59:呼ばれた二人

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59:呼ばれた二人

 フィーベルは眠るアンネを見つめる。  煙を吸って気を失ってしまったアンネを、イズミが医務室まで運んでくれた。隣に座る彼は普段と変わらない表情だが、どこか心配しているようにも見える。医師によれば、煙を吸っただけなのでじきに目が覚めるらしい。  どこにも怪我がなくてよかった。傍にイズミがいてくれたおかげだ。魔法でアンネと、周りの人達を守った。 「ヴィラさんとイズミさん、すごかったです」  ついさっきの出来事だ。エダンに大声で名前を呼ばれた後、まずヴィラが瓶に向かって魔法を放った。 『風よ踊れ(ウインド・ダンス)!』  落ちかけた瓶はふわっと舞い上がり、文字通り踊った。魔法のおかげで溢れかけていた液体が瓶の中に戻った。床に広がるのを阻止できたことに、皆が安堵した。 『封じ込めるもの(ジェル・ボール)』  次にイズミが魔法を使い、液体だが水よりも粘り気のある丸いものを生み出す。それは大きい塊で、中に瓶を閉じ込めた。これにより、液体がこぼれる心配がない。イズミの魔法ごと瓶を受け取ったユギニスは、しばらくそれをじっと見つめた後、すぐに使用人に渡していた。無事にあの後、瓶は処分されたようだ。 「仕事で何度も連携を取ったことがあるからだ」  イズミは謙遜するようなことを言う。  だが本当に三人共、とても息が合っていた。  エダンが名前を呼んだたけで、ヴィラとイズミは理解し、行動に移した。咄嗟の判断と柔軟に対応できる能力。一人では決してできない、チームワークの良さだ。 「……エダン様は大丈夫でしょうか」  フィーベルはエダンのことが気になっていた。  瓶を二人に任せたエダンは、逃げようとしたローガンに向かって催眠魔法を放った。ものの一瞬でローガンは眠りの世界に入り、ユナによって拘束された。  その後エダンは身体のバランスを崩し、膝を床についた。慌てて皆が近付こうとすると『来るな!』と叫び、自身の上着の裏から注射らしきものを取り出す。それを勢いよく自身の太ももに突き刺していた。  一瞬痙攣したような動きをしたが、力が抜けたのか、エダンはその場から倒れ込む。動かなくなってから、周りはおそるおそる近付いた。エダンの傍に転がった注射を見れば解毒剤が入っていたようで、おそらく媚薬に対して処方したのだろう。解毒剤に催眠作用はないものの、エダンは意識を手放していた。だいぶ気を張っていたのだ。  ラウラはあの量の媚薬に対して自身を保ったのは驚くべき精神力であると絶賛していた。媚薬の存在を知っていた彼女が言うのだから、よっぽどなのだろう。  問題はその後だ。  意識を失ったエダンをシェラルドが運ぼうとすると、ラウラが慌てて止めた。エダンは一定量以上の媚薬の香りを吸い、しかも液体を被ってしまった。いくら解毒剤を処方したといっても、媚薬の効果は続いているだろうと言われたのだ。しかもこの媚薬を服用した人は、触れた相手をすぐに好きになってしまうという。  それを聞いたシェラルドは目が点になっていた。  にわかに信じられない様子だった。 『そう言われても……俺は男ですし』 『この媚薬に男性も女性も関係ないですわ』  あっさりとラウラが言った。  微笑みながら自分の手を頬に添える。 『男性同士の絡みを楽しみたいと思われる方も中にはいますわ。エダン様とシェラルド様なら、お顔立ちも凛々しいですし私は見てみたいですわね』 『…………』  シェラルドは渋い顔になっていた。  性別は関係ない、しかも触れた相手を好きになる、ということは、もしかしてローガンにも当てはまっていたのだろうか、とフィーベルは思わず口にした。タイミング的にそうなる可能性があった。  すると周りはぎょっとする。  ラウラはにっこり笑って大きく頷いた。さすがのフィーベルも、それはなかなかにすごい絵面になってしまうのでは、と思った。エダンもそれが分かった上で、いつもより気を張っていたのかもしれない。  魔女の媚薬は特定の相手だけでなく、不特定多数にも大きな影響を与えてしまうようだ。それを聞いてしまうと、誰も迂闊にエダンに触れることができなかった。女性は当然のこと、男性は男性で危険そうだ。 『あの』  そんな中、ヴィラが小さく手を挙げる。  一斉に注目の的になった。 『私の魔法で運びましょうか。一人くらい余裕です』 『確かにヴィラさん、浮かせることができますね』  浮遊の魔法が使えるアンダルシアがいたら、この場で重宝されていたことだろう。それでもヴィラの魔法なら、手を触れずにエダンを運ぶことができる。他にいい方法がなかったこともあり、ヴィラは魔法を使った。  どこに運ぼうかと迷っていると、ラウラが案内人を買って出てくれる。この媚薬にはいくつかの注意点があるらしい。二人はそのまま一緒に行ってしまった。  流れ的にヴィラがエダンの世話をするのだろうと、誰もが予想した。媚薬の効果的にどうなるか分からないが、ラウラもいる。それに、ヴィラが一番適任だ。エダンと付き合いが長く、彼のことを一番分かっている。  イズミも同じことを思ったようだ。  特に心配していなかった。 「あの二人なら大丈夫だろう」 「そうですね」  フィーベルは小さく笑った。  と、ふとある光景を思い出す。 『ユギニス殿下』  ユナの静かな声。  彼女はローガンの首元に短剣を向けていた。  そして容赦なく言い放った。 『殺しますか』  綺麗なドレスを身にまとっているが、目は据わっている。側近の顔になっていた。イントリックスの面々が固唾を飲んで見守っていると、ユギニスはしばらくしてから首を振った。 『……いや。客人の前だ。わざわざこの場で血を流す必要はない』 『しかし』 『無論殺してやりたい』  強い口調だった。  背中が痺れるほどの感情が見えた。  大事な妹を傷つけた相手だから……という理由もあるだろうが、おそらく、それだけじゃない。アルトダストの人達は優しい人ばかりだ。だが、国を取り戻すために色んなものを犠牲にしてきたように思う。詳しいことまでは聞いていないものの、ユナとユギニスの迷いのない強い瞳には、必ず国を奪還するという一つの目的のためにここまできた強さがあるように感じた。  ローガンは革命を起こす際に協力してくれたようだ。その時はおそらくいい関係を築いていた。だが相手は、自分の欲に走ってしまった。それにユギニスはどうしようもなく怒りがあるように見えた。  裏切り者は決して許さない。  その意味を、深く理解する。  その後ローガンはひとまず牢に入れられることになった。  今にも殺してしまいそうな勢いだったユナは、ユギニスの決定にあっさり剣を引いた。主人の命令ならば忠実に守るようだ。ユギニスはクライヴに向き直り、後処理があるから先に部屋に戻ってほしいと断りを入れていた。せっかくのパーティーを台無しにしてしまったと、謝罪までしてくれた。 『それは構いません。僕達にできることは?』 『十分だ。ローガンを捕まえ、この場の混乱を防いでくれたこと、感謝する。イントリックスには恩をもらってばかりだな』  ユギニスの声色は穏やかだった。  クライヴは小さく頷く。労いを込めたような行為に、ユギニスが嬉しそうに頭を撫でていた。まるで弟にするように。  クライヴはシェラルドと一緒に部屋に戻った。フィーベルはイズミと共にアンネに付き添うことを選び、今こうしてこの場にいる。  ここ数日、目まぐるしいほどに色んなことが起きている。それでも、アルトダストが望む願いを叶えられている。そのおかげでこのように、王族との信頼も築けている。両国にとっていい流れであると感じた。 (……そういえば)  フィーベルがお願いされたことは三つあった。一つは自身の霧の魔法について伝えること。次に、魔法を封じ込める宝石について調べること。あと一つ、まだできていないことがある。 「フィーベル様」  そっと医務室に入ってきたのはビクトリアだ。  どうやらあの後、色々落ち着いたようだ。 「ユギニス殿下がお話されたいそうです。今よろしいですか?」  ダンスをした時、二人きりで話したいと言っていた。  フィーベルは頷きながら「はい」と返事をした。  アンネはふっと目を覚ます。  いつの間にか横になっていた。  ゆっくり首を動かせば、イズミが座っているのに気付く。目が合ってしまい、少しびくついた。いたのが彼だから、というのもあるが、寝顔を見られてしまったからだ。恥ずかしい。 「すまない。守れなかった」  急にそんなことを言われる。  アンネは眉を寄せた。 「イズミ様が謝る必要はありません」 「だが、」  呆れてしまう。 「守ってくれたでしょう」  前々から思っていたが、イズミは細かいことにこだわり過ぎだと思う。煙を吸ってしまったのは自分だ。その後守ろうとしてくれた。そのおかげで今、自分はここにいる。それで十分なのに。  アンネは上半身を起こした。 「私が寝ている間、どうなったんですか」  話題を変える。イズミはまだ何か言いたげだったが、説明してくれた。思ったより色んなことが起きていたようだ。媚薬の話は思わずきょとんとしてしまう。しかもヴィラがエダンの世話をする流れになっている。 (……ヴィラ様、大丈夫かしら)  いい意味でチャンスなのではと思いつつ、少しだけ心配になる。ヴィラは大人なこともあり、色んな意味でそこそこの知識がある。だがおそらく、色恋沙汰には慣れていない。  エダンのことが好きであるのに逃げているし、その他の視線には気付かない。自分に自信がないのだ。隊長に抜擢されるほど実力があるということは、それだけ周りから注目されているということ。女性らしい柔らかい雰囲気だって持ち合わせているというのに。長らく男性だらけの厳しい環境に慣れてしまったせいなのかもしれない。  だからこそ媚薬を服用してしまったエダンに、ちゃんと対処できるのだろうか。話を聞く限り、エダンの理性は相当なものだ。間違っても何か起こることはないだろうが、何かあった時が気になる。どちらにせよ、こちらがケアをしなければ。 「アンネ殿」  名前を呼ばれて顔を見る。  考え事をしていて、彼のことを忘れかけていた。 「ダンスの時に話したことだが」 (え、今?)  ぎょっとした。  あの時、自分のことをどう思っているのか、教えてほしいとイズミに聞いた。必死に伝えていた際に煙が発生し、話が中断した。知りたいと思っていたが、まさか今話すつもりか。起きたばかりだし、ヴィラの方が気になる。返答によってはショックを受けてしまうかもしれない。何に、と言われると何も言えないが。  イズミが口を開こうとする。 「ま、待ってください」  慌てて止めた。 「……今は、ちょっと」 「聞きたいんじゃないのか」 「聞きたいですけど、でも今じゃないです」 「なら、いつ」 「……ヴィラ様とエダン様のことが、解決したら」  言葉が出てこなくて、そんな言い方になってしまう。言った後で、これじゃいつのことなのか分からないじゃないか、と自分でツッコミを入れたくなる。媚薬のことが解決したら、という意味で言ったのだが。  するとイズミはあっさり頷いた。 「分かった。じゃあその時に」 「…………」  本当に分かっているのか。今までこちらが散々聞いても何も言わなかったくせに。開き直ったのか、今はすぐにでも伝えようとしてきた。かと思えば、こちらの意図を汲んで別の機会にしてくれる。何なんだ。 「……イズミ様、私に甘すぎませんか」  するとふっと笑われた。 「光栄だな」 「意味が分からないんですが」 「そのうち分かる」  むっとしてしまう。  なんだその期待させる様な言い方は。  見つめてくるイズミの瞳が優し気になった。  居たたまれない気持ちになり、思わず視線を逸らした。 「何もしないとなると、暇だねぇ」  部屋でクライヴが呟いた。 「そうですね」  シェラルドは答える。  現在クライヴに用意された部屋で待機している。さすが王子向けの部屋だからか、自分達よりもかなり広く、一つ一つ凝った代物が置かれてある。 「でもマサキの小言がないのはいいね、静かで」  事務官であるマサキは、性格なのもあるだろうがかなりてきぱきしている。時に部屋から抜け出すこともあるクライヴに対しても厳しい。それがないのをいいことに、今のクライヴはだいぶのんびりしている。マサキの苦労が分かった気がする。  クライヴはちらっとこちらを見る。 「ごめんね、側にいるのがフィーじゃなくて僕で」 「殿下の側近なら当然です」 「本来の側近であるエダンは身体を張ってくれて、イズミは躊躇なくアンネの方に行ったけどね」  そう言われると確かに。エダンはいいが、イズミは自分の気持ちに忠実過ぎる。とはいえ、アンネを守れと言ったのはクライヴだ。ということは、命令には従っているわけである。……フィーベルも躊躇なくアンネの見舞いに行ってしまった。寂しくないと言えば嘘になる。別れる前にちらっと目は合わせてくれたので良しとするが。  とはいえ、今主人と二人きり。  シェラルドは真っ先に聞きたいことがあった。 「なぜユギニス殿下にフィーベルを薦めたのですか」 「あ、やっぱりそれ気になった?」  悪びれる様子もなく笑われる。  こっちの気も知らないで。へらっとした様子が、ちょっとだけ腹が立つ。なんてこと、絶対本人には言えないが、いらっとしたのは事実だ。むっとしたまま再度聞く。 「なぜあんなことを?」 「フィーにならさ、なんでも話したくならない?」 「は?」 「あれだけ純粋な人ならさ、些細なこと、大事なことも全部、話せちゃうような気がするんだよね」 「……それは」  分からないこともない、かもしれない。  フィーベルならおそらく、どんなことでも真剣に、真っ直ぐ話を聞いてくれるだろう。その上で、どうしたらいいか、考えてくれるだろう。どんなに些細なことでもおそらく馬鹿にしないだろうし、重要なことであっても、なんとしてでも助けてあげようとするだろう。そんな人だ。 「アルトダストの王族には、彼女のような存在が必要だと思ったんだ」 「……王族、ですか」 (ユギニス殿下だけではなく?)  そんな疑問がちらっとよぎる。  妹であるシュティはフィーベルのことを気に入っている様子ではあったが、必要な存在かと言われると首を傾げる。彼女にはすでに傍にいるように感じた。 「だからまずは第一王子であるユギニス殿下に。彼が一番抱えているからね」  遠い目をしながら、少し柔らかく、だけど寂し気に微笑んだように映った。クライヴには一体その目に何が見えているのだろう。まるでこの国のことを、ユギニスのことをよく知っているような口ぶりだ。実際交流はあるものの、この国に来たのは初めてのはず。 「殿下、」 「失礼します」  声をかけようとすると、ドアが開く。  そこにはラウラとイズミ、アンネの姿があった。  クライヴは嬉しそうに立ち上がった。 「アンネ! 身体はもういいの?」 「はい。ご心配をおかけして、申し訳ありません」 「元気ならいいんだよ。よかった。ダンスしてたね。少しは楽しめた?」 「はい。ありがとうございます」  少し苦笑していた。  煙を吸って倒れていただけのようだ。  身体はなんともないらしい。  フィーベルがいないことに気付き、シェラルドはイズミに聞く。ユギニスに呼ばれたようだ。本当に二人きりになったのかと、少しだけ気になった。クライヴの口ぶりからすると理由があってそうさせたようだが、それでも一人の男として気になってしまう。何もないといいのだが。 「あの、クライヴ殿下。ヴィラ様のこと、聞きました。どうなるかは分からないですが、同じ女性として、ケアはしたいと思っています。おそらくずっと気を張った状態だと思うので」 「解毒剤を服用されておりましたが、魔女の媚薬は効果が強いですわ。あの量の媚薬でしたらおそらく一日はあのままかと。今は寝ているので、心配することはないと思います。明日には抜けるかどうか……ですわね」  ラウラも補足説明をしてくれる。  一応媚薬の説明をした後、ヴィラに任せたようだ。媚薬を服用してしまった人にたくさんの人が傍にいるのはよくないらしい。今エダンは寝ているが、起きたらどうなるのか見当もつかない。ラウラは「ヴィラ様なら大丈夫ですわ」と穏やかに笑っていた。そう信じたい。  クライヴは話を聞いて頷く。 「ヴィラのことはアンネに任せるよ」 「分かりました。色々と準備をして参ります」 「私もお手伝いいたしますわ」 「お願いします」 「ああそれと、シェラルド様」  ラウラがこちらに声をかける。 「シュティ様からお話があると。客間に移動していただきたいのですが」 「……もう大丈夫なんですか?」  大粒の涙を流していた。震えていたことを思い出すと、過去に色々あったようだ。辛いこともあっただろうに、普通に話せる状態なんだろうか。ラウラはいつもの様子で返答する。 「落ち着いております。シュティ様はこの国の王女。いつまでも泣いている少女じゃありませんわ」  そう言われるとこちらは何も言えない。  シェラルドはちらっとクライヴを見た。  傍を離れても大丈夫か、気になったのだ。   「僕にはイズミがいるから大丈夫だよ。行っておいで」 「畏まりました」 「案内の者はすでに用意しております」  ラウラは部屋のドアを開ける。  そこには使用人が一人待機していた。  シェラルドはその者について行く。  ……今更だが、一国の王女が側近の自分と何を話したいというのだろうか。クライヴは呼ばずに自分だけ、というのも気になる。だがクライヴは特に気にしていない様子だった。ならば、特に警戒する必要もないということだろうか。  シェラルドは眉を寄せたまま、歩き続けた。
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