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46:気付いて
「「…………」」
フィーベルとシェラルドは見つめ合っていた。
二週間ぶりの再会だ。いや、互いに存在を意識していて、遠くで見守ってはいたのだ。ただ直接顔を合わせて会わなかっただけで。
二人は顔を合わせた途端固まっていた。つい最近気持ちが自覚し、そんな中で久しぶりに会う。これが緊張せずにいられようか。例えば片方だけの自覚ならばまだいつもと変わらなかっただろう。
だが会う時は互いに相手への気持ちが強まっていた。
「フィーベルさんどうしたの?」
見つめ合っている中、ひょいとヴィラがフィーベルの顔を伺う。フィーベルははっとし、少しだけ慌てながらも無意識にヴィラの腕を掴み、その場を離れる。
シェラルドに隠れるように小声で言った。
「な、なんで魔法兵団にシェラルド様が?」
「今日の訓練はシェラルド隊と合同だよ」
「え!?」
「アルトダストは魔法兵が多いけど、騎士もいるらしいからね。そこそこ強い人たちと訓練したいって思ってたら、ヨヅカが提案してくれたの。実力は申し分ないし、いい訓練になると思う」
シェラルドとヨヅカは第一王女の側近。隊、とは言ってるが実質二人だけだ。たまに他の騎士を呼んで複数で任務に当たることもあるらしい。そうでなくてもシェラルド隊が優秀なのは言わずもがな。
ヴィラの言い分はもっともで、いつもならすぐに同意する。
が、今日のフィーベルは少し違った。
「そ、そんなの聞いてないです……!」
「ごめんごめん。今週は訓練しか入れてないし、言わなくても大丈夫かなって思ってたんだけど……え、もしかしてシェラルドと喧嘩してた?」
フィーベルは即座に首を振る。
「喧嘩はしてないです」
「ならいいじゃない。どうしたの?」
きょとんとした顔で聞かれる。
フィーベルはうう、と少しだけ眉を下げた。
「あ、やっぱり旦那だからやりにくい?」
「……そ、そうです」
別の理由だがそれっぽい感じのことを察してくれた。もうそれにする。それでいい。ヴィラはフィーベルが仮の花嫁であることを知らない。ここでヴィラにそのことや気持ちを伝えれば、おそらく訓練どころではなくなってしまう。フィーベルは直感的にそう感じた。
「そうだよねぇ」と笑われる。
だがすぐに真面目な顔になった。
「でもフィーベルさん、味方だと思っていた人は時として敵になることもあるよ」
「!」
「私達はこの国を守る存在。心を乱さず、やるべきことをやらないと。いざという時に戦えなくなる」
「……そうですね」
それを聞いてフィーベルは顔色が変わった。
敵はこちらがどう思おうが、奇襲を仕掛ける。そういう存在だ。味方に対して疑いの気持ちを持ちたくはないが、そういう可能性はどうしても出てくる。これは仕事。これから自分はアルトダストに行く。ならばそれだけ備える必要がある。
例え相手がシェラルドであろうと、今は訓練の時間。相手はこちらに容赦のない巨悪の敵だと思わなければ。フィーベルは凛々しい表情になる。
「うん。いい顔」
ヴィラは朗らかに笑う。
フィーベルも少し微笑んだ。
決意を新たにシェラルドに顔を向ける。
と、そこに別の人物の姿があった。
「エダン様?」
見ればシェラルドの側にエダンがいる。
側近になってからはほぼこちらに来ていない。本来クライヴの側にいるはずでは。そう思っていると、ヴィラは明らかに顔をしかめた。
「……ヴィ、ヴィラさん」
ついさっき心を乱すなと言ったばかりなのだが。
ヴィラは大股で二人に近付いていく。
エダンは気付いたのか口元を緩ませた。
「ヴィラ」
「……エダン殿。なぜここに?」
「今日は俺も訓練に参加する。クライヴ殿下からの配慮だ。シェラルド隊と合同訓練だろう? 俺はこちらの隊に入って戦う。長らく副隊長でいたからな。ヴィラとイズミの癖は分かってるつもりだ」
かちん、と何か音が鳴った気がした。
フィーベルがおそるおそるヴィラの顔を見れば、思いきりエダンを睨んでいた。真顔なのもあってかなり怖い。こんなに怖い顔を見たのは初めてかもしれない。思わず後ずさると、いつの間にかいたイズミとぶつかる。
「す、すみません」
「いい。ちなみにあれは気にするな」
「あれ、とは」
「エダン殿がヴィラ隊長を煽るのは今までもあった」
「……あれってやっぱり煽ってるんですか」
すると頷かれた。
「ヴィラ隊長はかなりの負けず嫌いだからな」
元々魔法を使うことに長けており、魔法自体も好きなヴィラだ。それでいて負けず嫌い。特に魔法兵との対戦では負けたくないらしい。それを知ってるが故にエダンもあえて煽ることもあったようだ。癖を分かっている、なんて言われたらそれでも負けるものか、と闘志を燃やすだろう。元教え子のやる気を上げる方法をよく知ってるが、それにしてもかなり火に油を注いでいる気がしてならないのだが。
ヴィラは先程からずっとエダンを睨んでいるが、エダンは笑ったままだ。まるで反応を分かっているように。若干嬉しそうに見えるのは見間違いだろうか。
その間にシェラルドはヨヅカと何やら話していた。どこか焦っているように見える。シェラルドももしかしてこうなることを聞かされていなかったのかもしれない。
「……フィーベルさん、イズミくん」
急に名前を呼ばれフィーベルは「は、はい」と少し遅れたが、イズミは落ち着いて「はい」と答える。
ヴィラは綺麗にこちらに顔を向ける。
その顔はまるで鬼の如く恐ろしい。
「絶対勝つよ」
フィーベルとイズミは同時に返事をした。
今日の隊長はかなり気合いが入ってるらしい。
訓練なわけだが早速対戦の形を取るようだ。
三対三で一度に行う。対戦相手は、イズミとヨヅカ。エダンとヴィラ。そしてフィーベルとシェラルド。という組み合わせ。
フィーベルは少し緊張した。もしかしたら対戦相手は違うのではと思っていたのだが、そうじゃなかった。シェラルドとは所属先がまず違う。実力があることは知ってるものの、どれほど強いのかは検討もつかない。
「イズミ、よろしくね」
「お手柔らかにお願いします」
温和と冷静。
「……絶対負けないから」
「勝てるといいな」
「ぶっ潰す」
本気の声に眩しい笑顔。
どことなく今日のエダンは大人の余裕があるように感じる。ヴィラは相手を睨んだままだ。相当負けず嫌いなのが伝わってきた。それを横目で見た後、フィーベルは目の前の人物に顔を向ける。
なんとなくだが、集中しているように感じた。
こちらも同じく集中力を高める。
シェラルドと戦えるなんて光栄なことだ。主にエリノアに付きっきりなので、訓練に参加することもそうないだろう。この時間を無駄にしないためにも、全力を尽くす。フィーベルは改めて気を引き締めた。
ヴィラは大声で宣言する。
「これより訓練を開始する! 両者最初は武術のみ。危機を感じた場合は武器と魔法の使用を許可する。……始め!」
皆が一斉に動き出した。
イズミとヨヅカは互いに隙なく、俊敏に動いては相対している。互いに静かに、けれど確実に仕留めるつもりで動いている。無駄な動きがないのがさすがだ。
ヴィラはエダンを捕まえようと動くが、エダンは器用にそれを避ける。顔には笑みがあるままだ。余裕があるのだろうが、ヴィラからすればこの状態で笑いかけてくるところに苛立っていた。
そもそもエダンはヴィラよりも背が高い。それでいて手足も長い。少し動いただけでこちらに当たる。そういう意味でも不利なのだが、あえてヴィラは懐に入る形で全速力で飛び込んだ。掴んでくるであろう腕の位置を狙い定め、それを掴んでぶん投げようと姿勢を取る。
と、ここで予想外のことが起きる。
エダンは腕を動かした。ここまでは予想通りだ。払いのけるか掴むかどちらかだろうと思っていると、そのまま抱きしめてきたのだ。
「!?」
急な拘束に驚きつつ離れようとするが、力が強くて解かれる様子がない。こんなことをされたのは初めてだ。新たな戦い方か、と舌打ちをしながら、当たると痛いと言われる足のとある箇所を思い切り蹴る。
「っ!」
拘束が緩んだ。
ついでにエダンの顔も歪んだ。
これは好機、と思って一撃を喰らわそうとするが、エダンの手元が光るのが見えた。ヴィラはすぐに風の魔法を使う。案の定催眠魔法を使ってきたのだが、自分の魔法で防ぐことができた。
ヴィラはむっとする。
「魔法使うの早くない?」
「そっちが痛くするからだろう」
エダンはまだ顔を歪めたままだ。
相当勢いがあったらしい。
ヴィラは鼻で笑う。
「私は拘束されてもすぐに使わなかったけど」
「……少しは意識してくれると思ったんだが」
「?」
「困ったものだな」
今度はエダンから動く。
ヴィラも即座に対応した。
(……早いし、)
フィーベルは苦戦していた。
シェラルドはやはり強かった。動きが早いだけじゃなく、一撃一撃が重いのだ。首元を狙われ、それをかわそうとしたがかわしきれなかった。若干意識が飛びそうになりながらも体勢を立て直したが、こちらの動きが遅れ、次の攻撃がやってくる。かわしたり避けたりするので精一杯になる。
男女で体格差がある、力の差があることは分かっている。分かってはいるが、それでももう少しやれると思ったのに。フィーベルは若干悔しくなる。
フィーベルぐっと奥歯を噛んだ。
「霧!」
辺り一面、霧の世界を作る。
シェラルドは一歩も動かず、目だけを動かす。どこから来るのか見極めるためだ。するとばっとこちらに向かう影があった。
(……なんだ?)
シェラルドはフィーベルの動きが普通と違うことに違和感を覚えた。だが彼女の方が動きが早い。手が顔に伸びる。このまま一発は殴られるかもしれない、と思っていると、相手の指がシェラルドの唇に触れた。
「!?」
(なんで、ここで)
意味は散々説明した。明らかにここでやるような行為ではないと思っていると、フィーベルの顔が近いことに気付く。ラズベリーのように熟した赤がこちらを見つめる。シェラルドは心臓が鳴った。
大体ヴィラ隊と訓練だなんて聞いていない。
魔法兵団に集合するように言われ行けば、ヴィラ隊との合同訓練だったとは。後から来たヨヅカに抗議したが「いやここで訓練することは伝えたよ?」と悪びれる様子もなかった。ついでに「言ったら逃げるか断ってたんじゃないの?」と核心をつく。反論できなかった。
久しぶりに会ったフィーベルは変わらない様子だった。いや、こちらを見て目を見開いた。それはそうだ、散々避けていたのだから。今更ながらに良心の呵責に苛まれる。
だからせめて、この対戦では真面目に、完全に倒すつもりで向かった。これは仕事なのだからと。気持ちなど、どこかに置いておくとして。
「っ……!」
シェラルドは呻き声を出す。
心臓が鳴った一瞬の隙を上手く使われた。フィーベルが膝で突いてきたのだ。触れた箇所は短くとも、その勢いと衝撃がさらに痛みを強くする。唇に触れた瞬間フィーベルの目が少し揺れたような気がしたが、あれも作戦の一部だったんだろうか。
何度も瞬きをしながらシェラルドは相手を見る。
今は瞳に揺れはない。真っ直ぐだ。ただ真っ直ぐ目を合わせてくる。それがとても――かっこいいと思う。シェラルドは距離を一旦取り、今度は自分から仕掛ける。このような状態であるのに、このような状態であるからこそ、フィーベルと対戦できることをどこか楽しんでいる自分がいた。
ヴィラはむすっと不貞腐れた顔になっていた。
その表情と態度は圧勝じゃなかったことを物語っている。現に傍にいるエダンは腕を組んでああだこうだと話していた。大体が助言だろうが、どことなく説教のように見えたりもする。
「イズミ強いねぇ。水の魔法もさすがだったよ」
「こちらこそ、とても勉強になりました」
イズミとヨヅカは互いに褒め合っていた。本当にいい訓練になったのだろう。
シェラルドとフィーベルは、少し距離を取って向かい合っていた。周りから見ても違和感のある距離なのだが、他の者は互いの対戦相手と話している。今不思議に思う者は誰もいない。
(……微妙な距離感だが、それでも)
シェラルドはそわそわしていた。
久しぶりに再会したときはどうしようかと思っていたが、今は別の気持ちが占めていた。とにかくフィーベルを褒めたいのだ。
以前ヨヅカはフィーベルと共に共闘した。その時にヨヅカも褒めていた。ヨヅカは思ったことしか言わない。そんな同期が褒めていたなら本物だろう。その頃から素直に、どんな風に戦うのか見たいと思っていた。
お互い騎士団、魔法兵団で活動していることもあり、フィーベルの勇姿を見る機会は限られる。エリノアの側近なのでなかなか訓練も見られない。だからこの機会はとてもありがたいものだった。
実際に戦ってみて、彼女の運動神経の良さと、身体の細さからは想像できないほどの力があることを実感した。それは日頃から鍛えなければ出せないものだろう。それに、あまり魔法を使わないようにしていた。霧の魔法が主なので直接的に傷つけることはできなくとも、上手く状況を利用していたように思う。
(フィーベルは強い)
シェラルドは年齢や経験により、後輩の指導をすることもある。だから激励も喝も言葉で伝えるようにしている。フィーベルに対してもそうだ。伝えたい。今のシェラルドは、フィーベルに抱く気持ちよりも、感心の気持ちが強くなっていた。
(……き、気まずい)
一方のフィーベルはとてもじゃないがシェラルドの方を見られなかった。どうにかして隙を作りたい一心で、彼の唇に触れた。少しでも怯んでくれたらその機会を狙うつもりだった。
だか思ったより動揺された。その反応にフィーベルも動揺しそうになった。が、これは仕事だと割り切り、すぐに気持ちを切り替えた。その後も魔法を使いながら果敢に挑んだ。
シェラルドに一発食らわせることはできたが、さすが立て直しが早かった。怯むことなくこちらに向かってくる様子に、こちらも怯んでいられなかった。
終了の合図を聞いて動きを止めたが、シェラルドもその場に立ち尽くしたままだった。他の者は健闘をたたえ合ったり、アドバイスをもらったりしている。が、フィーベルたちはただ向かい合ってるだけだ。
真っ先にこの機会を与えてもらえたことを感謝しようと思ったのだが、それよりもフィーベルは自分がしてしまったことを反省していた。いくら隙を作るためとはいえ、無意識に相手の唇に触れるだなんて。絶対シェラルドに怒られる。それに、今更ながらに意識してしまい、顔が上げられない。
「フィーベル」
名前を呼ばれてびくつき、一歩後ろに下がる。
すると慌てて「待ってくれ」と言われた。
「これだけは言わせてくれ。すごくいい動きだった」
「……え?」
予想外の言葉に、ぱっと顔を上げてしまう。すると目が合うのだが、シェラルドはふっと微笑んだ。久しぶりに見る、温かい笑みだ。
「相手に怯まず果敢に挑む姿勢……ヨヅカが褒めてたのも納得だ」
「い、いえ。そんな」
褒めてもらえて嬉しい反面、急なので少し戸惑ってしまう。しばらく避けられていたこともあり、近付いてくることにも困惑していた。
「それに、上手く隙を狙ったな」
「っ!」
顔が熱くなる。
「いい作戦だ。まんまと引っかかった」
はは、と珍しく声を出しながら苦笑される。様子からするに、どうやらお咎めはないらしい。だがそうか、とフィーベルは納得する。
シェラルドは分かっているのだ。自分がそういうつもりでしたわけじゃないことを。動揺したものの、その後の動きですぐ理解してくれた。だから今こうして笑いながら褒めてくれている。
「人によっては使える作戦かどうか分からないが」
「!」
そう、そうだ。誰しも使える作戦ではない。
分かっている。分かっているからこそ。
フィーベルは口が先に動いた。
「あれは、シェラルド様にしかしません」
「は?」
素で言われる。
まるでそう言われるとは思っていなかったように。
その反応に少しだけフィーベルはもやっとした。
少しだけ眉を寄せ、小声で伝える。
「……意味だって、ちゃんと分かってます。分かった上で、してますから」
言い終わってからまたもや顔に熱が来るのを感じ、ばっとその場を駆け出した。
「……え。は」
(いや、そんなまさか)
渇いた笑いを出しながらも、知らぬ間に汗が出てくる。暑い。急に暑くなったのかと空を見上げても、今日はそんなに太陽が出ていない。涼しい気候だ。
シェラルドは誰にも見られないよう、顔をてのひらで隠した。
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