かつては僕も

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「経験から?」 「うん……貸しなさい」 沢木は朋絵からバッグを取り上げると、自分の肩にかけた。スマートな体型だが、やはり男の人なので力がある。重い荷物を軽々と扱うのを見て、朋絵は彼を頼もしく思った。 「そう、経験。かつては僕も、きみと同じように疲れ果てた、顔色の悪い受験生だった」 「本当に?」 それは意外なことだった。 沢木は現在、学芸員として、また研究者として立派に働いている。彼にそんな時期があったなんて信じられない。 朋絵はなぜか、沢木がすんなりとA大に合格し、すいすいと学問を修め、この仕事に就いたのだと思い込んでいる。彼の理知的な雰囲気が、想像させたのかもしれない。 「自覚があるのかどうか知らんが、きみは結構危ない状態だった。ストレスとか、不安とか、負のエネルギーをめいっぱい溜め込んでる。どこかでガス抜きしなきゃ最悪の結果になるぞと、放っておけなかったんだ。だから、余計なお世話をさせてもらった」 「……沢木、さん」 今の発言には思いやりがあった。他人なのに、家族よりもわかってくれている。 「私、深刻そうでしたか」 そこまでの自覚がなかったので、朋絵はびっくりしている。 沢木は頷くと、朋絵のバッグをぽんぽんと叩いてみせた。 「子どもの頃のきみは、荷物なんてひとつも持たず、生き生きと飛び回ってたぞ。ザリガニを一匹釣ってはジャンプして喜び、もう一匹釣っては大はしゃぎ」 「うっ」 朋絵は赤面した。 (そういえば、この人は小学生だった私を知ってるんだ。子どもの頃の、夏休みを思い切り楽しんでいた私を)
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