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57:教えて
(やられた……)
アンネは仏頂面になっていた。
現在一人。なぜこうなっているのか。
話は数十分前に遡る。
ビクトリアと共に用意されていた部屋に向かい、新人メイド達に今まで学んだことや役に立つことを教えていた。最初に頼まれたときは自分で大丈夫だろうかと思っていたが、人に伝えるのは楽しい。みんなが興味深そうに聞いてくれ、自身も改めてメイドの仕事について初心に戻ることができた。
だが急にビクトリアが話を中断する。何かあったのだろうかと思えば、すぐに彼女の傍に熟練のメイド達が並んでいることに気付く。そしてビクトリアの一言で、アンネはもみくちゃにされてしまった。
あっという間にドレスを着せられ、メイクをされ、髪型までセットされる。変身したアンネを見てメイド達はみんな歓声を上げてくれたが、当の本人は全然喜べなかった。
『……私にドレスは不要だと申し上げたのですが』
『クライヴ殿下からのご要望……言い換えますとご命令です。着飾ってほしいと』
それを聞いて思わず唇を噛みたくなった。
はしたないのでやめておいたが。
自分はメイドだ。着飾るなど不要。性格も、そう考えていることもクライヴも分かっているはずなのに、主人はとにかく人を困らせるのが好きだ。命令、と言われたら敵わない。いつもはお願い、と柔らかい言葉を使うのに、ここぞという時は必ずといっていいほど命令と言われる。
今のアンネが着ているのは淡い夕日色のスレンダーラインのドレスだ。全体的に細見でラインに沿った形になっている。裾は長く足元まで隠しており、シンプルではあるが品がある。こういうタイプのドレスは初めて着るかもしれない。
いつもはワンピースのような、ひらひらしたフェミニンなものを着ることが多いのだが、これはかなりシンプルだ。ドレス自体にフリルもリボンもない。だがデザイン的に切れ込みのようなものが入っているおかげか、とにかく身体のラインが綺麗に見える。髪型は編み込みされ、横髪は耳にかけている。おかげで顔がはっきり見える。小さい鎖が連なったネックレスに、同じく小さいオレンジ色の宝石がついた揺れるイヤリングも、ドレスにとても合っていた。
ビクトリアは微笑を浮かべた。
『ラウラ様の見立てです。アンネ様は可愛らしい装いのイメージがありますが、年齢の割にとても落ち着いていらっしゃいますから、大人びたドレスも似合うだろうと。ダンスのお相手がもし年上の方だったとしても、きっと映えるでしょう』
『……ダンスはしません』
『クライヴ殿下のご命令です。楽しんでほしいとおっしゃっていました』
『…………』
『お連れ様も来る予定です。おそらくそろそろ』
『っ! 大丈夫です。一人で行きます』
連れ、と聞いて真っ先にとある人物を思い出す。
アンネはお礼もそこそこに急いで部屋を出た。
で、現在に至る。
場所は聞いていたのだがとにかく広く、会場がどこか分かりづらい。使用人やメイドに聞けばいいのだろうが、さっきから全然人に会わないのだ。長い廊下のようなところを歩いている。もしかしたら道を間違えたかもしれない。
せめて誰か一緒に来てもらえばよかった。あんなに大勢のメイドがいたというのに。彼が来ると思って焦ってしまった。
(……いや別に焦る必要もないけど)
冷静に考えてどうして焦るんだろうか。別に、相手はこちらのことを何とも思っていないだろうし。自分だって別に何か思うことはないのに。今更ながらに先走った。
以前一緒に祭りに行った程度の仲だ。
色々あったものの、互いに楽しい時間だった。その後は特に何もない。たまに見かけると彼が小さく手を振ってくれるようになり、反射でアンネも振り返す程度。それを同僚に見られた時はにやにや顔をされた。やめてくれと言っておいた。
彼は彼で、アルトダストに行くための準備が忙しかった。祭り以来話していない気がする。だからだろうか。久しぶりに会って、何を話していいのか分からない。
「あらあなた。お一人?」
声がかかり振り向けば、ちょうど別の通路からやってきたのか、二人組に出会う。一人は豪華な桃色のドレスに身を包んだ女性。もう一人は背が高いタキシード姿の男性だ。顔立ちがどことなく似ている。
「はい」
返事をしながらちらっと男性を見ると、どこか惚けた顔をしていた。これはまずい。慌てて逸らした。すると女性も気付いたのか、ふふふ、と笑いながら持っていた扇を優雅に動かす。
「ねぇあなた。うちの兄とダンスしてくださらない?」
結構です、と反射で返しそうになりぐっと堪える。
さすがに初対面の人にそんな冷たいことはできない。予想していたが、やはり兄妹か。男性一人に声をかけられるよりはマシなものの、彼女はどうやら兄を応援するつもりらしい。断りづらい。しかもここは他国。自身の対応によっては、イントリックスの印象が決まってしまう。
(……イズミ様に来てもらったらよかった)
他国でも自分の美貌が通用すると思わなかった。彼がいたら何かしら断れるいい方法があっただろうに。自分の意固地なところが悪い方に転ぶ。だが今更どうしようもない。一曲くらい踊った方がいいだろうか。しばらく考えていると、急に背中から冷たい水の感触を得た。
「「!?」」
驚く兄妹と、呆気に取られるアンネ。
おそるおそる振り返れば、いつの間にかイズミがいた。濃い緑色の制服。色は落ち着いているもの式典用なのでいつもより優美で豪華に見える。手には空になったコップを持っていた。
彼はすっと近付く。
「申し訳ありません。手が滑りました。このままではせっかくのドレスが台無しです。すぐにお詫びいたします」
「は。……!?」
アンネが思わず素を出した後、イズミはすぐに横抱きにしてくる。そしてそのまま駆け足で去っていく。兄妹は驚きのあまり動けなかった。
「蒸発」
しばらくしてから降ろされる。イズミの魔法ですぐに濡れた箇所が気体になった。ドレスにも影響はない。それにアンネはほっとする。
「悪かった」
いつもの淡々とした様子だが、しっかり頭を下げてきた。
あの時は驚いたが、彼の意図は分かっている。あのまま普通に助けようとしたら、どういう関係なのかと聞かれていただろう。説明をするのが面倒くさいし、実際ただのメイドと魔法兵。何の関係性もない。そうと分かれば相手が気分を害する可能性がある。ならば事故を装って逃げるのが確実だ。
「助けようとしたんでしょう。分かっています。大丈夫です」
「怒ってないのか」
「イズミ様は余計なことをしない方だって知ってますから」
すると少しだけ彼の表情が緩む。
思わずアンネはそっぽを向いた。
「俺が来ることは連絡していたはずだが」
思わずぎくっとする。
「伝わっていなかったか?」
「…………」
伝わっていたが逃げてしまった、なんて言ったらなぜ、と聞かれてしまう。なぜ……なのかは自分が聞きたい。なんとなく二人きりが気まずかった……なんて言ったらイズミはすぐに離れてくれるだろう。だが先程のことがある。また同じことが起きるのは御免だ。
アンネは話を変えた。
「クライヴ殿下に言われて来てくださったんですよね」
「ああ」
「ダンスのことは聞きましたか?」
「ああ。楽しめと」
「よかったら踊りますか?」
アンネはにこっと笑う。
顔は微笑んでも、実は内心焦っていた。
先程の問いがなんとなく答えづらかった。なので確実性のある話題にする。これならばアンネが誘ったのではなく、クライヴの命令に従わざるを得ない、という方向に持っていける。それにもしイズミが断れば、踊りたくても断られて踊れなかったという口実にもなる。
すると予想外の反応を示される。
「いいのか?」
「え。……ええ、イズミ様がよければ」
(え、踊るの?)
イズミのことだから踊らないと思っていたのだが。人の多いところには行きたがらないし、人と何かするのも好きそうに見えない。ダンスなんて人からの視線を集める。てっきり嫌だと思っていたのに。
するとイズミは急に片膝を床につけた。視線が下になったと思えば、片方の手を胸に。そしてもう片方の手の平をこちらに向けてくる。
「お手を取っていただけますか?」
真っ直ぐ見つめられた。
まるでさながら、王子のように。
そんなことを気軽にするタイプに見えない。だがそれが様になっている。イズミのファンが見れば、みんなきゃあきゃあ叫んでいたことだろう。それはもう喜ばれたことだろう。アンネは少し微妙な顔になりつつ、手をそっと重ねた。
「……よろしくお願いします」
そう答えるので精一杯だった。
胸の鼓動には、知らないふりをしておく。
会場には多くの招待客がいた。
みんなそれぞれ楽しんでいる様子だ。
と、タイミングよくざわざわとした雰囲気を感じとる。視線を動かせば、そこにはアルトダストの王族が揃っていた。ユギニスは煌びやかな服装で、シュティも可愛らしいドレス姿。一歩後ろにラウラが控え、イントリックスの面々もいた。
気品ある笑みを浮かべているのはクライヴ。その隣にはユナの姿がある。彼女はいつもかっこよく制服を着こなしているが、今日は真っ赤なドレス姿。常に凛としているため威圧を少し感じていたものの、今はただの綺麗な女性だ。姫や令嬢にも劣らないその美のオーラは、周りの人達にも十分効果をもたらしている。彼女のことを見つめる目が多くあった。
その後ろにフィーベルとシェラルドが並んでいた。各国の王族と共にいるからか、少しだけ緊張している面持ちだ……と思ったがおそらくそれだけが理由ではないだろう。互いにちらっと目を合わせている。と思えば目を逸らし、また合わせている。それを繰り返していた。見ているこっちが小っ恥ずかしくなるほど初々しい。二人とも互いのことしか見ていない。
この国では久しぶりの再会。互いに話したいだろうが、場所的に難しいだろう。それでも互いの姿を目に映せるだけで嬉しいのか、ずっと表情が緩んでいる。幸せそうな雰囲気に、こちらが当てられそうだ。
「揃ってるな」
イズミも気付いたのかそう呟く。
その後こうも続ける。
「踊ろう」
アンネは一瞬返答に迷う。
苦し紛れに聞いた。
「……イズミ様、踊れるんですか?」
「一応」
即答だった。一応といいながらもはっきり答えてきた時点で踊れるのだろう。逆に「アンネ殿は踊れるか?」と聞かれる。踊れる、と答えておいた。嘘を言っても仕方ない。
「なら問題ないな」
(大有りですけど)
と返したいが誘ったのはこちらだ。今更引き返すのも無理がある。それにクライヴと先程ちらっと目が合った。会場には大勢人がいるというのに、こちらに気付いたようだ。めざとい。命令には従わないといけない。
丁度曲が変わり始め、その場にいた者達も手を組み出す。アンネとイズミも自然に向き合った。ダンスなので当たり前だが、距離が近い。自分より背の高いイズミの顔を見上げれば、ラピスラズリ色の瞳が見える。切れ長の瞳は涼しげだ。
(……顔がいいのよね)
イズミが女性に人気があるのは実力、クールな雰囲気を持っているからだと思うが、容姿も関係あると思う。自身が容姿で苦労してるので人の容姿にどうこういうつもりはないが。だが、瞳は綺麗だと思う。ずっと見ていても飽きない。というのはこういうのを言うのかもしれない。
すると目が合った。
「顔に何かついているか?」
「……いいえ」
(ベタなことを聞かれてしまった)
まさか人に言われる日が来るとは。
それだけ見つめてしまったようだ。
「楽しくないか?」
「え?」
「顔が歪んでいる」
「……元々こんな顔です」
「俺はアンネ殿を怒らせてばかりだな」
「別に怒っていません」
「怒っているように聞こえる」
むっとしてしまう。
そう言われると怒りたくなる。
「私がはっきりした物言いなのはイズミ様もよく分かっているでしょう」
時に穏便に済ませたいが故に自身を偽ることがある。愛想笑いを浮かべたり、相手に合わせたり。だがいつもははっきりと意見を口にする。それを知られている相手には、どうしても強い自分になる。だからきつく聞こえるのだろう。
「意見を口にすることはあっても、感情を出すことはほとんどないように思う」
「……? 感情は出してますよ?」
「本来の感情は出せてないだろう。ベルやヴィラ隊長、同僚の前ではよく笑っているが、それ以外は真面目な表情が多い」
「…………」
本当によく見ている。
よく知っている。
本心で笑うことよりも、相手に気を遣って笑っていることが多いことを。
「アンネ殿を怒らせているのは俺くらいか?」
「は?」
「怒らせることはよくないが、我慢せずに言いたいことを言えていたらいいなと」
言葉に詰まった。
前も似たようなことを言われた。
俺の前では我慢しなくていいと。
なんでそんなことを言うんだろう。なんでそんなにも気遣ってくれるのだろう。何度も考えたこの問いに、答えはあるんだろうか。
アンネは隠すように顔を下にする。
「……イズミ様は、私のことをどう思ってるんですか」
この質問は避けていた。なんと答えられても困ると思っていたからだ。だが、もういいと思った。なんと言われてもいい。ただ今は、知りたい。教えてほしい。
「守りたいと思ってる」
「私が知りたいのはその先の気持ちです」
「アンネ殿が困るようなことは言いたくない」
(なにそれ)
「もうとっくに困ってます」
「なら、その問いに答えることはない」
「答えて」
強い口調で言った。
と同時にアンネは真っ直ぐイズミの瞳を見つめる。
相手は少しだけ目を見張る。
「答えて。教えて。はぐらかさないで」
「…………」
「イズミ様に触れられるのは嫌じゃない。話しかけられるのも嫌じゃない。慣れてないだけなの。どう向き合っていいか分からないだけなの」
アンネは掴んでいる手にぎゅっと力を込める。自分でも分かるほどに震えていた。緊張していた。こんな風に人に言ったことがないから。でもこうでも言わないとこの人は、きっと答えてくれないだろうと思った。
「イズミ様の気持ちが知りたい」
(……告白でもしてる気分だわ)
冷静に自分を客観視していた。だけど本心だった。もう、いつまでも知らないままでいたくない。結局何度も繰り返してしまう。何度も気にしてしまうのだ。イズミから何かもらう度に、嬉しさと、苦しさを感じる。ならいっそ、教えてほしい。答えによってはどうするか、ちゃんと自分で考えるから。
「俺は……」
イズミが何か言いかけたその時。
「きゃあああっ!」
「わぁっ! なんだこれ!?」
はっとして声のする方に顔を向ければ、急に会場全体に煙が発生していた。それだけじゃない、嗅いだことのない、変な匂いがする。アンネは思わず鼻を動かしてしまい、少しだけ気分が悪くなる。身体がぐらついた。
「アンネ殿!」
すぐに抱きしめられる。
顔がイズミの胸元でつぶれそうになるが、煙を吸わないようにしてくれたのだろう。ふわっと、優しい石鹸の香りがした。アンネは瞼が重くなるのを感じながら、イズミの背に手を回そうとした。
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