第1章

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 私が勤める会社は、札幌駅を挟んで西側にある。 母は、それを考慮して桑園駅近くのマンションを購入してくれたのだ。我が家があるのは、反対の東側だ。 この周辺は開拓使時代に造られたビール工場をはじめとして、古くから工業団地として栄えてきた地域だ。最近では創成川イーストと呼ばれ、再開発が進められている。古くからあった文房具店も和菓子屋も一件また一件と消え、今では高層マンションばかりが建ち並ぶ。 家の一角も、一年ほど前から地上げにあっていた。両隣にあった塗装店と印刷会社は、早々にテナントビルへ引っ越していた。 半年前に店を閉めたとき、すぐに地上げ屋が現れた。「待ってました」と言わんばかりのあからさまな顔に、腹を立てるのも馬鹿馬鹿しく思った。 「ううん、一緒に引っ越す。お母さん、三太(さんた)の散歩はまだ無理でしょう?」 自分の名前を呼ばれて、三太が顔を上げる。ストーブの前でウトウトとまどろんでいたのに、散歩という言葉に反応したのだろう。 母の病院での付き添いは二か月近くに及び、寝心地の悪い簡易ベッドのせいですっかり腰をやられていた。このまま症状が改善しなければ手術を選択しなければならない状況なので、できるだけ安静にしていてほしかった。 「そうねえ、長く続けては歩けないものねえ……三太は待ってくれないし」 母と二人で見つめていると、三太が期待した表情で立ち上がった。パピヨンらしく、両耳をピンと立て、こちらに向けている。 「はいはい、ちょっと早いけど、お散歩に行きましょうか」   三太を抱き上げ、店に繋がる急な階段を降りた。築五十年の店舗兼我が家は、バリアフリーとはほど遠い。片手で抱えたまま事務所を抜け、店に出てから土間へ降ろした。 犬用のダウンを被せてリードを嵌める。三月も終わりに近いけれど、早朝の気温はまだ零度を下回っていた。外に出ると、凛とした冷たい空気が露出する素肌を刺激してくる。 ふと、川原へ行ってみようという気持になった。いつもの公園とは逆向きにリードを引くと、川へ行けると察した三太の尻尾の揺れが早くなった。
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