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47:叶うならばいつまでも
「アンネ〜!」
「わ。この感じ久しぶり」
ドアをノックされ開ければ、フィーベルが飛び出してきた。その勢いのまま抱きつかれたのだが、アンネは特に驚くこともなくそれを受けとめる。
「一体どうしたんですか?」
フィーベルの豊満過ぎる身体に内心すごいなと思いつつ、アンネは抱きしめたまま背中を軽くさする。すると相手はぐずるような声を出した。
「……私……私」
「はい。ゆっくりでいいですよ」
すると絞り出すように言われた。
「…………が…………き」
「今なんて言いました?」
おそらく何か言った。言ったのだが全くというほど聞こえなかった。言うつもりあるのか。小声過ぎる。するとフィーベルは勢いよく答えた。
「私、シェラルド様が好き!」
「ああ、知ってますけど」
「知ってますけど!?」
身体が離れ、驚愕の顔を向けられる。
時刻は夜なこともあり、今のフィーベルはアンネと同じ寝巻き姿。ゆるやかなうねりを持つプラチナの髪は今日も美しい。首にはペンダント……のように指輪をチェーンにつけて首から下げている。
アンネはあっさり言い放つ。
「ようやく自覚した感じですか?」
「え、ちょ、ちょっと待って。なんで」
「だって明らかに好きでしょう。今じゃクライヴ殿下よりもシェラルド様の名前が出てますよ。知ってます? シェラルド様の話をされてるときのフィーベル様、すごく嬉しそうな顔してるんです」
「え、そ、そう……?」
フィーベルは視線を少し右上にする。自分の言動を思い出しているらしい。なんとなく納得したのか頷いていたが、しばらくすると首を横にする。
「え、でも、いつもじゃないと思うよ?」
「いつもみたいなものですよ」
「え……そ、え……?」
無自覚であのにこにこ顔だったのか。
とりあえずアンネはフィーベルを椅子に座らせる。
座るやいなや、相手がおそるおそる聞いてきた。
「え、アンネが気付いたってことは、みんなも気付いてるの……?」
「それはどうでしょう。私はなんとなく分かりましたけど」
ヴィラはフィーベルが仮の花嫁であることを知らない。ヴィラのように知らない者からしたらただ微笑ましいだけだろう。だが知っている者たちは気付いているかもしれない。
フィーベルは少し慌てた。
「もしかして、シェラルド様も気付いてるとか」
「……多分あの方は気付いてないと思いますよ」
鈍感だと思う。おそらく自分の気持ちに気付くのも遅いんじゃないだろうか。明らかにフィーベルを大切にしてるのは伝わってくるのに、好意だとすぐに気付かない、もしくは気付いていないふりをしているのでは。
アンネは思い出したように「あ」を口を開く。
「そういえば今日面白い話を聞いたんですけど」
「? なに?」
「フィーベル様、またシェラルド様の唇に触れたんですか?」
「わ――――!!! それ言わないで〜!」
フィーベルは部屋から持ってきた枕を自分の頭の上に乗せ、耳を隠そうとする。何かで覆われた方が隠れてる気持ちになれるからだろうか。
その反応を見て、アンネは察した。
「なるほど。今日の相談はそのことですか」
「…………う、そんな、そんなつもりじゃ……」
ぷるぷると震えて言い訳を述べてくる。
アンネは少しだけ呆れた。
仕事中にヨヅカとたまたま出会い、今日の訓練のことを聞く。そしてフィーベルとシェラルドのことを聞く。それぞれが戦っている最中にその様子を見ていただなんて、ヨヅカも抜かりないというかなんというか。ちなみに対戦相手だったイズミも見ていたらしい。イズミの名前を出された時は少しだけ動揺しそうになったが「へぇそうなんですね」と平然と返したのは自分でも合格点だと思った。
最近フィーベルがシェラルドと会っていなかったこと、そのせいでフィーベルが落ち込んでいることはなんとなく気付いていた。だが相談がなかったので、おそらく自分で考えたいのだろうとあえて触れていなかった。と思えば今日久しぶりに再会したらしい。しかもフィーベルは最近自覚したらしい。色んなことが重なり、一人で抱えきれなかったのだろう。
「シェラルド様、また怒ったんじゃないですか?」
「…………怒らなかった」
「あら」
「……むしろ油断を誘ういいやり方だったって褒めてくれた」
「訓練の時間でしたもんね。さすがシェラルド様。ちゃんとフィーベル様の意図に気付いたんですね」
「……だから私言ったの」
「は?」
先程まで枕を使って縮こまっていたというのに、フィーベルは枕を抱き直し、むっとした。どことなく不貞腐れている。
「ちゃんと意味を分かってやりました、って言ったの」
「……それ、告白しているようなものでは?」
「わ――――! やっぱり!?」
フィーベルは泣きそうな顔になる。
「むしろよく言えましたね……」
アンネはなんとも言えない気持ちになる。フィーベルの性格は分かっているつもりだが、それにしてもなかなかに攻めた発言だ。
「だって、だって……! 作戦だと思われたもん。確かに、確かに作戦だったけど………でも、あんなこと、シェラルド様にしかしないもん」
それ殺し文句なのでは、と内心ツッコミしつつ、アンネはシェラルドの反応が気になった。どんな顔をしていたのだろう。どんな気持ちになったのだろう。告白と捉えるか、フィーベルのことだからただ言っただけだろうと思うか、どちらにしても第三者からするとかなり面白い展開になっている。
すると無意識に少し口元が緩くなっていたのだろう。フィーベルが「笑いごとじゃないっ!」と言いながらまた枕を頭の上に乗せていた。
フィーベルの気持ちを代弁するなら、シェラルドに言ったときは本心だったのだろう。真っ直ぐ、思ったことを伝えたのだろう。そして後から恥ずかしくなってしまったのだろう。
「これからどうするつもりですか?」
「こんな状態じゃ会えないよ……。それに、好きって分かってから、どう接していいかも分からなくなって……」
「恋する乙女ですね」
少しだけ微笑んでしまう。
まさかあのフィーベルがこんな風になるとは、出会った当初は思ってもみなかった。今まで男性との関わりがほぼ無いに等しかったこともあるが、フィーベルはみんなに平等なのだ。みんなを助けようと、分け与えようとする。だけどシェラルドに出会ってからはほぼシェラルドのことしか考えていない。
気持ちも芽生え、顔を真っ赤にさせながらどうしたらいいか悩んでいる。こんな姿を見せられたら可愛いと言わざるを得ない。今すぐシェラルドの前で見せてあげたいくらいだ。
だが一つ、懸念がある。
「フィーベル様、もうすぐアルトダストに行きますよね?」
会えない、と言いつつ本当に日数がない。つまり本当の意味で会えなくなる。アルトダストに行った数日後には会えるだろうが、誰も行ったことがない国だ。正直どうなるか誰にも分からない。
するとフィーベルは勢いよく枕を手に戻す。頭の上に置いていたせいで髪が少しぐちゃぐちゃだ。眉を下げ、本当に泣きそうな顔になっていた。
「……ほんとだ。会えなくなる」
「今のうちに会った方がいいですよ」
「……でも、なんて言えばいいか分からない。…………でも、会いたい」
しばらくして「ううううー」と唸りながら枕をぎゅっと抱きしめる。その後「ハグしたい……」と呟く。なんだか聞いているこっちが恥ずかしくなる。こんなにも求めているのに会えないだなんて。さすがに少し可哀想に思えてきた。
「分かりました」
アンネがきっぱり言う。
「え?」
「私が協力します。アルトダストに行く前に、存分にシェラルド様に甘えましょう」
「甘え……? で、でも、会ってなんて言えばいいのか」
「言わせない空間を作ればいいんです。それに、シェラルド様のことです。フィーベル様のためならきっと我慢できるでしょう」
にやっと笑って見せる。楽しくなりそうだと自分でも思った。フィーベルは少し引いた様子で「アンネ怖い……」と呟いていたが、作戦を考えるアンネの耳には入っていなかった。
「え、シェラルド様……?」
「うん、シェラだよ」
アルトダスト出発まであと二日と差し迫った夜。フィーベルはアンネにとある場所まで呼ばれていた。それは王城の中でもかなり端にある小ぶりの庭園だ。庭園といっても、ベンチが二つほどしかなく、植物と小さい花がいくつか咲いているような状態。端にあるからこそあまり人も来ない。
そこにアンネと、なぜかヨヅカがいた。
そしてベンチに、シェラルドが座っている。
よく見れば頭を下げているようだが、さっきから全く動かない。そっと近付いてみれば、目を閉じていた。そんな状態でも、精悍な顔つきだ。すぐに目を開けて相手を睨むことができそうに思えた。だがフィーベルが近付いても、ぴくりとも反応がない。
「よく寝てるでしょ」
「寝てるんですか?」
「うん。睡眠薬飲んでもらったから」
「なぜ!?」
ぎょっとして聞けば、困った顔をされる。
「最近フィーベルさんとなかなか会えてなかったでしょ。シェラ、また仕事掛け持ちするようになってね。休めって言っても大丈夫って言うし、フィーベルさんからの癒しのハグもないし、どうにも疲れがたまっているように見えて」
労いも込めて飲み物をあげたようだが、そこに睡眠薬を入れたようだ。特に疑うこともなく一気飲みし、そのままこの状態になったのだという。
「……私の。私のせいで」
最近避けていたせいだ。自分の気持ちで色々と頭が追い付かなくなっていた。フィーベルは唖然として猛反省する。するとヨヅカはあはは、と笑った。
「いや、シェラのせいでもあると思うけどね」
「?」
「まぁそんなわけで。もうすぐフィーベルさんはアルトダストに行っちゃうし、シェラも行かないといけない。休んでもらわないと色んな意味で困るんだよね。だからフィーベルさんに癒してもらおうと思って」
「こちらで作戦を練る必要もなかったですね」
アンネが腕組みをしながら言う。
「よかったですね、フィーベル様。出発前に会うことができたし、ハグもできますよ」
「う、うん。……ええと、他には何をしたらいいのかな」
「さすがに寝てる相手にできることは限られてますよね……」
「寄り添うくらいはできるんじゃないかな」
「手を握るとか? 触れ合うだけでもストレス軽減するとか聞きますよね」
二人が次々と案を出してくれた。
フィーベルは頷いた。
「分かりました。やってみます」
「よろしくね。時間が経ったらまた来るから」
そう言うと二人はさっさと行ってしまう。
あっという間にシェラルドと二人きりになった。
フィーベルはとりあえずシェラルドの横に座ってみる。睡眠薬のおかげでしばらくは起きないらしいが、起こさないように細心の注意を払った。案の定、全く動かない。今度はそーっと顔を近付けてみる。こちらがじっと見つめているというのに、全く気付かない。思わず人差し指を出して頬をつついてみる。思ったより弾力があった。それでも起きない。
(……なんだか、変な感じ)
ここまで反応がないのも不思議なものだ。
そういう状況だから当たり前だが。
今度は互いの肩が触れるくらいまで近付いてみる。触れる箇所は温かい。久しぶりに触れることができ、少しだけ嬉しくなった。隣を見れば、すぐ近くにシェラルドの耳がある。
「シェラルド様」
小声で名前を呼んでみた。
だが動かない。
(やっぱり小声じゃ聞こえないよね)
視線を下にすると、シェラルドの膝の上に手がある。日に焼けた、少しごつごつした大きい手だ。フィーベルはそっと手に触れる。温かい。最初は手の甲に触れたが、今度は両手で包み込むように触れてみる。掌は剣だこがあるせいか皮が厚く感じた。日々の努力の賜物だ。
(シェラルド様の手、やっぱり大きい)
両手で包んでも自分の方が手が小さい。何度もこの手で抱きしめられたのだと分かり、少しだけ顔が熱くなってくる。だがすぐに首を振る。今フィーベルがここにいるのは、シェラルドを癒すためなのだ。
どんなにフィーベルが触れても全く起きない。それほどまでに薬が効いているのか、それとも疲れているのだろうか。今度はそっと立ち上がり、シェラルドの目の前に立つ。
そっと座っているシェラルドを抱きしめた。
背中に手は伸びてこない。
当たり前だ。寝ているのだから。
(いつもならすぐ抱きしめ返してくれるのに)
それを少しだけ寂しく思いながらも、久しぶりにこうしてハグできたことで満足感を得られた。直に身体が触れあっていることもあり、シェラルドの呼吸も分かりやすい。定期的に聞こえる呼吸音に、安心して眠っているのを知る。少しでも、元気になってくれたらいい。それがフィーベルの望みだった。
しばらくそのままの姿勢でいる。
すると急に「ん……」と声が聞こえ、はっとする。
身体を離そうとしたが、勢いよく抱きしめられた。と思えば、フィーベルの視界が自分の意図しない方向へと動く。身体が横に倒れていた。抱きしめられ、一緒に寝ている状態になっている。もっと正確に言うならば、シェラルドの上に乗った状態で横になっている。
(え……?)
一瞬の出来事過ぎて何が起きたのか分からなかった。
そっと顔を上に向ければ、シェラルドは目を閉じて寝息を立てている。つまり寝ている。あの一瞬の間に何があったんだろうか。とりあえず起きようとするが、背中に回っている腕の拘束が強い。寝ているはずなのに、しっかり抱きしめている。無理やりであれば解かれるだろうが、それは同時にシェラルドを起こしてしまう。それは不本意なので、フィーベルはそのまま力を抜いてシェラルドの胸元の上にいた。
先程までは自分がシェラルドの役に立てば、と思っていたのだが、なんだか今は少し、緊張する。嬉しい、が、同時に気恥ずかしい。心臓の鼓動もどんどん早くなる。久しぶりのハグのせいか、それとも、気持ちに気付いたせいでよりそう思うのか。
フィーベルはもう一度シェラルドの顔を見る。無防備な寝顔だ。こんな隙を見せることなど、おそらくないだろう。フィーベルはぼんやり顔を眺めた。自然に呟く。
「好きです……」
言った後で慌てて口を閉じた。
いくら相手が寝ているからといって、気を緩め過ぎている。もし本人に聞かれでもしたら、どうする。慌ててどぎまぎしつつも、もう一度相手の顔を眺める。変わらない寝顔だ。どうやら聞こえていないらしい。ほっとして息を吐くと、急にシェラルドの目が開いた。
「…………」
「……フィーベル?」
「…………」
(なんでこのタイミングで!?)
どう言い訳したらいいのか一瞬で頭を動かす。だが駄目だ。何も浮かばない。まず何から話したらいいだろう。こうなっている状態からなのか、それともヨヅカに頼まれたことから言ってしまっていいのだろうか。うんうん唸っていると、シェラルドはぼんやりした眼のまま聞いてくる。
「……夢か?」
「え?」
「なんでフィーベルがここに……」
「ゆ、夢です!」
よくよく観察すればシェラルドはぼうっとしていた。起きたといってもおそらく全部起きているわけではない。夢か現実の区別もつかないのなら、これは夢であると思ってもらった方がこちらとしてもありがたい。すると相手は「そうか……」と言いながら再度抱きしめ直した。
(な、なぜ……)
ここで抱きしめたままなのだろうか。
さっきよりもしっかり拘束されているような気がする。シェラルドの上に乗っている状態だというのに、重くないのだろうか。だがシェラルドはまた目を閉じていた。夢だと分かって再度夢の世界に行ってしまったのかもしれない。
フィーベルであると、だがこれは夢であると、そう伝えたにも関わらずシェラルドはその状態のままでいてくれた。ということは、少しは求めてくれていた、ということだろうか。フィーベルは嬉しくなり、自然と微笑んでしまう。
「……フィーベル」
「は、はい」
呼ばれたので小声で返事をしてみる。
「……どこにも行くな」
もしかしてもうすぐアルトダストに行くからだろうか。それとも夢の中のフィーベルは、シェラルドの元を去っているのだろうか。
「…………」
フィーベルは今、シェラルドの花嫁だ。
だがいつか、もう花嫁をやらなくてもいい、と言われる日が来るかもしれない。今のところそんな様子はないが、今後、もっとシェラルドに相応しい人が現れるかもしれない。
――だが、シェラルドがそう言ってくれるのなら。
「私は、ずっとシェラルド様の傍にいますよ」
フィーベルは本心を伝える。
可能であれば、ずっとあなたの花嫁でいたいと。
「……シェラ。シェラ」
「ん……」
目を開ければ、ヨヅカが傍で立っていた。
どうやら寝ていたらしく、時刻は深夜のようだ。
いつの間にかベンチで寝ていたようだが、寝る前の記憶が一切ない。ヨヅカに聞いても「さぁねぇ」と首を傾げられ、とりあえず部屋に戻ろうとする。
「最近疲れてるように見えたけど、大丈夫?」
「ああ。……なんだか」
「うん?」
「いい夢を見た気がする」
シェラルドは穏やかな顔でそう言った。
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