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「海が見たいな……」
病院から出た杏莉は、ただそれだけを呟いた。
その足で電車に乗り、海辺の町まで行った。二人の間に言葉は無かった。
堤防に座り、二人でただボーっと海を眺める。どれくらいの時間が経っただろう。病院を出たときは真っ青だった空が、いつの間にか赤く染まり、そして、暗くなった。光は、堤防脇の道路に等間隔に立っているいくつかの外灯と月の光だけだった。海が月の光を反射して、煌めいていた。
長い静寂を破ったのは、杏莉だった。
「母親が、急に現われて、あんたも働けって」
沙良は、黙って杏莉の話に耳を傾ける。
「借金があって、水商売やってるんだって。だから、あんたもって……娘なんだからって……」
沙良は、黙ったまま杏莉に寄り添い、手を取った。
「顔も声も忘れていたはずなのにね。目の前に急に現われて、急にそんなこと言われて、意味わかんなくて、憎くて、憎くて……。そんなことさせられるぐらいなら死んでやる、ってカッター振り回して。気づいたら、自分の手首本当に切ってた……」
沙良は、見たこともない杏莉の母親を自分の両親と重ねた。自分たちの親はどうしてこうも自分勝手なのだろうかと。
「母親は、救急車だけ呼んで逃げたみたい。まあ、呼んだだけマシか」
沙良の胸には、憎しみを通り越してむなしさが湧いてきていた。
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