第3章

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 あの年の春は本当に暖かくて、四月の中旬には河川敷の花たちが開き始めていた。色彩はレンギョウの黄色が一番鮮やかだけれど、私はヤマツツジの色と香りが一番好きだった。ヤマツツジの香りがわからない、という友達もいたけど、私はどんな花の香りよりも好きだった。小学校にあがるまでは、春になると父が毎日のように川原へ連れていってくれた。ヤマツツジの蜜の甘さを教えてくれたのも父だった。 でもあの人に出逢った春に私の大好きだった香りは、ヤマツツジではなくてあの人の香りだった。あずきちゃんパパがつけている香水がシャネルのメンズだというのは、ショップ巡りをしていて判った。けれど、お店で嗅ぐ匂いと、川原で流れて来るあずきちゃんパパの匂いとでは、何かが違うような気がしていた。  だから、私はその匂いを「あずきちゃんパパの匂い」と、名付けていた。 最初に感じるのは刺激的な花の香りだけれど、一緒にいる間にそれはまるでアロマオイルのような、心地よい香りに変わっていった。 私とあずきちゃんパパとの間には、ひとつの共通目標ができていた。 その目標のお陰で、私は遠慮なくあずきちゃんパパに話しかけることができたし、川原で待っていることもできた。 とにかく、一度でいいから、あずきちゃんに飛んでいくディスクを追いかけて、キャッチをしてもらいたかった。その瞬間を逃さず、大げさなほど褒めてあげたら、次からは出来るようになるはずなのだ。それが、父の唯一の教えだった。 でも、そのたった一度が難しかった。
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