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untitled – TBD 35
最初にそう呼んだのは誰だったのか、はっきりとは覚えていない。
「サクラザワだからサクラでいいよな」
小さい頃、近所の友達にはケイシ、ケイとかケイちゃんとか呼ばれていたから、中学校で一緒になったクラスの誰かだったと思うが、定かではない。
最初は女子みたいでちょっと嫌だなと思ったが、すぐに慣れた。呼ぶほうには「女子みたい」という感覚がないのが分かったせいもあるし、単純に聞き慣れたということもあるのだろう。何と言っても十代の順応力は大人の比ではない。
そういうわけで中高、加えて大学と、桜澤の呼び名は本名の「ケイシ、またはケイ」から「サクラ」に変わり、それ以外で呼ばれることはほとんどなくなった。家族と、そのとき付き合っている彼女くらい。もっとも、人生で一番長く付き合った由希もまた、サクラと呼んでいたのだが。
「圭史」
土屋の低い声がそう言った途端、入社式の日を思い出した。
折角名前を教えたのに、半分聞いていないような顔をしていた土屋。上の空なのでも聞こえていないのでもなくて、興味がないのだろうという気がした。
半開きだった桜澤の唇の上を土屋の親指が這う。もう片方の手で桜澤のうなじを引き寄せた土屋は、囁くように言った。
「キスしてえ」
一瞬そのまま引き寄せられそうになり、桜澤は慌てて腕を突っ張った。また煙草が床に落ち、そういえばまだ火を点けていなかったとどうでもいいことが頭を過る。
「だから、もうしねえって!」
「何で」
「しねえったらしねえんだよ!」
土屋を突き飛ばして立ち上がり、靴に足を突っ込んで土屋の部屋を飛び出した。少し走ってから足を緩め、溜息を吐きながら立ち止まった。
自分が悪いのだと思う。酔って記憶がないとはいえ、キスをしてくれと言い出したのは自分なのだ。それは土屋に対する思いからのものではなかったし、未来は予測不可能とはいえ、それでもやはり自分が悪い、という思いが湧いてくる。
「くそ……」
夜も遅くて、歩行者はほとんどいない。桜澤は煙草を銜え──そういえば一本無駄にした──火を点けて、深々と吸い込んだ。真っ赤な穂先はまるで燃え上がる情熱ってやつだ。ただ、すぐに冷めて灰になる。
土屋が、「好きだ」と言ってくれたらよかった。好きだからセックスしたいのだと言ってくれたら。そうしたら、多分、理解が容易くなる。
同性だとか、友人だとか、そんなことは後で考えればいいことだ。
身体を繋げた理由、土屋が自分を構う理由が「好き」だからだったとしたら。面倒くさくないとか、そんなふうに言われるのとは全然違う。受け入れるにせよ拒むにせよ、恋愛だったら、こんなふうにこんがらがって動揺することなんかなかったはずだ。
特別なんて言われなければ。
腹の底、臓物を素手で掴まれ撫で回されているみたいな気分にはならなかった。
多分、いい友達でいようぜこれからも、そう言って本気で笑えた。
のろのろと部屋に戻って、電気も点けずにシャワーの湯を出した。
水道代の無駄だと思いながら、お湯を出しっぱなしにしたまま煙草を一本吸って、服を脱いで風呂場に足を踏み入れた。
換気扇を入れていない狭い場所は湯気が籠って視界が悪い。シャワーの下に立ち、うなじにかかる湯が流れ落ちて行くのを感じながら、ゆっくりと股間に手を伸ばした。
「あ──……」
自分でしたことなんて数え切れない。どこを触ればいいかは誰よりも分かっている。そのはずなのに、土屋が触れたように触れたら途端に息が浅くなった。
耳元で囁く声を記憶の中から引っ張り出す。最初にしゃぶられた時のことを思い出したら、脳天まで突き抜けるような快感が背筋を走って膝ががくがくした。
濡れた壁に頬をつけて歯を食いしばる。まるで盛った獣みたいに興奮して、荒い息を吐きながら、一体何をやっているんだと頭の隅で冷静に考えた。
土屋と寝たのはほんの数回。片手で足りるその回数にちょっと驚く。勿論一回につき一回ではないが──何が、とは考えたくない──、それにしても、驚くほど僅かな回数だった。
こんなふうに、鮮明に思い出せるのに。
土屋の声も、指先の動きも、触れる唇も、ぬるつく体液の匂いも、押し入ってくる硬さも、腹の中を拡げられる堪らない感覚も
限界まで膨れ上がった疼きが爆ぜて息が止まる瞬間も
自分のものではないかのように感じる身体から迸る
嬌声も精液も涙も
すべて
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