40:赤髪の側近

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40:赤髪の側近

「……は。じゃああの娼婦館にいた男は、今こちらの傭兵なんですか?」  シェラルドはエダンと一緒にいた。  王城にあるバルコニーで一緒に風に当たっている。  二人はいつもの制服ではなく、礼服を着ていた。シェラルドは以前エリノアの誕生祭の時にも着ていた白色の礼服。エダンは魔法兵の礼服なのだが、落ち着いた緑色。これは普段と制服と変わりない。  エダンは苦笑する。 「ああ。クライヴ殿下がそうするって」 「……自分の偽物を雇うというのは」  シェラルドは少し眉を寄せた。 「まぁ相手は雇われてただけのようだしな」  のんびりした口調で言われる。  彼の名前はリオ。傭兵として雇ったようだが、どうやら伝令のような立場にしているようだ。アルトダストとこの国とをつなぐ文書を運んでくれている。アルトダスト側から雇われていたからこそ、相手の事情もよく理解しているだろうとクライヴは考えたようだ。 「そういえばもうすぐだな」 「ですね」  時計を見れば約束の時間だ。  これからアルトダストから王子の側近が来る。  今日城下では、すずらん祭が開催されている。王城のバルコニーからも城下の様子は薄っすら分かる。人が賑やかな様子を感じながら、少しだけ羨ましく思った。 「フィーベルはヴィラと一緒なんだろう?」 「はい」 「いつも祭りは隊で行ってるんだが、イズミは今年別行動らしい。一緒に行く人ができたか」  エダンが少しだけ嬉しそうな表情になる。ヴィラと一緒に行けないことを残念そうにしていたが、それとこれとは別のようだ。イズミはエダンにとって、元隊員であり後輩でもある。誰に対しても相手のことを思えるのがエダンのいいところだ。だから人に好かれるのだろう。 「エダン様、シェラルド様。そろそろ謁見室へ」  マサキが呼びに来てくれた。  互いに顔を見合わせ、頷く。 「アルトダストからお客様がお見えです」  先にドアを開けてメイド長が知らせてくれる。  クライヴは椅子に座り、そのすぐ傍にはマサキがつく。エダンとシェラルドは少しだけ距離を取って並んで待っていた。メイド長がすっとドアの横に動き、頭を下げる。すると一人の人物がゆっくりとした足取りで入ってきた。 (一体どんな人物が)  革命を起こし、多くの裏切り者を殺めてきたのか。  王子は政治を行う上で頭脳を働かせ、実際に実行したのはその側近。女性や子供には慈悲を向けても、男性には容赦がなかったという。これらはシェラルドが最近知った内容だ。それ以外はよく分からない。今日は会える機会をもらった。味方であればさぞ頼もしいが、敵になるとおそらく厄介であろう。だからどんな人物なのか、見定める必要がある。 「――お久しぶりです。クライヴ殿下」 (……え)  思ったより低すぎない声。  目に入ったのは、肩を超すほど長い赤髪だった。  くせがあるのかうなりのあるその髪はまるで獅子のたてがみのように見えるが、あまりにも鮮やかに赤い。まるで熟した林檎のようだ。意志の強そうな大きい瞳は緑色で、真っ直ぐクライヴを見つめている。  耳元には髪と同じく赤い、水滴のような形のイヤリング。肩から靴まである長い白いマントに身体が隠れているように見えたが、真っ黒な制服に身を包んでいるのが分かる。……よく見れば血痕がついていた。黒色で目立たないだけで、微妙に違う箇所がある。 (女性……)  気になることはあるが、一番驚いたのは女性であることだ。革命を起こしたほどの人物なら、勝手に図体の大きい男性だと思っていた。背丈は平均的。細身であるし力があるようには見えない。腰には当然剣を下げている。制服に血痕があるということは、普段から色んな場に赴いているのだろうか。  クライヴはにっこり笑い、その場から立ち上がる。そしてゆっくりとした足取りで彼女の前まで行く。シェラルドを始め、その場にいた者は静かに目を動かした。挨拶のために彼女の前まで行ったのだろうが、身分はクライヴの方が上だ。それなのに自ら向かった。どんな挨拶をするのか、緊張の面持ちで見つめてしまう。 「ようこそ、ユナ殿」  クライヴはすっと彼女の手を取る。  そして手の甲に唇を落とそうとした。  が、ユナは素早くクライヴの手を払う。 「「!」」  シェラルドは腰につけている剣に触れ、エダンは相手を凝視した。相手が何の意図を持ってそうしたのか、もしこちらに不利益な理由ならば、相応の手段を取ることになる。するとクライヴは「待って」と声を出した。二人は静止する。  ユナは落ち着いた様子だった。 「クライヴ殿下は気高き王族のお方。私の手は汚れております。触れることはやめたほうがよろしいと思い、無礼を承知でこのようにさせていただきました」  クライヴは特に表情を変えず聞く。 「どこが汚れているの?」 「私は多くの者を殺めております。国奪還のためとはいえ、多くの血を流したのです。後悔はありませんが、罪であることは理解しております。そんな者の手を取る必要はないかと」 「なるほど」  と言いながらも穏やかに微笑む。  すっと彼女の髪の一房に触れ、軽く口付けた。 「…………」 「綺麗な髪だ。触れてみたいと思っていた」 「お褒めに預かり光栄です」  ユナの顔色に変化はなかった。  クライヴは朗らかに微笑む。 「こうしてまた会えて嬉しいよ」 「以前の交流会では無礼な行いを致しました。申し訳ございません」  ユナは義務的に返す。さっきからクライヴの笑みにも全く動じず(割と女性からはきゃあきゃあ言われるのだが)、無表情のままだ。淡々としている。 「ああ、僕が思わず口説いてしまったことかな。あの時はごめんね」 「え」 「殿下……」  さすがにシェラルドとエダンは若干引く。各国で集まる大事な場面で何をしてるんだ。そして一国の王子がなんという軽薄なことを。  だが、クライヴがそんなことをしたことに驚いていたりする。クライヴは優しいが、誰に対しても平等だ。そして一定の距離を保つ。それは女性に対してもそうだ。一定の距離を保ち、決して親しすぎる関係にはならない。シェラルドは妹姫の側近ではあるが、今まで何度もクライヴを身近で見たことがある。こんな姿は初めてだ。  聞けば交流会の時、初対面にも関わらず口説いて反射的にユナが剣を引いたという。アルトダストの王子とマサキが宥めて一応その場は大丈夫だったようだが。そんなマサキは今、静かではあるが苦渋の表情になっていた。苦労しているのが分かる。 「いいえ。我が国に対して警告を示していたのかと思いましたが、私へのただの好意ならばありがたいお話です」  ユナは淡々と言う。全くありがたそうではない。よく見れば瞳の奥には嫌悪が見えた。……これが嫌われている原因か。クライヴの言葉に動じる様子はなく、これだけで相当しっかりしている人なのは分かる。  クライヴは相手の態度もなんのその、にこにこしたままだ。 「今も気持ちは変わってないよ」 「…………」  ユナは無言を貫いていた。  おそらく本気にしていないのだろう。シェラルドも同じ気持ちだ。本当に好意を寄せているのか、からかっているのか、現時点では判断できなかった。 「フィーベルはどこですか」 「「「!」」」  急に発したユナの言葉に皆が反応する。  一気にその場がしん、となった。  だがユナはそのまま言葉を続けた。 「彼女に会いたいのですが」 「ここにはいない。今日は祭りがあってね、参加しているみたいなんだ」  するとぴくっとユナの眉が動く。 「だからわざわざこの日に会うと指定したのですか」 (え)  だからこの日にしたのか。  「すずらん祭」は国でも有名な祭りの一つだが、この日に客人を呼んだのは少し意外に思っていた。もしかして向こうが日付を指定したのかと思えば。 「じゃなかったら無理やりにでも会うつもりだったんだろう? それはまだ許してない」 「……ただ会いたいだけです。それ以上のことは控えます」 「今は、だよね」  クライヴの声色が変わった。  表情も微笑んだままだが、さっきと違う。  空気そのものを変えた。  するとユナも感じたのだろう。しばらく無言だったが、諦めたのか「では」と話題を変える。 「本日の目的を伝えても」 「いいよ」 「フィーベルを我が国に呼びたいのですが」 「協力してほしいんだっけ」 「ええ。彼女だからお願いしたいのです」 「他に要求は?」 「ありません」 「そう、分かった。条件付きでなら許可しよう。フィーベルが滞在中、僕もそちらに伺いたいと思っている。側近も連れてね。どうかな、王子は許可してくれる?」  ユナは少しだけ黙る。  しばらくしてから口を開いた。 「……クライヴ殿下からの願いであれば喜んで」  するとはは、とクライヴは笑った。 「ユギニス殿は優しいね」 「……クライヴ殿下のことを尊敬していらっしゃるようですから」 「嬉しいな。僕も尊敬している。素敵な方だし、まるで兄のようだと思っている」 「我が主君へありがたきお言葉。代わりに受け取らせていただきます」  丁寧に胸に手を置き、恭しく頭を下げた。  自分の主人に対して深い忠誠心があるのが伝わる。 「それでは、私はこれで」 「もう帰るの?」 「私の義務は果たしました」 「お待ちください」  思わずシェラルドが声を発する。  するとユナはちらっとこちらに目を向けた。 「初めて見るお方ですね」 「ご挨拶が遅れました、シェラルド・タチェードと申します。私は」 「僕の側近だよ」  シェラルドは少しだけ息を呑む。  クラウスはにこっとこちらに笑いかける。 「ね」 「……はい」  有無を言わさない様子だったので頷いた。クライヴはついでとばかりに「隣も僕の側近ね。名前はエダン」と紹介し、エダンはすっと頭を下げた。 「側近殿が、私に何か」 「質問があります」 「どうぞ」 「なぜフィーベルを知っているのですか」  ユナは真っ直ぐこちらを見つめる。  アルトダストがフィーベルを欲しがる理由はなんとなく分かった。だがそれよりも気になっていることがあった。「なぜアルトダストがフィーベルを知っているのか」。  フィーベルの存在は長らく隠されていた。知っているのは王族とマサキ、そして彼女の話し相手でもあったアンネのみ。国内でもそうなのに、どうして国外の人間がフィーベルのことを知っている。  クライヴはフィーベルの魔法について色々調べていた。フィーベルを表舞台に出すようになり、エリノアの誕生祭で姿を見せた。ヴィラも他国の魔法使いと話したと言っている。フィーベルのことだけでなく、彼女の魔法についても多くの者が知ったきっかけとなっただろう。  だがユナは明らかにフィーベルに対して親しげな感情を向けている。先程から呼び捨てだ。誰に対しても丁寧な姿勢なのに、フィーベルに対してだけ違うのだ。まるで分かりやすく示すかの如く。  フィーベルは元々他国の者で、クライヴに声をかけられてここに来た。親しい者はそういないはずだ。他国にいる間、嫌われることの方が多かったと言っていた。両親もいないと。ユナはフィーベルにとってどんな存在なのか。アルトダストとフィーベルは、思った以上に近しい関係なのか。  互いにじっと、視線を逸らさない。  先に口を開いたのはユナだ。 「今この場で話せることはありません」 「……ならばいつ教えていただけるのですか」 「いずれ。クライヴ殿下の側近であれば我が国に来るのでしょう。その時にでも分かるかもしれませんね」  最後はどこか他人事のように言ってくる。だが次にユナは「一つ申し上げますが」と強い口調になった。そして少しだけ目つきを変える。先程までの無感情な瞳から、敵視するようにこちらを睨んだ。 「フィーベルは我が国で暮らす方が幸せです」 「っ……!」  思わず言い返しそうになったが、奥歯を噛んでぐっと堪えた。 「それでは私はこれで。お会いできる日を楽しみにしております」  ユナはクライヴに目を戻し、軽く頭を下げ、今度こそ足を動かす。誰も止めるものはおらず、彼女は部屋から去ってしまう。要件が終われば後は用なしらしい。かなりはっきりしている。  彼女が出た瞬間、マサキとエダンは軽く息を吐いた。ずっと張り詰めた空気のままだったのだ。息をすることさえもしんどかっただろう。だがシェラルドは眉を寄せていた。それを知ってか知らずか、クライヴはあっけらかんと言う。 「綺麗な人だったでしょう?」 「……殿下。さすがに口説いていたとは思いませんでした」  エダンが半眼で言うと、当の本人はあははと笑う。 「いつもあの顔なんだよね。笑った顔を見てみたいものだよ」 「…………」  微妙な顔でエダンは黙ってしまう。 「……なぜ俺を側近だと紹介したのですか」  本当は色々と言いたいことがあったのだが、シェラルドは先にそれを聞いた。クライヴの側近はエダンとマサキだ。自分はエリノアの側近である。  クライヴはあっさり言った。 「シェラルド、君には僕の側近になってもらう」 「……は」 「アルトダストに行くなら僕の側近になった方が行きやすい。妹姫の側近なのに来るだなんてどう考えても怪しいでしょう? エリノアのことはヨヅカに任せよう。それと、夫であることもまだ言わない。何かあった時の切り札にするから」 「…………」 「ユナ殿には嫌われているけど、王子であるユギニス殿下は僕に好意的だ。フィーのことも、王子からの命令なのか、それともユナ殿個人の願いなのかはっきりしない。アルトダストとフィーがどういう関係にあるのか、何を考えているかまでは、僕にも分からないよ。なぜアルトダストがフィーのことを知っているのかは僕も疑問に思っていた。今の様子だと、行くまで何も話してくれなさそうだけどね。フィーはおそらく彼女のことを知らないだろう。親しい人は今までいなかったみたいだから。……だけど彼女が本気なのは間違いない」 「……渡しません」  本当はユナの前で言いたかった。  するとクライヴは微笑んで頷く。 「うん。僕も渡したくない」  この言葉が本気であるのはすぐに分かった。顔は穏やかなままだが、芯のある声色だ。最初ユナがフィーベルに会いたいと言い出した時もすぐに拒絶した。……だからますます分からないことがある。 「……殿下は、ユナ殿を好意的に見ているように感じますが」 「うん」 「なぜ、ですか」  ユナに対して好意的でも、ユナが行おうとしていることに対しては警戒している。それはどこか、矛盾しているように感じた。  クライヴとユナは出会ってまだ間もない。それなのに好意を持てたとして、それはどこを見てそう思ったのか。彼女はフィーベルを狙っている。クライヴにとってもフィーベルは大事な存在のはずだ。だから今まで隠して、守ってきた。そして託してくれた。現に今だって揺るぎなく答えた。だからこそ、なぜ。  するとクライヴは少しだけ遠くを見る。 「なんでだろうね」  その声色は、どこかぼんやりしていた。本当に分からないのか、それともはぐらかしているのか、全く分からなかった。
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