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『面』、『胴』、『一本』。彼に求められてきたのはそんなものばかりだった。
……確か、その夜は雲一つ無い空、とも言えず、中途半端な天気だったことを憶えている。
「ー以上、礼!」
「ありがとうございましたー!」
門下生たちの元気の良い声が響く。本日の大垣剣道道場の稽古はこれにて終いだった。子供たちが迎えの車に乗ったり、数人で談笑しながら自転車に乗って消えていく姿を入口から見届けた臨時師範代、滝澤空佐は大きな溜息を吐いた。そんな彼の隣に彼より頭一つ低い少女が立った。
「今日も遅くまでありがとう。これ差し入れ」
「……湊。寝てないとダメだろ。まだ体治ってないんだろ?」
「無理してる人に言われたくない。空佐もちゃんと休んで。取り敢えず座ろ」
そう言って滝澤にコーヒーを押し付けた痩躯の少女は大垣湊、滝澤の幼馴染である。端正な顔立ちだが、生来体の弱い彼女は現在闘病中であり、絶対安静を医師から言いつけられている。
「俺はちゃんと休んでるよ。俺の事より自分のことを心配しろよ」
しかし、胡坐を搔きながらそう泰然自若に言い放つ滝澤の身体も既に限界であった。180センチの長身が傍から見ても分かるほどげっそりとしていた。驚異的な身体能力が自慢の彼だったが、ストレスによる体調不良には勝てない。
では、何が彼を苦しめているのかと言うと……。
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