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62:幸せな姿を
フィーベルはビクトリアと共に長い廊下を歩いていた。左には背丈ほどの大きな窓が並んでいる。パーティーは夕方から開始されたので、今やだいぶ日が暮れていた。鮮やかなオレンジと、夜の気配を感じさせる濃い藍色が混ざり合っている空。城や付近は灯りが煌々としているからだろうか。城下に立ち並ぶ屋根の部分がいくつも見えた。
目を城の内部に戻す。
アルトダストの城の内部は、本当に細かいところまで装飾が施されている。柱や壁、カーテン、飾りのリボンですら質がいいのか光の当たり具合で輝いている。そういえば一つ一つの部屋にも、こだわり抜かれた家具が並んでいると思った。
なにより、部屋数が多い。
今向かってる客間も、いくつか部屋があるようだ。広大な土地を待つアルトダストらしいといえばらしい。実際城を見た時も、自国であるイントリックスより縦にも横にも大きいと思った。フィーベルが感嘆の声を何度も出すので、ビクトリアが自然とアルトダストの話をしてくれる。
土地があるから大きく造った、というよりは、元々アルトダストは人との交流を大切にしていたらしい。今から約二十年ほど前には、他国の者を呼んだこともあるようだ。客人のために部屋を増やし、自然と城が大きくなったとか。とはいえ、他国を招き出した直後に内戦が起こって王族が追われることになったというのだから、何が起こるか分からない。そして革命が起こり、今に至る。
「来たか」
扉を開ければ、ユギニスが椅子に座って待っていた。
椅子は金でできており、造形が美しい。足を組んで座るユギニスもさすが王子なだけあり、様になっている。部屋はかなり広く、三人が余裕でくつろげる空間だった。綺麗な花畑が広がる絵画、柔らかい色合いを持つ青磁色の壺など、骨董品類が飾りのように至る所に置いてある。
「ここにあるのは全部、年代物だ」
ユギニスが首を動かす。
よくよく見ると絵画も壺も、確かに少しだけ古めかしい気配がある。価値があるからこそ、何年経っても目を引くのだろう。フィーベルも同じように顔を動かしていると、ビクトリアがその間、紅茶を用意してくれた。ユギニスが口に運び、フィーベルもそれに習う。爽やかな風味でありつつ果実のいい香りが鼻腔をくすぐる。美味しい。
「俺達が過去に追われた王族の子であることは知っているな?」
話が始まる。
「はい。文献で知りました」
「裏切りにより国王と王妃は亡くなった。王族の血を引くのは俺達だけだ。俺は国王になる予定だが、今はやることが多くある。なかなか戴冠式を行う暇もない」
それを聞き、フィーベルは少しだけ苦虫を噛み潰したような顔になる。王族の誰が生き残ったのか、そこまでは文献に書いていなかった。薄々感じていたものの、やはり国王と王妃は亡くなったのか。王族で生き残ったのはユギニスとシュティだけ、なのだろう。当時の使用人達も、何人かは共に生き延びたらしい。ビクトリアもそのうちの一人だそうだ。
「……そんなお忙しい中、呼んでいただいて」
「今やるべきことを最優先した結果だ。こちらがお願いして来てもらっている。気にすることじゃない」
ユギニスは平然としている。
先程から紅茶を楽しんでいた。
「本題だが、黒髪の側近は恋人か?」
「ぶっ」
思わず飲みかけた紅茶を噴き出してしまう。まさか自然な流れでシェラルドのことを聞かれるとは。焦るが、対してユギニスは微笑を浮かべた。
「会場に移動している時、見つめ合っていただろう。だいぶ微笑ましかった」
見られていたのか。
羞恥で頬に熱が集まってしまう。
確かにあの時、シェラルドのことしか見ていなかった。久しぶりに再会できた喜びも大きかったし、着ていたドレスに対しても、何か思ってくれるかなと、そわそわしていた。
シェラルドは微笑んで優しく見つめてくれた。長い間見つめ合っていたわけではなく、互いに何度か目を交わした程度。王族達は自分達より前にいた。だから知られていないと思っていたのだが。
「背中から花が飛んできた。まるで春のような心地だったな」
からかいも含めてなのだろう、少しだけ喉の奥でくっくっ、と笑われる。フィーベルはさらに顔を赤くした。
慌てて言い返そうとする。
「ご、誤解です。まだ、」
「ダンスの時も彼のことを褒めていただろう。好意が見え見えだったぞ。……まだ?」
気付いたユギニスは、少しだけ目を丸くする。逆にこちらは「あ……」と声が漏れる。咄嗟に出てしまったのだが、これはもう誤魔化しようがない。
一応自分はシェラルドの花嫁。
であるが、クライヴの命令により今のところそれは秘密にしないといけなくて。だがフィーベルはシェラルドが好きだと自覚している。そしてシェラルドも、好意を向けてくれている。見つめ合っていた時間、確かに互いの気持ちが向かい合っていた。
ということはつまり、ユギニスの言葉が的を得ているというわけで。フィーベルは項垂れた。嘘をつくのは得意ではないが、ここまであからさまにバレていたなんて恥ずかしい。
「まだ……そういう関係にはなっていないと?」
黙ったままだからか、追い討ちを掛けられる。
フィーベルは恐る恐る顔を上げた。
「……はい」
「本当に? 黒髪の側近も、好意を隠していない様子だったが。俺がフィーベルと踊ると知って、顔が引きつっていたな」
「え!?」
「あれは煽ったクライヴが悪いと思うが」
ふっ、と鼻で笑っていた。
クライヴが何か言ったのだろうか。
なんとなく予想できてしまう。
だがそれよりなにより。
(……シェラルド様、気にしてくれたんだ)
その事実に嬉しくなっていた。
ダンスに深い意味はない。言わば国の代表として行ったようなものだ。だがシェラルドはおそらく気にしてくれた。フィーベルも実は、もしユギニスに言われなかったら、シェラルドと踊りたいと思っていた。
以前は結局、何もない会場でダンスをした。音楽もなく、二人きりで静かに踊った。あの時間が楽しくなかったわけではない。でも今度こそ、音楽がある、整えられた空間の中で、共に見つめ合い、踊りたかった。たくさんの人達が集まる華やかな場で、二人の世界に入りたかったのだ。
「それで」
「?」
「いつそんな関係になるんだ?」
「はい!?」
クライヴはあっさりと続ける。
「先程まだ、と言っただろう。つまりその予定があるんじゃないのか?」
「え、ええと」
「互いの気持ちに気付いているように思ったが。俺の勘違いか?」
ぐいぐい押されるような感覚になり、逆にフィーベルは少し引いてしまう。実際は椅子に座っているので、引くというよりは身体を後ろに倒しているようなものだが。
「そ、その……」
じっと顔を見られてしまう。
フィーベルは思わず目を白黒させてしまう。なんで急にシェラルドの話になるのだろう。それはいいとして、どうして関係性をここまで気にされるのだろう。……だがここまでくると、正直に言うしかない。ユギニスはそれを待っている。話すのに少々勇気がいったので、膝の上に置いている両手を力強く握る。
「……ここに来る前に、思いを伝えてくれまして」
「ほお」
感心した声を出される。
「次に会った時に、私も伝えようと思ったんです」
「……ダンスの時か」
苦笑された。
なんとなく分かったのだろう。
そう、久しぶりの再会がまさかのダンスの時。しかも両国の王族が揃っていた。つまり、そんな緊張感のある場で気持ちを伝えられるわけもなく。
「それは……タイミングが悪かったな」
「いいえそんな」
憐れみの目を向けられてしまい、慌てて首を振る。まさか行く前にシェラルドに告白されると思っていなかった。それに、会えたからといってすぐに返事ができる場合でもなかったように思う。
するとふ、と優しい眼差しに変わった。
「フィーベルにそんな相手がいたことを嬉しく思う」
意外な言葉に、思わず目をぱちくりさせる。
「話は変わるが、フィーベルはクライヴに拾われたと聞いた。故にクライヴへの忠誠心が強いと」
「はい」
これには力強く頷く。
今の自分があるのは全てクライヴのおかげだ。魔法兵になれたのも、自分の魔法について少し知ることができたのも、アンネやヴィラなどの仲間に出会えたのも。そして、シェラルドと出会わせてくれたのもクライヴだ。この縁はクライヴなしにはあり得ない。一生を王子に捧げたいと思っている。
「クライヴの言うことならなんでも聞くということか」
「はい」
「即答だな。迷いはないのか? 例えば、無理難題なことを言ってきたりとかは」
「クライヴ殿下はそのようなこと言いません」
たまに人をからかったりするが、基本的にクライヴは、こちらができないことを言ってきたりしない。そして、こちらが本当に嫌がることはしない。
それは今までの経験によるもので、全てはこちらのために命令してきたりする。人の立場に立てる、人の成長を願う彼だからこそ、少し無茶でも確実にできる命令をしてくるのだ。
すると相手は、一呼吸置いた。
「……クライヴがユナに、特別な感情を持っていることは知っているか?」
「え」
それは知らなかった。
だが、気になったことはある。
クライヴは誰に対しても笑顔だが、ユナに見せる表情はいつもの笑みと少し違っていた気がする。特別な感情とやらがあるからだろうか。それがどんな感情なのか、今のフィーベルには分からないけれど。
「だからといってはなんだが……ユナの願いを叶えてほしい」
「……ユナ様の?」
今更ながらに気付くが、ユギニスの傍にユナがいない。側近ならば常に一緒にいるイメージなのだが。そもそもここに入る前に兵の姿を見ていない。王子の傍に誰も付けていなくて大丈夫なのか。
フィーベルは敵ではないという姿勢を示してくれているのかもしれないが、王子が一人でいるのは危険な行為のようにも思う。フィーベルが辺りを見渡すようにしたからか、相手は「ああ」と声を出す。
「あえて付けていない。フィーベルは俺に危害を加えたりしないだろう。俺は二人きりで話したいと思った。だから護衛も必要ない」
「……そう言っていただけるのはありがたいですが、先程のこともあります。もし何かあったら」
「その時はフィーベルが助けてくれるんだろう?」
「それはもちろん」
迷いなく大きく頷く。
大事なアルトダストの王子だ。命を張って助ける。元々そのつもりであるし、もしこの場にクライヴがいたら、おそらくそう命令するだろうから。
ふっ、と、おかしそうに笑う。
「そう言ってくれるのは嬉しいな。安心してくれ。それなりに自身も鍛えている。革命時にユナだけが剣を振るったわけではない。ユナは俺のために戦ってくれる。……俺は民のために戦う」
最後、揺るぎない信念を見せるかのような強い声色に、フィーベルは少しだけ背筋を伸ばした。たまに表れる王子としての、人の上に立つ者としての姿勢は、自然と屈服したくなる。
両親である国王と王妃が裏切りに遭い亡くなったということは、当時ユギニスもまだ幼かったはずだ。それなのに王子として、そしてこの国の国王になる者として、今すべきことを行なっている。
本当に強い。
シュティもだ。
この国の王族は、心が強い。
するとユギニスは視線を外す。
どことなく遠くを見つめた。
「民や部下達にはたくさんの苦労をさせた。裏切りによって俺は人を簡単には信じられないが……身近な人達には幸せになってほしいと思っている。フィーベルもそうだ。君に大切な人がいることは、嬉しく思う」
「……ユギニス殿下」
「その中でも幸せになってほしい相手が、ユナだ」
「……だからユナ様の願いを?」
相手は少しだけ眉を下げた。優しく労わるような、どこか悲しむような、複雑な表情だった。
「ユナは人一倍自身を犠牲にしている。俺のために国のために尽力してくれている。それはありがたい。ありがたいが……やりすぎるところがある。本人には散々言っているんだが、聞く耳を持たなくてな。むしろ『自分のいる意味を失くさないでほしい』と言われる始末だ」
ユナの黒い制服が血で汚れていることに、フィーベルも気付いていた。ユギニスが言うには、些細なことでさえ自身で赴き、対処するのだという。まるで手を下すことが自分の仕事のように。
「だがそんな彼女にも願いがある。その願いを叶えられるのは……フィーベル、おそらく君だけだ」
「私だけ、ですか?」
「ああ。君でなければおそらくユナの願いは叶わない」
フィーベルは何度も瞬きした。
自身でなければ成し遂げられない願い。それがどんなものなのか、おそらくユギニスは答えないだろう。現に今、それ以上の言葉がない。だが強く願うその姿に。
「私でよければ、喜んでお手伝いします」
自然と微笑んでいた。
ユナの幸せを願うユギニスの姿に、自身も二人の幸せを願いたくなった。そして自分にしか任せられないというのなら、自身が動かなければ何も変わらない。ならば、動く。それがフィーベルだ。
ユギニスはどこか懐かしそうな目でフィーベルを見つめる。ぼそっと「……本当に似ているな」と呟いた。
「え?」
「いいや。……ありがとう」
心から感謝する様子に、フィーベルは笑顔で応える。ここに来たのはアルトダストの願いを叶えるため。必要とされているのなら、なんだってしたくなる。
しばらく柔らかい、温かな雰囲気になった。側にいるビクトリアも、小さく笑みを浮かべている。
ユギニスはゆっくり両手を組んだ。
「じゃあ先に、フィーベルの願いを叶えなければな」
目をきらっと光らせ、真剣な表情になる。急な変わりようにフィーベルは目が点になった。だがその間にも話は進む。
「ビクトリア。あの部屋は開いてるか」
「問題ございません。隅々まで綺麗にしております」
それを聞いてよし、と声を出す。
「フィーベル」
「は、はい」
「すでにいくつか願いを叶えてもらっている。せめて何か礼をしたくてな」
「いえそんな。私がここに来たのはあくまで何かできればと」
「黒髪の側近といい感じなのは分かった。というわけで場所をセッティングする」
「はい!?」
なぜそんな話になるのか。
そしてなぜその話を蒸し返すのか。
ユギニスは楽しそうに口を横に広げる。
何かを企むようなにやにや顔になっていた。
「身近な人の幸せな姿が見たいだけだ。ビクトリア」
「はい」
「彼女を部屋に。少し髪も乱れている。身支度も整えるように」
「畏まりました」
言いながら彼女にがっちり腕を取られる。
フィーベルは慌てて首を振った。
「ま、待って下さい。そんなことされなくても」
「俺からの礼だ。まさか受け取らないと?」
「まだ願いを叶えておりませんし……!」
「いいから。ビクトリア、連れて行け」
「はい。フィーベル様、行きましょう」
「え、ま、待って下さい。え、ええっ!?」
意外とビクトリアは力が強い。
抵抗も虚しく、フィーベルは連れていかれてしまう。ユギニスはにやける顔を抑えつつ、その姿に手を振った。扉が閉まった後は、静寂になる。
ユギニスは緩んだ顔をゆっくり戻した。
目の前にあるコップに目を向ければ、まだ中身は入っている。黄金色の液体がゆらゆらと揺れていた。そこに映るのは、少し眉を寄せた自身の姿。
と、ドアがノックされる。
「……?」
ここには誰も入れないように指示していたはずだ。後からユナと合流するつもりではあったが、まだ時間ではない。不審に思いつつ「入れ」と返事をする。
すると意外な人物だった。
「……クライヴ?」
部屋で待っていろと言っていたはずのイントリックスの王子が、目の前にいる。いつもの優雅な笑み。そしてなぜか一人。クライヴは特に臆することなく、軽やかな足取りで部屋に入ってきた。
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