それから

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 僕はただ逃げ出しただけだ。そしてその先に、いったい何があるというのだろう。何もありはしない。けれど僕は生きている。それが何だっていうのだろう。これは何なのだろう。続いていく、その意味は?そうじゃない。意味だとか価値だとか、そんなものは後付けでしかない。生きているのは今この瞬間、ここにあるはずなのに、僕はいつもそれを蔑ろにしている。どうして今を生きられない?皇太は、その瞬間、今を掴み取ったのだろう。僕はいったいどうすればいい? 「小説を書け。そして、忘れろ」  皇太なら、そう言ったかもしれない。そう、確かに彼は僕の中にいた。優香が正しかった。けれど、僕は彼を忘れない。どうして皇太が死ななければいけなかったのか、僕にはわからないんだ。例えば、こんな会話もありえたかもしれない。 「どうして皇太は死にたいの?」 「俺はただ、自分の存在を信じたいだけなんだよ」 「……君が『自分』と呼称するものはきっと世界中のどこにでも存在するものなんだ。それは絶望ともとれるし、救いととることもできる。『自分』なんてものは存在しないと考えることもできるし、逆にその不特定多数こそが『自分』というものの存在を保証していることになるのかもしれない。僕にとってはさ、皇太は今生きていて、ここに存在する。それが僕にとっての事実だ。そして君がどう思おうと、君以上に多くの人間がそのことを認めたのなら、君はそれを否定できなくなるんじゃない?貨幣価値だってそうだし、飛行機が当たり前のように移動手段になっているのもそうだ。人間が空を飛ぶなんて不自然なものでさえそうやって顔の見えないそこら中の『自分』がいるから肯定されている。みんながみんなおばけが見えるって言い出したら、本当に見えるようになるのかもしれないね。何もかもが何かに取って代わられるものだということはさ、赦しなんじゃない?世界が君を失っても何も変わらないという事実。けれど僕が変わってしまうということもまた事実でしょ。そんな矛盾も赦しだ」 「いや」と皇太は頭を振る。 「それは罪でも罰でも、ましてや赦しでもなく、あたりまえのことさ」  皇太が死んでも、僕は彼を救わなければならない。頭がおかしいだろうか。それでも、僕はそれを選んだのだから、そこから始めなければどこへも行けない。だから僕はこの話を書いた。
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