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67:何のために、誰のために
馬車は緩やかに進む。
出発から既に一時間は軽く超えていただろうか。途中起きたフィーベルはラウラと共に馬車に揺られていた。思ったより乗っている時間が長い。
窓を見れば黒に近い藍色の空。完全に夜の世界。暗いせいか、周りの様子が分かりにくい。空以外に見えるものがないかきょろきょろしている間に、ラウラがそっとバスケットに入っていたものを渡してくれる。
まだほんのり温かいホットサンドイッチ。これなら馬車に揺られても食べられる。そろそろお腹が空く頃だったので、ありがたくいただいた。蒸した彩りの野菜と照り焼きチキンが挟まっており、思ったよりボリュームがあった。普通の人よりよく食べるフィーベルも大満足だ。
しばらくすればとある場所で停まる。ラウラと共に降りると、そこは森のすぐ入口。目の前に鬱蒼と生い茂る木々がびっしりと並んでいた。
辺りは暗闇、自分達を簡単に隠す大きな森が広がっている。少し風が吹けば目の前の森が、まるで大きな獣のように揺れた。少しだけ怯みそうになる。
「ここからは徒歩で移動します」
馬から降りたユナが近付いてきた。
いつもは下ろしているのに、今日は珍しくポニーテール姿だ。フィーベルは思わず見とれてしまう。女性らしいというか、可愛らしさも感じた。ユナは自身を乗せた馬を軽く撫でていた。絵になる。
ラウラは微笑んだ。
「ではフィーベル様。私はこれで」
「え? ラウラ様も行かれるのでは」
「私はあくまでサポートをするために来ましたから。ここからはユナ様と共に行動していただきます」
「そうですか……」
少しだけ寂しく感じてしまう。
するとふふ、と笑われた。
「気をつけて行ってらっしゃいませ」
丁寧に頭を下げてくれ、フィーベルも慌てて同じようにした。ユナは「行きましょう」と言いながら誘導してくれる。フィーベルも森の中へと入って行った。
「…………」
二人の姿が見えなくなった後、ラウラは一人その場に残っていた。御者と馬車は城に帰している。なぜ一人なのかと聞かれたら。
ラウラは一度深呼吸をする。
「……サポートをするためですよ」
極上の笑みを浮かべる。
目線は今来た道。あの二人の逆方向。ひっそり静まり返る夜の世界。ラウラはただその場に立っている。じっと目の前の暗闇を見つめていた。少しでも何かあれば、すぐに動けるように。
二人は並んで歩いていた。
ユナが持つランプの光で、進む先はよく見える。どんなに木々や草木が生い茂っていても、足元の感覚からしっかり地面が存在していた。辺りは真っ暗だが、ランプの光と堂々としているユナの様子に、フィーベルも少しは落ち着いていた。
「……あの、ユナ様」
「ユナで構いません」
「ではユナさん。これから会う民族の人達は、どんな人達なんですか?」
「常に自然の中で生きている、意志の強い方達です。何度国に来るよう申し上げても、今の生活で事足りると言われてしまいます」
その民族が暮らしているのがこの森、ということだが、それはこの時期だかららしい。一年中ここで暮らしているというよりは、季節や時期によって住む場所を変えているという。最初は見つけて話をするのも一苦労だったようだ。
アルトダストに来た方が、その民族にとってもより生活しやすいはず。そして互いに助け合うために交流したい。だから説得してほしい、というのが、フィーベルに任された仕事。
だが、少しだけ首を傾げる。
「民族の方が今の暮らしで満足しているのなら、問題ないのでは?」
「…………」
「何度も話しに行っているということは、交流はしているということですよね。そしてその方達は、昔ながらの生活を望んでいる……。なら、私が説得してもあまり意味がないように感じたんですが……」
と言いかけてフィーベルははっとした。感じた疑問をそのまま口にしただけなのだが、アルトダスト側の考えを否定したような言い方になってしまった。
慌てて謝る。
「す、すみません、あの」
「いいえ。フィーベル様の考えは当たっています」
ユナは平然としていた。
声色も特に変わっていない。
「でも、何か理由があるんですよね。ですからわざわざこうやって」
「はい。本当の理由は別にあります」
「え?」
思わず顔を見てしまう。
目が合った。
綺麗な緑色の瞳。
と思っていたら、ユナは急にランプを渡してくる。慌てて受け取っている間に、制服のポケットからマッチ箱を取り出した。そして、火をつけたマッチを徐に草木に向かって投げる。
フィーベルは目を見開いて叫んだ。
「「霧!」」
勢いよく使ったせいか、霧の粒が圧縮したような形になり、マッチの火を瞬時に消す。それはフィーベルの魔法だけではなかった。別の方向から同じように霧が生まれ、火を消したように見えた。
思わずそちらに目を向ければ、草木の中からがさがさと音が聞こえた。それが足音だと気付いた時には、大柄の男性が姿を現した。
「……相変わらず手荒いな」
程よい低音。全身を隠す格好をした相手は、被っていたフードを外した。ランプを持っているため、顔が見える。短い黄土色の髪。ルビーの宝石のように赤い瞳。精悍でありつつ少しだけ眼光が鋭い、四、五十代くらいの男性。
フィーベルはまじまじと相手を見つめてしまう。するとユナがフィーベルの前に立ち、先に挨拶をした。
「お久しぶりです」
相手は顔をしかめる。
「こちらが出向かなければならない方法を取るのはやめてくれ。森に火をつけようとするなど言語道断だ」
「そうでもしなければ会って下さらないでしょう。それに、あなたがいるのなら森に火が回るなどあり得ません」
「……腕を買ってくれるのはありがたいが、何度来たところで私達の意志は変わらない。なぜそこまでして霧の民を求める」
(……霧の、民?)
慣れない言葉に復唱する。そして先程の魔法。しばらくしてからフィーベルは思わず声がもれた。まさか、そんな。同じ魔法が使える人が存在するなんて。
霧の魔法は自国でも使える人に出会ったことがない。魔法使いが多いアルトダストでも珍しいと言われた。フィーベルは個性魔法しか使えない。特定の魔法が使える人がいることは最近知った。同じタイプの魔法使いに出会えたのは嬉しかったが、霧の魔法に関する情報はほとんどなかった。もしや自分しか使えない魔法なのだろうかと思っていたのだ。
すると男性はフィーベルに気付く。
「――フィオ?」
「え?」
「あ……いや」
さっと視線を外される。一瞬、驚いたような顔をされたような気がした。なぜだろうと思っている間に、ユナは男性に近付いて言った。
「会わせるために連れてきました」
相手の目がユナに向く。
先程の威勢はどこに行ったのか、静かだ。
少しだけ後退りをする。
「関係ない」
「本当は気付いたのでしょう?」
確信を突くようなユナの声色。
男性は再度後ろに下がる。
ゆっくり首を振った。
「まさか、そんなはずはない」
「彼女の名前はフィーベルです」
「!」
ユナはただ真っ直ぐ相手を見つめていた。睨んでいるようにも見えたが、少し違った。強い瞳を向けている。片時も目を離してはならないとでも言うように。
「私達はこの後、フリーティング王国へ向かいます」
「……何のために」
「ここから先はご自分で考えて行動して下さい」
言いながらユナは自身のマントを翻した。フィーベルの腕を取り、別の方向へ歩き出す。フィーベルは二人の会話がよく分からなかった。分からないまま話が終わり、これから別の国に行くことを知る。
フリーティング王国といえば、この森から近い。昔ながらにある建築物や歴史を重んじている国で、それらを目的として来る観光客や、王国自体の歴史と文化を守ろうとする者達のおかげで成り立っている国であると、聞いたことがある。
フィーベルは進みながらそっと後ろを振り向くが、男性は黙ってただその場に立ち尽くしていた。暗闇のせいで、その表情は読めない。その間にもユナはどんどん進んでいく。
本当の理由は別にある、とユナに言われた。
おそらく先程の男性と会うため。だが何のためだろう。互いに挨拶することもなく別れてしまった。フィーベルは足を進めながらユナに聞く。
「先程の方は誰なんですか?」
「霧の民の長です」
「霧の民、ということは、皆さん霧の魔法が使えるんですか?」
「はい」
「……私と、関係があるように見えましたけど」
「それは後から説明します。――フィーベル様」
「は、はい」
急に止まり、名前を呼ばれる。
ユナが振り返った。
「これは私の願いです」
「!」
「これから共にフリーティング王国に行っていただきます。そこで全てをお話します。フィーベル様のことも、私のことも」
そう言った後、ユナはしばし黙った。
まるでこちらの意志を確認している様子だった。無理やり連れていくこともできるのだろうに、聞いてくれている。それはおそらく――フィーベルだから。
これがユナの本当の願い。
そして、ユギニスの願い。
フィーベルはすぐに微笑む。
答えなんて、最初から決まっている。
「はい。行きましょう」
するとユナは一瞬目を大きくした。
少しだけ安堵の息を吐き、小さく苦笑する。
「――本当にあなたは、似ている」
「え?」
「……これからお会いする方です。その方は」
と、言いかけた瞬間。
『フィーベル!』
急に首元が光った。
その光の先を辿れば、首元に下げていた指輪だった。指輪の光に呼応してか、身体全体が温かい光に包まれる。何度も、名前を呼ぶ声が聞こえた。
「……シェラルド様?」
少しだけ声が震えてしまった。
声が分からないわけがない。
大好きな人なのだから。
『フィーベル、よかった。無事か』
「無事……? はい、大丈夫です。今私は、ユナさんと森に来ていて」
『森!? なんでそんなところに』
「え? だって民族の方にお会いするために」
「――すみません」
え、と言う前にフィーベルは首に強い衝撃を受ける。そして一瞬の間に意識がなくなった。ぐらっと身体が前に倒れそうになるが、それをユナが受け止める。
『フィーベル? フィーベル!?』
叫ぶようなシェラルドの声。
どこから聞こえるのかとユナが探せば、フィーベルが首につけていたチェーンにつながれている指輪か。強い光と魔力を感じる。魔法の指輪。おそらくシェラルドも同じものを持っている。だから遠くでも通信が可能なのだろう。
ユナはそれに向かって声を発する。
「フィーベルは渡しません」
『っ! ユナ殿!』
「以前も申し上げました。フィーベルは我が国で暮らす方が幸せだと」
『……何が目的なんだ。フィーベルをどうするつもりだ』
「ただ、幸せになってほしいだけです」
『幸せ……? フィーベルは分かっているのか? 分かった上で承諾したのか?』
「ええ。私の願いを叶えて下さると、確かに言ってくれました」
『それはユナ殿の幸せだろう。フィーベルの幸せじゃない』
「あなたに何が分かるんです」
『分かる』
咎める物言いをしたはずなのだが、シェラルドは迷いなく言い切った。それにユナが怯みそうになる。
『少なくとも俺はユナ殿より、フィーベルと長い期間を一緒に過ごしてる。あいつは自分の幸せよりいつも人のことばかりだ。それはユナ殿も分かってるんじゃないのか?』
シェラルドの声色は思ったよりも冷静だった。その上で疑問を口にした。それは……全て正論だ。人のために動ける人。それがフィーベルであることは、誰の目から見ても明らかだ。
『本当にフィーベルの幸せを願うなら俺達にも説明できるはずだ。そして、フィーベルにも行く前に説明しているはず。違うか?』
「…………」
『なぜ何も言わない。それは本当にフィーベルのためなのか? そうじゃないから言わないんじゃ』
「あなたには分からないっ!」
急にユナが声を荒げる。
「あなたには、あの方のお気持ちも辛さも分からない! 分かるはずがないっ!」
『ユナ殿、』
「私の願いは全てあの方のためです。あの方がいなければ私はとうに死んでいた。生きているのはあの方おかげ。……私は」
一度言葉を止める。
「あの方のためなら、いつだって死ぬ覚悟です」
シェラルドが何か言う前に、ユナはフィーベルの首元にあるチェーンを外す。指輪を遠く、森の中に投げ捨てた。もう声は聞こえない。
いつの間にか自身の息が荒くなっていることに気付く。呼吸を繰り返しながら、ユナはフィーベルの寝顔に目を向ける。先程まで緊張感があった。だが、それを感じさせない穏やかな表情に、少しだけ心が慰められた気がした。
『ねぇ、ユナ』
懐かしい記憶。あの時の言葉。
声色も顔も忘れていない。
『手紙、毎日書くからね』
優しく笑ってくれた。
希望をくれた。
あの時間が、ユナにとって最初の救いで、最後の希望だった。あの希望を失わせないためにも。
ユナは結んでいた髪留めを外す。
「……私が、絶対あなたを救います。フィオ様」
真っ赤な髪を揺らす獅子。
ただ一つの願いに向かって、進み出した。
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