東京

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 中央線で御茶ノ水に着いた。アイドルのライブのために皇太と東京に来ると、僕らはいつもまず聖橋の先の坂を下りたところにある銭湯に行った。この坂から見える朝の景色が僕らは好きだった。線路が街に飲み込まれるように続いていて、その先のビル群を朝の日差しがセピア色に染めている。遠くから見る静かな街の、まだ眠っているような様子が上品だった。寝息さえ聞こえてきそうなビル群を眺めながら、二人で大きな欠伸をして、朝の空気を頬に感じる。そんな瞬間が、僕は好きだった。電車の振動で震える線路の音は、朝の固まった空気と相性が良かった。そんな時は、この世界が鮮明さを増したように感じられたものだ。  僕は立ち尽くし、目の前の張り紙を見つめていた。いつも二人で行っていた銭湯は、閉まっていた。なんでも改装し、別の名前の銭湯に生まれ変わるらしい。思い出の銭湯が、失くなっていた。しばらく呆然とその張り紙を見つめ、やがて僕は駅へ向かって歩き出した。頭が真っ白になった。世界は進み、変わっていく。そのことが、急に恐ろしくなった。過去を抱え、これから山の上に住もうとする僕は、いったいどうなるのだろう。生きたまま、死んだように存在を消されていくのだろうか。その痕跡を。それが怖いのか?それを望んでいなかったか?しかし今は、あまり考える力がなかった。  昼間のニュースで、十代のオリンピック選手が白血病になったことを知った。僕には関係ないことのはずなのに、こんなことを感じるのは偽善に過ぎないはずなのに、その胸の奥の、偽物の痛みを、気持ち悪いと振り捨てることができなかった。才能があって、それ以上に努力をしている人がそんなことになるのに、何もしていない自分がのうのうと生きていることに強い罪悪感を覚えた。こうなるからあまりニュースは見ないようにしているのに、LINEニュースが勝手に情報を提供してくれてしまう。昔からそうだった。当たり前のように日々起こる不幸のニュースに引きずられ過ぎてしまう。そんな必要はないのに。だって、もし今神様が目の前に現れて、彼女の白血病を僕に移してあげようかと提案したら、僕はそれを拒否するだろう。そのくせどうしてこんなことを感じてしまう?偽物の同情なんてナルシストの思い上がりだ。演技に過ぎない。僕は本当は何を感じている?本当に今考えていることは何なんだ?僕は死にたくない。けれど、けれど、こんな世界は間違っている。明日を生きる希望を持ち、正しく努力している人たちの多くが震災で死んだりするこの世界で、どうして僕のような人間が死んだように平和に生きることができてしまう?こんな感情はいかがわしい。それでも内臓が熱く焼かれ捻くりまわされるような気持ち悪さを消し去ることはできない。それは確かな実感として僕の体を蝕んでいた。
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