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45:愛おしい
「ガラク隊長? 今日は確か遠征だよ。帰ってくるのは数日後じゃないかな」
「そ、そうですか」
教えてくれた騎士にフィーベルは丁寧に礼を伝える。だが内心落胆していた。
最近シェラルドに避けられている。避けられる前までずっと一緒に行動していただけに、周りからも不思議そうな目で見られる。アンネやヴィラからもどうしたのかと聞かれたが、フィーベルはこの問いに関する答えを持っていなかった。
周囲の目はそんなに気にしない。それよりも今の自分の立場に少し焦っている。花嫁の立ち位置としてあるまじき状態であるし、シェラルドのために何もできていない。このままではいけないとガラクに夫婦円満のコツを聞こうとしたのだが、あいにくの不在。
愛妻家でもあるガラクだ。きっと何かいい方法を教えてもらえるだろうと思っていただけに、まさか頼みの綱がいないだなんて。どうしたらいいのだろうか。
フィーベルはとぼとぼと廊下を歩く。
そもそもシェラルドから避けられるようになったのはいつからだろう。なんとなく思い出してみる。
すずらん祭の後。クライヴから命令を受けた後。……その頃からな気がする。すずらん祭の後珍しくすぐに解散となった。クライヴからアルトダストに行くように言われ笑顔で返事をすれば、シェラルドは若干怖い顔をしていた。だが、一体何が決定打になったのだろう。
(……今までは謝ることができたのに)
その機会すら与えてもらえない。
(怒らせてしまったのかな。……それとも、嫌だったことがあったとか)
思えばくまのぬいぐるみをあげた時、少し困惑していた。男性にぬいぐるみなんておかしかっただろうか。やっぱり嫌だったんだろうか。
(あああ……)
考えれば考えるほど落ち込んでしまう。
一体シェラルドは何が嫌だったのだろう。
(……いつもならアンネにも相談してるけど)
今回の場合は原因がまず分からない。その原因を知るのはシェラルド本人のみ。どうしようもない。
フィーベルは少しだけ唇を噛む。
(一緒にいる時間、本当に楽しかったのに)
どこかに出掛けたり、一緒にいる時間が多かった。仕事の後に少しだけ話すだけでも楽しかった。おそらく、一緒にいられるだけで嬉しいのだ。習慣となっているハグも、安心できる温かさがある。日に日に心臓が高鳴っている。それが苦しく感じることもあれば、妙に心地よく感じることもある。その時間も、好きだった。
(その時間が、好き……?)
あまり出てこない単語が出てきて、自分で少し驚いてしまう。だが納得した。そうか。好きなのか、その時間が。シェラルドと一緒にいる時間が、好きなのだ。
「シェラルド様……」
会いたい。心の中で強く思った。
「フィーベルさん?」
急に呼ばれて振り返り、目を丸くする。
そこには、シェラルドの姉であるルカがいた。
今日は淡いグレー色のジャケットに同じ色のパンツスタイル。襟のない黒いシャツを身に着け、首元には細い金のネックレスをしている。初めて会った時から思っていたが、ルカはいつもおしゃれだ。だがそれよりも、あまり似ていないはずの顔立ちなのにシェラルドを思い出し、少しだけ涙ぐみそうになった。
「え、どうしたの?」
少し顔を歪めたのが分かったのか、ルカが慌てる。
フィーベルは何度も顔を横に振って無邪気に笑顔を見せてみる。
「なんでもありません。ルカ様はお仕事ですか?」
「ええ。丁度良かったわ。フィーベルさんに用事があったの」
「私、ですか?」
「そうよ。少し時間をもらえるかしら?」
ルカが優しく微笑んだ。
部屋の一室を借りていたようで、椅子に座るよう促される。大きいテーブルの傍にある椅子に座れば、ルカはその正面に座った。そして言われるままに手を出す。ルカはにこっと笑った。
「シラとは仲良くやってるのね」
「え、そ、そうですか?」
若干ぎくっ、となったのは仕方がない。
こんな状態なのだから。
だがルカに知られるとシェラルドに何かしら小言がいくかもしれない。それは可哀想なので黙っておいた。ルカは気付いていないのか、フィーベルの指にある指輪を見てにこにこ笑う。
「指輪が桃色になってる。仲を深めてる証拠よ」
言われて見れば確かに桃色になっていた。以前は確か橙色だっというのに。赤が一番いいと聞いていたので、あの日よりも良くなっているのだと知り、ほんの少し嬉しくなる。
「今日はクライヴ殿下に頼まれたの。フィーベルさんの指輪が外れるようにしてほしいって」
「え?」
「アルトダストに魔法兵として行くんでしょう? しかも第一王子に気に入られるかもしれないんですってね。だったら指輪をするのはよろしくないわ。既婚者だと思われてしまうから」
「あ……そう、ですね」
クライヴから説明は受けていたのだが、忘れていた。久しぶりにクライヴのために大仕事ができることに、浮かれていたのかもしれない。
アルトダストの第一王子はまだ未婚らしく、女性陣だけで行けば誰か気に入られる可能性もあるのでは、という話になった。それを聞いてアンネは「まぁその可能性はあるでしょうね」と淡泊な反応を示し、ヴィラは「私はないと思いますけど」と苦笑していた。その後エダンが「そんなことない」と強めに否定していたが「うるさい」とヴィラが即座に一蹴していた。
フィーベルはシェラルドの花嫁なのでずっと指輪をつけている。ルカがくれたこの指輪は魔法の指輪であり、互いに「大嫌い」にならなければ外れない仕様になっていた。
ルカは少しだけ呆れた声を出す。
「まさか指輪を外すことになるなんて。クライヴ殿下の命令じゃ仕方ないけど」
「す、すみません」
「フィーベルさんが謝ることじゃないわ。それにシラ、怒ったでしょう」
「えっ?」
怒っているから避けているのか、とフィーベルは少しだけ目を見開いてしまう。するとルカはふふ、と笑って「自分の花嫁が他の男性から好かれるかもしれないなんて、夫としては嫌よね」と付け足して言ってくる。そういう意味か、と少しだけほっとした。
「指輪を外す方法は基本秘密にしてるんだけど、今回は特別よ。フィーベルさん、目を閉じてもらえる?」
「は、はい」
すっと目を閉じれば、指に何か触れた。
水のような、温かい何かだ。
しばらすると指に熱がこもる。と思えばすっと軽くなり、ルカから「いいわよ」と言われた。目を開ければ、あったはずの指輪がない。目をぱちくりさせていると、ルカが「はい」とチェーンにつながれた指輪を見せてくれる。いつの間にか移動している。
「首につけておくといいわ」
言いながら首にかけてくれる。指輪の重さが、なんだか傍にいてくれる安心感をくれた。フィーベルは触れながら「ありがとうございます」とお礼を述べる。
ルカは微笑んだ。
「例えシラとしばらく離れても守ってくれるはずよ。指輪は二つで一つだから」
「はい……」
離れていても、一つ。
今まさに離れているような気がするのだが、指輪が放つ淡い桃色の光が、勇気をくれる。相手の気持ちが冷めているのなら、きっと寒色の光を生み出しているはずだから。フィーベルは少しだけ信じる気持ちを取り戻すことができた。
「ねぇフィーベルさん」
指輪を眺め続けていると、名前を呼ばれる。
そちらに顔を向ければ、さらっと聞かれた。
「シラのことは好き?」
「す…………え?」
一瞬思考が止まる。
さっき一緒にいる時間が好きだと思ったからだろうか。焦ってしまい、すぐに返答できなかった。するとその反応が意外だったのか、ルカはきょとんとした顔をする。
「あら。フィーベルさんのことだからすぐに好きですって言うのかなと思ったんだけど」
「す……あ、はい。す、好きです……」
なぜか小声になってしまう。
なぜ。なぜなのか自分でも不思議だった。
自然と頬に熱が帯びる。なんだか熱い。
ただ好きだと言っただけなのに。
するとルカからまじまじと見られる。
「え……本当に好きなの?」
「え、え? は、はい」
「待ってフィーベルさん。自分の気持ちに正直になって」
手のひらを向けながら言われる。
混乱しながらもフィーベルは答えた。
「しょ、正直ですが」
「いいえ。私がシラの姉だから遠慮してるでしょう。いいのよ、嘘つかなくて。嫌いなら嫌いって言っても私怒らないから」
フィーベルは全力で首を横に振る。
「嫌いなわけありませんっ! 私は」
「じゃあシラのどこが好き?」
「ど、どこ、ですか」
質問が変わった。どぎまぎするフィーベルに、ルカはなんだか楽しそうに笑う。うんうんと頷きながら、分かりやすく伝えてくれる。
「なんでもいいの。性格でも、顔でも。ああここが好きだなぁって思うことがあるなら言ってほしいわ」
「す……きなところ」
好きなのかは分からないが、シェラルドのいいところならたくさんある。優しいところ。すぐに頭を撫でてくれるところ。守ってくれるところ。おそらく自分が暴走してしまうところがあるのに、それを許してくれるところ。勇ましくかっこいい面があるところ。最近よく笑ってくれるところ。ちゃんと叱ってくれるところ。時間をわざわざ合わせて会ってくれるところ。自然に抱きしめてくれるところ。
たくさん、たくさんありすぎて止まらない。フィーベルはとにかく言葉にしようと伝える。言葉になっていないかもしれないが伝える。今まさにシェラルドに伝えたいくらいに。
しばらくするとルカが「ちょ、ちょっと待って」と止めた。
「え?」
見ればルカはきらきらした眼差しを向けていた。フィーベルははっとした。人前でけっこうなことを口走ってしまったような気がして、再度顔に熱が集まる。
「いや、あの……」
別に間違ってはない。
間違ってないのだが。
「フィーベルさん、シラのことすごく好きなのね」
満面の笑みで言われてしまう。
言われてフィーベルは顔を覆いたくなった。
好き、らしい。どうやら。
シェラルド自身が。
フィーベルは居たたまれなくなり、思わず俯いてしまう。だがルカは「きゃあー!」と嬉しそうな悲鳴を上げる。それから色々と、おそらく祝福してくれるような言葉を伝えてくれるのだが、フィーベルの頭には入ってこなかった。気付いた気持ちに動揺し、どうすればいいのか分からない状態になっている。
(……これが)
心臓が何度も鳴っている。
自分でも分かるくらいに大きい音を出している。
人を好きになるというのは、こういう感覚なのか。ということは、シェラルドに抱きしめてもらって感じていていたあの痛いような心地よい音も、この気持ちがあったからなのか。驚きと新鮮さと、色んな気持ちが交じり合う。
分析している間に少しだけ気持ちが落ち着いてくる。そっと顔を上げれば、優しい笑みを浮かべてルカがこちらを見つめてくれていた。何か言わないと、と思いながら何を言えばいいのか分からず、開いた口をまた閉じる。だが相手は待ってくれていた。
フィーベルは、少し間を置いてから聞く。
「あ、あの」
「なぁに?」
「どうして、分かったんですか。その……す、好きって」
「ええ? だってそんなの、分かるわよ」
ふふふふ、と口元に拳を作った手を運ぶ。
ルカはとびきりの笑顔で教えてくれた。
「だってとても愛おしそうに指輪を見ていたもの。シラのこと考えているんだなってすぐに分かったわ」
「……ふう」
フィーベルは自室にいた。
今日の仕事が終わったのだ。
ルカと別れてからヴィラ隊の訓練に参加し、頭の中では様々なことを思いながらも、身体は慣れた様子で動いた。もうすぐアルトダストに行くこともあり、最近は訓練の日々だ。アルトダストは魔法が使える人が多い。何かあっても対処できるよう、ヴィラ隊の連携を深めるためにも行っている。
フィーベルはベッドの上に倒れる。
今日一日で色んなことを知った。
自分の気持ちに気付き動揺していたが、今はだいぶ落ち着いている。……多分、前からそうだったんだろうなとは思う。いつからなのかと聞かれたら、よくは分からないが。
「……シェラルド様が……好き……」
言葉にしてみるとなんだかむずがゆくなって横向きになる。アンネに話を聞いてほしい気持ちがありつつ、恥ずかしくて言えない自分もいる。初めての感覚にどう向き合えばいいのか、分からないのだ。
「……今会えなくて、よかったかも」
自分自身は落ち着いていても、本人を目の前にしてどんな顔をすればいいのか分からない。ついさっきまで会いたいと思っていたのに会えなくてよかったというのはちょっと矛盾しているが。それに、今度会うとき、どんな顔をすればいいのだろう。どんな風に話せばいいのだろう。
(……今までどうやって話してたかな)
それさえも分からなくなっている。
フィーベルはベッドの端に置かれているくまのぬいぐるみと目が合い、思わず起き上がる。すずらん祭で買った、シェラルドとお揃いのくまだ。
「…………」
つぶらな丸い黒の瞳と見つめ合いになる。
そっとくまに触れ、抱っこしてみた。
ぎゅっと抱きしめると、ふわふわの素材が気持ちいい。
「……本物の方がいいな」
と言いながらも目を閉じて再度抱きしめる。
指輪に触れたときのように、フィーベルは愛おしそうな表情になっていた。
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