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41:くまのお礼
「そういえばフィーベルさん」
「はぇ?」
すずらん祭の名物の一つ、鈴蘭ハニーフレンチトーストを頬張っていたフィーベルは、食べたまま返事をしてしまう。鈴蘭風味のハニーシロップがたっぷりと使用されており、パンの柔らかさと相まってものすごく美味しい。
元々、鈴蘭のハニーシロップのお店が有名なようだ。このフレンチトーストは城下でも人気のパン屋さんの商品で、ハニーシロップのお店とコラボしてできたらしい。どちらのお店も大盛況で、フィーベル達のようにベンチに座って食べている人も多い。
ヴィラは少し笑った。
「それ、気に入った?」
「すごく美味しいです……!」
「よかった。話戻すけど、シェラルドとはどこまでいってるの?」
思わず咳き込んでしまう。どの流れでシェラルドの話になるのか。慌ててヴィラは背中を撫でてくれる。弁解するように言われた。
「だってさ、二人って夫婦なんでしょ? でも出会って間もなくて最初はぎこちなかったんでしょ? それで今は恋人みたく仲良いんでしょ? だからどこまでいってるのかなって」
「……ど、どこまでって」
そういう話題はよくアンナに振られていたが、まさかヴィラに聞かれるとは。それに夫婦ではあるが本物ではない、ということをヴィラは知らない。何と答えればいいのかと迷った。
フィーベルは恋愛経験が乏しい。何のことを指しているのかいまいち想像できなかったこともあり、小声で聞いてしまう。
「どこまででって、どこのことですか……?」
「え。……昼間にそれ聞いちゃう?」
少しにやっと笑われる。
途端にフィーベルは顔が赤くなる。
「ヴィラさんが先に聞いたのに……!」
「あっはっは、ごめんごめん。でもさ、ほんとに気になってるの。キスはした?」
「え……と……」
したことない。
が、そのまま伝えていいのだろうか。ここは何と言えば正解なのか。アンネがいてくれたらおそらく助け舟を出してくれるのに。フィーベルが微妙そうな顔になったので、ヴィラは目を丸くする。
「嘘。まだしてないの?」
「え、もうしてるものですか……?」
思わず聞いてしまった。
するとヴィラは少し意外そうな顔をする。
「へぇそうなんだ。まだしてないってことは、相当フィーベルさんのこと大事にしてるんだね」
「そういうことなんですか?」
「そうだよ。男ってすぐ女性に手を出すものだから。そうしないってことは」
「普通はすぐ手が出るものなんですか?」
ヴィラは苦笑する。
「……ええと、みんなではないよ。一般論としてね」
「ヴィラさんも経験があるんですか?」
純粋に気になって聞いた。
するとみるみるうちにヴィラの顔色が曇り出す。ぽかんとして見つめると、無表情のまま「ははは……」と鼻で笑っていた。
「ないよ。あるわけない。みんな私のこと女だと思ってないし」
「そんな。そんなことは……!」
フィーベルは慌てて首を振る。
だがヴィラはどこか諦めたように息を吐いた。
「魔法兵団も今や女性が多いけど、私は早めに入団したんだよね。その頃ってほんと男社会で、前にも話したけど馬鹿にされっぱなし。まぁ素行が悪かったせいもあるけど、私も言い返したりやり返したり。身なりもそこまで気にしてないから女性らしくもないし、みんな私を男と思って話しかけているだろうし」
「そんなことないです……! ヴィラさんはお綺麗ですよ。最近さらに綺麗になった気がします。それに、皆さんヴィラさんのこといつも話してるんですよ!」
魔法兵団に正式に入隊してからは、たくさんの魔法兵と関わるようになった。そこでヴィラの話も聞いた。
昔は色々あったようだが、隊長として皆を引っ張る姿に尊敬の念を持つ者もいる。ヴィラは明るくて気さくだ。隊長ではあるが人懐こい面もあるため、他の隊長よりも話しかけやすいところがある。休憩時間、ヴィラに質問している人も多いし、人気者だ。
初めて会った時のヴィラの髪は耳を超えるくらいでかなり短かったが、今や肩につくくらいまで伸びている。短い髪も似合っていたが、髪が伸びたことで柔らかい雰囲気になった。それに、男性の中にはヴィラに好意を寄せている者が複数いるのだ。フィーベルから見ても分かる。時折ヴィラを見つめる視線があることを。だがヴィラは一向に気付かないのか、それに対する反応がない。
化粧はあまりしないようだが元々形のいい眉をしているし睫毛だってかなり長い。着飾れば絶対男は放っておかないとアンネが話してくれたことがある。娼婦館の仕事の時に着たドレスもよく似合っていた。足をかなり出していたが、ドレスに負けず劣らず白く綺麗な足は、見る者を惹きつけていたことだろう。
そういえば、とフィーベルはヴィラの耳元を見た。
彼女はいつも珊瑚色のイヤリングをしている。
珊瑚でできているため色合いは全体的に桃色だが、白が混ざったところもあり、淡い色合いを見せている。それが女性らしいし可愛らしい。
「いつもそのイヤリングはつけているんですね」
「ああこれ? エダンくん……じゃなくてエダン殿にもらったの」
聞けば隊長になったお祝いにくれたのだという。
「その頃は今よりも髪が短くてね。後ろ姿じゃ男に見えるからつけろって」
「そうだったんですか。ということは、もらってからずっとつけてるんですか?」
「え? ……ああそうなるね。最初はなんでこんなのつけないといけないんだって思ってたけど」
耳が重くなるし気になっていたようだが、イヤリングがあると逆に刺激になったようだ。重みもある分、なんとなく責任感も感じたらしい。
「まぁ机仕事からは逃げてたけどね」
あはは、と笑い出す。
フィーベルは微笑んだ。
「今はちゃんと机仕事にも向かってますし」
「前にシェラルドが来た時なんか驚いてたよね。あの顔は面白かったなぁ」
机に向かうヴィラを見て、シェラルドは信じられないものでも見るような顔になっていた。ヴィラは口を尖らせたが、今まで散々シェラルドにも迷惑をかけてきたので、何か言うことはしなかった。
「それにエダン様は、ヴィラさんのことをよく見ていると思います」
エダンはいつもヴィラの一番近くにいた。ヴィラのことをよく分かっている。容姿じゃなくて中身を見てくれている。イヤリングも、ヴィラのために考えて渡したのだろう。当時はただの部下としか思っていなかったようだが、今は女性として意識している。ヴィラの魅力にも気付いているはずだ。
するとヴィラは少しだけ笑った。
「ありがとね。色々言ってくれて」
「私、本当にヴィラさんはお綺麗だと思ってるんですよ」
「もう、はいはい。こんなに真っ直ぐ言われると照れちゃうなぁ」
自分のほっぺを撫でている。
どうやらほんとに照れているらしい。
「私はフィーベルさんの方が綺麗だと思うけど」
「え? いやそんな」
「だってこんなに綺麗な髪色だし、瞳はまるでルビーの宝石みたい。けっこう珍しい容姿だよね」
「そうですか?」
「……そこも天然か」
「天然?」
「んー。そうだなぁ。例があると分かりやすいかも」
と言いつつヴィラはきょろきょろと辺りを見渡す。そして「あれ見て」と指を差した。フィーベルがそちらに顔を向けると、少し先に一人の人物がいた。――真っ赤な髪だ。
「ね。あの人、すごい美人じゃない?」
ヴィラはわくわくした様子で言う。
その人物は白いマント姿だったが、歩いているためかろうじて洋服が見えた。制服なのか、真っ黒だ。そんな地味な格好であるにも関わらず、肩を超すほどある長い髪があまりにも鮮やかだった。赤茶の明るい髪を持つ人は見たことがあるが、あんなにも赤い髪が存在するなんて。
それに、よく見ればかなり整った顔だ。
伏せがちな目元は長い睫毛が上を向いており、時折エメラルド色の瞳を覗かせる。肌は少し日に焼けている自然な肌色で、鼻筋もよく、唇は少し分厚い。耳元には同じ赤色のイヤリングが揺れている。地味な格好よりもドレスの方が似合うだろうと思うくらい、品のある女性だった。
祭りに参加している人達も、彼女と通り過ぎれば即座に振り返っている。赤い髪を物珍しそうに見ていたり、その美しさに思わず足を止める者もいたり。勇気を出して声をかけている者もいたが、軽くあしらっていた。どうやら彼女はそういったことには興味がないらしい。歩くことで髪が揺れ、それがまるで獅子のようにも見える。それほど堂々としていた。
「綺麗な人ですね……」
綺麗なだけじゃない。どこか人を惹きつける。意志の強さがこの距離でも感じられた。目が離せない。
しばらくフィーベルが見つめていると、不意に彼女がこちらを向いた。目が合い、どきっとする。だが彼女はすぐにまた前に視線を戻した。何事もなかったかのように、ただ歩き続ける。
「ね。あんなに綺麗な人見るのは初めてかも」
ヴィラも見とれている。
フィーベルは返事を忘れるくらい、その人物の背中を眺め続けた。
アンネは顔が緩んでいた。
ずっと欲しいと思っていた鈴蘭のハニーシロップが手に入ったのだ。パンに塗るもよし、ヨーグルトにかけるもよし、料理に使うもよし。もちろんそのまま食べるのもよし。どうやって食べようかと想像するだけで楽しくなってしまう。
お店の主人はとても愉快な人で、アンネを見て「おおこりゃ別嬪! おまけしてあげるよ」と言ってくれた。すると主人の奥さんらしき人が「あんた! おまけはいいけどもっと早く手を動かして! 詰まってるから!」と激を飛ばしていた。
慌ててシロップだけでいいと首を振ったが奥さんは優しく「いいのよ。ほらおまけ。恋人と一緒に食べなさい」と鈴蘭のハニーキャンディも袋の中に入れてくれる。恋人じゃないと訂正したかったが、恋人の証でもある鈴蘭のブローチをしているためそれは言えない。ありがたくいただいて会釈すると、夫婦は嬉しそうに手を振ってくれた。
「よかったな」
隣にいるイズミがそう言った。
恋人と間違われてもいつもの無に等しい反応だった。先程まで浮かれているなどと言っていたが、全くその素振りがない。もしやあれは、少しでも気持ちを楽にさせるために言った冗談なのでは。だがいつかハニーシロップを買いたいと思っていた。今回手に入れることができた。祭りに参加できたのはイズミのおかげだ。
「連れてきて下さって、ありがとうございます」
「急に素直になった」
「わ、悪かったですね。生意気で」
むっとして口答えしてしまう。
元々自分の意見ははっきり言う方だ。好意を寄せてくる男性は面倒なので、あまり会話をせずにかわすように心掛けている。普通に接してくる男性にも意見ははっきり言うが、今のようにむっとした言い方はしないかもしれない。というのも、イズミの場合は以前すごい剣幕で言ってしまい、あの流れのまま話してしまっている。しかもイズミはそれに対して怒ったりしない。
だがイズミの方が年上で、身分も上だ。さすがにこのままではよくないと思い一人で反省していると、イズミは拳を作って軽くアンネの額に当ててくる。
「な、なんですか」
「そのままでいい」
「え?」
「無理に自分を作る必要はない。そのままでいい。そのままのアン殿でいい」
「……私、あんまり口がよくないですけど」
「それも含めてアン殿だろう」
「馬鹿にしてます?」
「してない」
「…………」
いつもの言い方だったので、本当に馬鹿にはしていない様子だった。やっぱりイズミは分からない。なにより、どうしてこんなにも構ってくるのだろうか。と聞いても答えないだろう。イズミはそういう人だ。それだけはなんとなく分かった。
二人で歩いていると、アンネはある出店を見つける。
そこは「くま」に関する雑貨を売っていた
大きいくまのぬいぐるみ、くま柄のタオルや靴下、くまのポーチ、くまのぬいぐるみをそのまま小さくしたようなキーホルダーもある。キーホルダーは種類が多いのか、かなりの数があった。
「いらっしゃい。おすすめは鈴蘭の花を持った子よ」
お店の女性がにこっと笑う。
メインはぬいぐるみとキーホルダーらしい。鈴蘭の花を持ったくまが、出店の真ん中に目立つように置かれていた。くまは女の子と男の子と、二種類あるようだ。どちらも仲良く鈴蘭の花を持ち、首元にはそれぞれピンクと青のリボンをつけていた。今アンネ達がつけているブローチと少し似ている。
「ああ、それは恋人用ね。キーホルダーをお揃いにする人もいるのよ」
キーホルダーにも同じく鈴蘭の花にリボン。
アンネはじっとくまを見つめた。
ぬいぐるみのくまも、キーホルダーのくまも、どちらも可愛らしい。つぶらな黒い瞳がこちらを見ている。どの子も顔が微妙に違うようだ。一つ一つが手作りらしく、触れるとふわふわして手触りがいい。思わず何度も撫でてしまった。
「欲しいのか?」
イズミから声をかけられ、はっとする。
くまに夢中になって存在を忘れていた。
「お兄さん恋人? この子に買ってあげなよ」
「じゃあ一つ」
自然な流れで言われてぎょっとする。
ハニーシロップも買ってもらった。期間限定の商品でそれなりに高いからいいと断るも「魔法兵の方が給与はいい」と言われてしまったのだ。大体今着てるローブだって、鈴蘭のブローチだって、イズミが買って用意してくれた。くまの分まで出してもらうわけにはいかない。
「い、いいです。シロップで十分ですから」
「恋人割引するから安心してお嬢ちゃん」
「いやそういうことではなくて」
「いい。気にするな」
イズミはお金を渡してしまう。
「あああ……」
「好きなくまを選んでくれ。好みとかあるんだろう」
「……ありがとう、ございます」
結局買ってもらってしまった。
お金を出してしまったものは仕方ない。それに、選ばせてくれるのはちょっと嬉しかった。くまのぬいぐるみとキーホルダー、どちらにしようかと悩んだのだが、ぬいぐるみだと両手が塞がって何も持てなくなってしまう。持ち運びやすいという理由もあり、キーホルダーにした。
「はいどうぞ。おつりも用意するから待っててね」
アンネが何を買ってもいいように、イズミは多めにお金を渡していたようだ。おつりを用意してくれている間、アンネはちらっとイズミを見る。色んなくまを見ては手に取ったり、撫でてみたり、真顔のままじーっとぬいぐるみとにらめっこしていたりする。端から見ると少し面白い。
思わず笑ってしまいそうになりつつ、アンネはあることをひらめいた。イズミがこちらを見ていないことをいいことに、近くにあったくまを手に取る。
「はいお待たせ。これおつりね」
「あ、あの。これ……」
「ん? それは」
「し、静かに、お願いします」
横目でイズミを見ながら言えば、女性はにやっと笑う。どうやら理解してくれたらしい。そのままおつりと一緒に物も受け取り、アンネはイズミに声をかけた。
「ぬいぐるみにしなかったのか」
「お、大きすぎますから」
「そうか。でも気に入ったものがあったならいい」
「ありがとうございます」
すると小さく頷かれる。
しばらく二人はそのまま歩いていたが、アンネはなんだか緊張してきた。そして早く済ました方がいいと思い、いきなりイズミに袋を渡す。
「?」
「……お礼です」
受け取ってイズミが袋を開ける。
鈴蘭の花を持つ、青のリボンを首に巻いたくまのキーホルダーが入っていた。アンネはピンク、つまりは女の子のくまを買ったはずだ。目を丸くしてしばらくイズミはくまを見つめる。そしてアンネに目を動かした。
「これは?」
「くまです」
「見れば分かる。なぜ俺に?」
「……いらないならいいです」
「いる」
「いるんですか……」
「お揃いだな」
言いながらくまをこちらに向けて小さく左右に動かす。その動きが普段のイズミには考えられず、少し驚いてしまう。と同時に、ちょっと可愛らしくてふっ、と笑ってしまった。
「面白いか」
さらに動きを早くしてくる。
「ちょ、やめてくださいよ。くまが可哀想です」
「そうか?」
やっと動きが止まり、アンネはほっとした。何かお礼をしたいとはずっと思っていて、だがイズミは物欲がないらしい。くまのお店では色々と見ていたこともあり、これなら渡せるのではと考えた。ちゃんと自分のお金で購入し、おつりは返している。
イズミはさっきからしげしげとくまのキーホルダーばかり見ている。物珍しそうに触ったりいろんな方向に動かしていた。
「そんなに珍しいですか?」
「いや、人から物をもらったのが初めてだから」
「え。今までもらったことないんですか?」
「ああ」
少し意外だ。女性にモテるので、何かしら渡されそうな気がするのに。そう言えば「そういうのは全部断っている」と返される。もらっているんじゃないか。
「受け取ったのは初めてだ」
「……そうですか」
(なんで私のは受け取るのよ……)
逆に聞かなければよかった。
「こちらに気を遣ったのなら別に受け取らなくてもいいんですよ」
ちょっと皮肉で言ってしまう。
だがイズミはきょとんとした。
「アン殿からもらったものならいる」
「……なんでですか。他の人のも受け取ってくださいよ」
「アン殿からもらったものなら受け取る」
「……二回も言わなくていいですから」
大きく溜息をつきたくなった。
と、ふと前を見てぎょっとする。
なぜならフィーベルとヴィラの姿を見つけたのだ。
先程からも見知った人が歩いていたので顔を伏せていたのだが、ローブとフードのおかげか上手く誤魔化すことができた。だがあの二人には無理だ。見た目がじゃない。アンネの気持ち的に無理だと感じた。
大体用事で行けないと言っていてイズミと一緒に行っていたとバレたら何を言われるか。別に信用していないわけではないのだが、根掘り葉掘りは絶対聞かれる。そしてイズミは真面目に答えるだろう、意味の分からないようなことを。こちらからすればそれを一緒に聞くのが堪えられない。
「ちょ、ちょっとこっちへ」
「?」
アンネはイズミの腕を取った。
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