それから

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「そうなんだろうか。僕にはその実感がないんだ。現在に、目の前のものに夢中になりきることができない。たぶん、暇だからだろう。物心ついた頃から、中学でも、高校でも、大学でも、暇だったんだろうな。勉強していても、部活をしていても、友達と遊んでいても、恋愛していても。何か別のことを考えていたり、どこか別の場所にいるような気がしたり。きっと、何もしなくても生きていけると感じていたから。明日食うものに困るわけでもなく、何かに追われているわけでもなかった。明日が来るって信じきっていて、何もかもが退屈だったんだ。馬鹿だから、そう思い込んでしまっていた。強く、心を捉えるものがない。目の前に何もかもがあるはずなのに、僕は何も見えていなかった。見ようとしなかったのかもしれない。皇太も、そうだったのだろうか。わからない。自分のことさえわからないのに、他人のことなんて理解できるはずがない。けれど僕は、彼を理解しなければいけなかった。彼はそれを僕の中に求めていたのだから。そして僕は、彼を助けることができなかった。いや、そんなことを考えることすら、僕の傲慢さかもしれない。僕に何ができただろう。あの日に戻って、今の僕に何を変えられる?何も変えられない。僕は誰も救うことはできない」  狐は笑って踵を返し、森の中へ帰っていった。雪の上に落ちた煙草を見つめ、僕はどこへ帰ればいいのだろうと思った。行きたい場所も、帰りたい場所も、僕にはもうなくなってしまった。  煙草を拾い、震える唇に咥えた。体が煙草の熱さえ欲するほどに冷え切っていた。ライターの火は、なかなか点かなかった。カチ、カチという音が、闇の中でこだまする。ようやく煙を吸い込んで、傲慢な顔で僕を見下ろすあの月へ吹きかけた。足元の凍った雪を蹴ると、ガラスの欠けらを撒き散らしたような乾いた音がした。見下ろすと、オレンジ色の光に照らされた僕の影が、油のように茶色く濁っていた。消えてしまえ、と誰かが囁く。僕はその影に向かって、火の点いた煙草を投げ捨てた。
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