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65:結ばれる
先に部屋を案内されていたフィーベルは、その広さに圧倒されていた。重厚感のある赤茶を基調とした壁や床には白く細長い木の枝のような模様。色合いを大切にしているのか、同じ赤茶色の家具らが並んでいる。なんだか特別な部屋だと雰囲気で気付いた。
ドアの近くには何人並んでもゆったり座れそうな赤色の皮でできたソファー。大きなダイニングテーブルは木でできており、自然な木の模様が心を落ち着かせてくれる。よく見れば奥には、二人は余裕で寝られるだろうキングサイズのベッドが置かれていた。
天蓋カーテンもあるが、今はタッセルで留められている。シーツは整えられていて皺一つない。それは圧巻の光景だが、フィーベルは思わず目を点にした。なぜここにベッドが。ただの客間ではないのか。
ビクトリアはユギニスから命令を受けてフィーベルをここに連れてきた。理由は「フィーベルとシェラルドをいい感じにするため」。フィーベルはまだ返事ができていない。ならば場所をセッティングしようと、第一王子の粋な計らいだ。それは分かったが、それにしてはあまりに豪華すぎる部屋ではないだろうか。場違いではないだろうかと、フィーベルは少しだけ緊張してしまう。
その間にもビクトリアはいつの間に手配したのか、メイドたちが次々と入ってくる。ドレスや化粧、髪型を再度整えてくれた。されるがままな状態の中、ビクトリアが声をかけてくれる。
「この部屋はユギニス殿下が一番大切にされているお部屋です。家族で集まって過ごす際に必ず使用しておりました。もっとも、シュティ殿下がお生まれになる前のことです」
「それは……」
なぜですか、と聞きそうになりつつ、慌てて口をつぐむ。あまりにも踏み込んだことを聞きそうになった。ビクトリアは小さく微笑む。咎めてはいなかった。だが眼差しが少しだけ悲しそうにも感じた。それ以上は何も言わなかった。
「大切な客人に使ってほしいと、常々願っておりました。フィーベル様とシェラルド様に使ってほしいと思われたのでしょう」
「……そんな、大切な部屋に」
自分が使ってしまっていいのだろうか。
少しだけ不安の方が勝る。
「大丈夫です」
まるで春の心地がするように柔らかい声音。
「ユギニス殿下が望まれたのです。どうか使って差し上げて下さい。それに」
彼女は部屋を一瞥する。
「長らく使われておらず、部屋も寂しそうにしておりました。使って下さった方が、部屋も嬉しいです」
「……はい」
そこまで言われたら、甘えようと思った。
フィーベルが微笑んだからか、ビクトリアも嬉しそうな表情を見せてくれる。話をしているうちに、フィーベルは少しだけ落ち着いた。大切な部屋で、気持ちを伝える。それはどれだけありがたいことだろうか。本当に最高の場所をユギニスは用意してくれたのだ。
自分に気合いを入れるためにも、フィーベルは深呼吸をした。大丈夫。今なら言えるだろう。シェラルドは伝えてくれた。自分もその気持ちを返したい。想いが溢れるくらいあるのだと、言いたい。
「ああ、フィーベル様」
「? はい」
「こちらの部屋に寝泊まりもできます。よければシェラルド様とご一緒に」
「え」
思考が停止する。
「この後予定は入れておりません。色々とお疲れでしょう。ゆっくり、朝までお過ごしください」
ビクトリアは一瞬にやっとした気がした。だが瞬きをすればいつもの真面目でしっかりした面持ち。もしかして見間違いだっただろうかと思う程。
だがそれよりも相手の言葉にどぎまぎしてしまう。寝泊まりもできる部屋なのか。でもそれはあくまで特別な部屋だからこそで、使用まではしないだろうと思っていた。だけに、いきなり爆弾を投げられてしまったような心地だ。
それはさすがに、難しいのでは、と返そうとしたが「ではそろそろシェラルド様を迎えに行ってまいります」と、するりと逃げられてしまった。
「…………」
返事をしてもいいか、と聞くと、それまで雄弁に話しかけてくれていたシェラルドが固まってしまった。それを見てフィーベルも言葉を止めてしまう。勇気を出してみたのはいいものの。
(お、思ったより緊張する……!)
自分の様子が相手にどのように映っているのだろう。それも心配していた。問いかける時に声が震えてしまった。頬も耳も熱い。目も少し潤んでいる。気持ちを伝えるということは、ただ言葉にすればいいだけではないらしい。全身がそれを伝えるために色々と動いてくれている。いや、無意識に動いていた。もっと自然に言いたいのに、身体が言うことを聞いてくれない。
(……シェラルド様みたいに、真剣に伝えたいのに)
たった二文字なのに。
手間取っている自分がいた。
一番の原因はシェラルドが何も言わないからなのだが、それにしたってぐずぐずしている自分に対して腹が立ってくる。彼のようにかっこよく言いたいのに。思えばルカにシェラルドのことを聞かれた時も、途切れ途切れの言葉になっていた。
(でも、言わなくちゃ)
この際かっこよさはいいだろう。
せめて言う。伝える。
ここまでしてくれたユギニスのためにも。
「私、シェラルド様のこと」
「待て!」
思ったより大きい声にびくっとしてしまう。
するとシェラルドの方が驚いた顔をした。
「悪い、そういうつもりじゃ」
「わ、私。私は」
「いやだから待てってっ!」
それでも言おうとしたフィーベルに、シェラルドが慌てて止める。それに対し少しだけ眉を寄せてしまう。せっかくこの流れで言えると思ったのに。
シェラルドは慌てて弁解した。
「あのな、俺は先に聞きたいことがある。この部屋はなんだ。ユギニス殿下はどこにいる」
聞かれた内容にフィーベルはますます心が沈んだ。せっかく人が返事をしようと思ったのに、どうして今の状況を聞くのだろう。いつものフィーベルならば、いきなりこの部屋に呼ばれたシェラルドのフォローもスマートにしていたことだろう。だが今のフィーベルはそこまで気が回っていなかった。自分の気持ちを伝えることに精一杯だったのだ。
中断されたことによりフィーベルは思った以上にしょぼくれた。でも伝えねばなるまいと心を律した。正直にユギニスに悟られたのだと伝える。それを聞いたシェラルドは「なんだそれ……」と困惑していた。少しだけ目の縁が赤くなった気がする。
あとはこの部屋のこと。
それなりに特別な場所を用意してくれた。
「以上です。他に何かご質問ありますか」
「……フィーベル。怒ってるか?」
「怒ってません」
声色は隠せない。
自分でもつんとしているのには気付いている。
「いや怒ってるだろ」
「怒ってません。別に」
「それが怒ってるって言うんだ」
「……だって」
少しだけ、別の意味で声が震える。
人がどれだけ意を決して言おうとしたのか。行く前に急にキスしてその後告白まがいなことをしてきたのは誰なのか。それのせいでいつまでのあの時のことが頭から離れないし早く言いたくて仕方なかった。だけど仕事で来ているしそんなことを考えている場合ではないと、頭の片隅に置いていたのに。
「私、返事をしたいって、思ってたのに。なのに急に、別のこと聞くなんて」
「いやあのな……」
「分かってます。シェラルド様はこの状況を知らなかっただけで。分かってます。分かって、ますけど」
その場の雰囲気に合わせてくれてもいいではないか、なんて、言ってしまったら困らせるだろうか。それは不本意だと感じ、フィーベルは黙ってしまう。
するとシェラルドが一度息を吐く。
「急に止めたのは、悪かった。いきなり呼ばれたから混乱したんだ。さっきシュティ殿下から……辛い話を聞いた。気を張ってたんだ。だから驚いて……結果的にフィーベルを傷つけるような真似をした。悪かった」
それを聞いて、フィーベルははっとする。いつも朗らかに笑うシュティにも辛い過去があったなんて。自分の行為を少し恥じた。
「私こそ、すみません……」
「いや……。許して、くれるか?」
おそるおそる聞かれきょとんとする。フィーベルはすぐに苦笑した。これはどちらも悪くない。ただタイミングが悪かっただけの話であり、おあいこだ。
「もちろんです。仲直り、ですね」
「ああ。……フィーベル」
「はい?」
「好きだ」
「……え」
思いがけない言葉に目を見開く。
するとふ、と笑われる。
「次会ったら、って、言ったろ?」
行く前に、伝えてくれた。
確かに聞いた。聞いたが。
みるみるうちにフィーベルは顔が赤くなる。
「……ず、ずるいです。シェラルド様から言うなんて」
「約束を守っただけだ」
「行く前も言ったじゃないですか」
ほぼ告白だったじゃないか。
するとバツが悪そうに顔を背ける。
「あれは……回数に入らない」
「でも言ったじゃないですか。なんで、なんでキスも告白も、同時にするんですか。そのせいで私、ずっと考えてしまって」
「俺のことを?」
「笑わないで下さいっ」
嬉しそうな表情をされて、少しだけ頬を膨らませてしまう。誰のせいで恋焦がれたと思ってる。抗議の意味も込めて拳を作ってシェラルドを叩く。力を入れていないので痛くはないだろうが、相手は「痛い痛い」と言いながら笑っていた。
だが急に優しく見守る眼差しになる。
「返事、聞かせてくれるんだろう?」
今度はこちらの番のようだ。
散々伝えるぞと意気込んでいたのに。
自分から伝えようと思っていたのに。
まさか相手から言われてしまうだなんて。
それでも、シェラルドから言ってもらえてよかったかもしれない。いつも通りに話してかけてくれたおかげで、先程より緊張はない。鼓動は早い気がするが、先程よりは。
せめて、表情だけでも。
フィーベルはとびきりの笑みを見せる。
「私も、シェラルド様が好きです」
心を込めて、想いを伝えた。
するとそっと抱きしめられた。
久しぶりに香る彼の匂い。
温かくて心地いい場所。
大好きな場所。
フィーベルはふふ、と声を出す。
「久しぶりのハグですね」
「そうだな。……恋人になってからは初めてか」
恋人、という単語にどきっとする。
そうか。これで正真正銘、シェラルドの恋人になったのだ。今まで花嫁のふりをしていたが、もうその必要もなくなる。互いに好いているのだから。
シェラルドが身体を離す。
互いにしばらく見つめ合う。
ゆっくりと顔が近付いてくるのを感じ、フィーベルは自然と目を閉じる。唇が軽く触れた。すぐに離れたが、今度は相手の指がフィーベルの唇を掠める。
小さく微笑みを向けられた。
「この意味、覚えてるか」
フィーベルは頷く。
散々教え込まれた。忘れようがない。シェラルドからされるのは初めてだ。でも、相手が望んでいることは、こちらも望んでいることでもある。胸が高鳴りながら相手の反応を待っていると、さらっと言われる。
「男がやると意味が変わる」
「え」
素の声が出てしまう。
それじゃあ分からない。男性がやってる姿を見たことも、聞いたこともない。意味が変わるということは全く違うということか。慌てて考えてみるが、検討も付かない。その間に、耳打ちされる。
「もっとキスがしたい」
声がする方に顔を向ける。
唇が重なった。
最初は軽いものだったが長めのキスが続く。呼吸が苦しくなる前に絶妙なタイミングで離れ、また重なる。角度を変えながら、それが何度も続いた。
てっきり数回すれば終わりだと思っていただけに、回数の多さ、長く重ね合わせる時間にくらくらしてくる。かき抱かれており、腕が逞しくて頼もしい。フィーベルは体重を預けていた。慣れないことに戸惑いつつも、触れてくれることに喜びを感じている。
だがいつの間にか、どんどん背中がゆっくり倒れていた。シェラルドがリードしてくれているのもあり、自然と前へ前へ押す形になっているのだろう。と、ゆっくり背中がソファーに沈む。一旦唇が離れ、フィーベルは浅い呼吸を繰り返した。
目の前に、真剣味を帯びた、それでいて熱のある視線を向けるシェラルドの姿。彼の目はいつの間にか違う場所を向いていた。思わずフィーベルも後ろを振り返る。
その先にはベッドがあった。
思わず緊張感が走る。
「あれ、使っていいのか?」
「えっ」
すると苦笑される。
「大丈夫だ。何もしない。ここよりは休めるだろ?」
座ったままずっと唇を重ね合わせていた。ソファーは大きいサイズだが、シェラルドが座ると狭そうだ。この体勢のままだと彼の方がしんどいのでは、と考えた。
「休みますか? 使っていいとは言われています」
「じゃあ行くか」
フィーベルも立ち上がろうとしたが、自然と横抱きにされ「わっ!」と声を上げてしまう。シェラルドは気にせず足を動かした。浮いた状態は不安定なので、相手の首に腕を絡ませ、落ちないように気を付ける。
そっとベッドに降ろされたので腕を離そうとしたが、そのまま軽く押し倒された。首の後ろに置いている腕を離さないよう、シェラルドが片手で押さえつけるような形になっている。
フィーベルは目をぱちくりさせた。
「このままの方がキスしやすい」
「そうなんですか」
感心しているとふ、と笑われた。
「ああ」
また唇が重なる。
(……あれ、何もしないってさっき)
言っていたような。
と思うがしばらく唇が絡み合う。フィーベルは相手の首に腕を回したまま。おかげで先程より密着している。キスしやすいというのは本当らしい。
シェラルドは唇を離し、手でフィーベルに触れた。髪を撫で、頬を撫で、肌に触れる。首元と肩を大胆に出しているドレスを着用しているのもあり、今度は首元に唇を寄せられる。髪が当たってくすぐったい。
「……あ、あの」
「ん?」
言いながら離れようとしない。
今は首が気に入っているらしい。
「そ、そろそろ」
「まだ」
「まだっ……!?」
何回キスしたか分からないほどしているのに。
「も、もう限界です」
か細い声で伝える。
共に過ごせる時間、共に触れ合える時間があるのは嬉しいが、そろそろ一度離してほしい。心臓がずっと高鳴っている。想いが結んだことで喜び、いつも以上に気持ちは高揚している。だから落ち着かせたい。自分の身体が熱っているのだ。まるで自分じゃないみたいに。
するとようやく離れる。
相手は楽しそうに笑った。
「そうだな」
言いながら額に一度口付ける。
大人の余裕を感じた。
コンコン。
タイミングよくドアが鳴り「はい」とシェラルドが返事をした。フィーベルの頭を撫でて「少し休んでろ」と言う。その間にタッセルを緩め、天蓋カーテンでフィーベルを隠す。隠してはいるものの、薄い素材なので存在は確認できるだろう。
フィーベルは寝転んだままでいた。
天井を見上げ、ぼうっとしてしまう。
まだそんなに時間が経っていないだろうに、濃く、甘く、溶けてしまいそうな心地だ。気持ちを確かめ合い、何度も唇を合わせた。その時は夢中だったが、今思い出すとだいぶ恥ずかしい。思わず両手を顔で隠す。触れることで顔が熱いのが確認できた。このままで自分はもつのだろうか。
ふと、ベッドの近くにあるバルコニーが目に映った。空はすでに暗く、星も見え隠れしている。そんな中、鮮やかに光る赤色の髪がなびいたような気がした。
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