきだったのだろうか。あの時、僕は何かを変えられたのだろうか。いや、何もできなかった。今あの日に戻っても、僕には結局何もできないだろう。学校生活はしかし、それからすぐに何事もなく続けられた。まるで初めから彼が存在しなかったように。休み時間に小テストの勉強をして、テレビの話をして、バンドの話をして、アイドルの話をして。部活では意味のあるのかわからない繰り返しをみんなが真面目にこなして汗を流し、帰りの電車で英単語を覚える。気味が悪かった。そして自分も、そんな気味の悪い人間を演じ続けていた。  何を感じるのが正しかったのだろう。今、僕は何を感じているべきなのだろう。わからない。そして、忘れていく。僕もきっと、多くの人の中から、すでに消え始めているのだろう。僕らは本当に存在するのだろうか。存在するとは、いったいどういうことなのだろうか。何の意味が、あるのだろうか。  バスタ新宿でバスを降り、エスカレーターを降りて朝の新宿駅の前に立った。行き交う人々みんなに尋ねてみたい。どうして生きているのですか?こんなに多くの人が、その答えも持たずに、疑問すら持たずに、生き抜いている。寝起きだからだろうか、うまくピントが合わない。何もかもがぼやけて、ぼんやりとした灰色の波が揺れている。昨日の夜もそうだった。いや、ずっと昔からそうだったような気がする。僕はここに生きて存在しているはずなのに、そこにあるのは僕と何の関わりもない世界だった。もちろん、僕はその中に入り、その機能を利用することができる。しかしそれが終われば、また世界は離れていく。  電車が遅延していた。どうやら人身事故があったようだ。周りの苛立ちが感じられた。やっぱり、そうなのだ。誰かの死に、人は心を痛めるわけではない。ただ、自分の世界の邪魔をされたと感じるだけだ。毎年三万人の自殺者がいるという新聞記事に胸を痛めても、今それを決意して飛び込んだ誰かには苛立ちを覚える。なんだそれは?  死ぬなら独りで勝手に死ねばいいのに。ね、最期まで誰かに迷惑かけるなんて。俺なら誰にも見つからないところで死ぬな。いや死なないでよ私がいるのに。そんな会話を隣のカップルがしていた。しかし、そうだろうか。誰も見つけてくれなかったから、その人は死んだのではないだろうか。誰か一人でも、その人を見つけてくれる人がいたら、死ぬ必要はなかったのではないか。見つけて欲しかったから、信じて欲しかったから、死ぬしかなかったのではないか。わからないが、そんな気がした。どこかがひどく痛かった。しかしそんなことを思う自分は嘘つきだ。本当は何も感じていないし、何も変えられない。誰に対して何を装おうというのか。それでも、その痛みはなかなか治ってはくれなかった。
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