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入院中であっても、退院してからであっても、これまでの人生を振り返るにはまだ早かろう。20と幾ばくの歳でありながらこんな事を考えるには進行形で人生の危機に陥ってる名も知らない様々な人に失礼になるかもしれない。
しかしながら、世間一般で言われる『普通』と言われる人で有り続けるための努力をしてきたが、その道からは簡単に外れてしまうのも世間。
要するに、クビである。
会社をクビになった。クビと言われたわけでなく俺から辞めるように言われた形だ。
やはり組織。個人の力なんぞ無に等しい。
入院生活中に何か忘れてるなぁなどと呆けていたら会社への連絡を忘れてしまっていた。おまけに携帯の電池は切れていて俺への連絡も出来ないとなれば不可抗力以外の何物でもない。と言いたいが、見せしめとして俺をクビにするのは判断としては素晴らしいだろう。
大した力もない給料泥棒もとい「案山子」である俺を辞めさせても会社からすれば大したダメージにはならないだろう。
と言う訳で、『社会人』という道から外れた俺である。
今の生活をある程度は続ける事は出来る。しかし終わりはいずれ迎える。
金が無限に湧く訳ではない。需要と供給がこの世で働く限り、金は生み出さなければならない。
世間の普通はそうなんだろうさ。
であれば、このままではいけない。
豪に入れば郷に従え、異物は弾き飛ばせ。なんとも悲しい世の中か。
ともあれ、ここで独りで思いふけっていても生きて行くことに繋がらない。
俺は再度職安という建物に足を運んで行く必要があろう。
そう思っていた少し前。特徴的なつり目が俺を捉えて来た。
外に出て人が待ち伏せていただなんて誰が思うだろうか。
まさか幼児の愛に飢えすぎたストーカーが怨念を身にまとい抜け出してきたついでに俺を殺しにでも来たかと思ったが、そこに居たのは笹木さんだった。
「やぁ、元気そうでなによりだよ。にしても明るいか暗いか分からないなぁ君」
「そうですね、怪我も完治しましてお元気そうですね」
皮肉のように聞こえてしまうのは気のせいだろうか。
俺への信頼度は低いだろうから皮肉を言われてもしょうがないことだろう。
「知っているぞ君。無職なんだって?」
なるほど真のストーカーとはこういう人の事かも知れない。
冗談はさておいて、笹木さんが俺の現状を知りたがるとは思えない。恐らくは様々な内部事情を金で買い取ったであろう金井から吹き込まれたに違いない。
予想になるが、もうこの二人は『世の中金』という価値観の一致からビジネスパートナーとなっているのだろう。
「あなたが警察と知り合いでなければ連絡も出来たのですが、これは詰みの状態ですか」
「待ってよ君。君も知っての通りあたしの事務所は人手不足なの。人手不足と言う事はそれなりに仕事もあると言う事」
ここまで言われれば察しはつくが、あえて答えわせをお願いする返事をする。
「つまりは?」
笹木さんはそのつり目を細めた。
「あたしの事務所で働かない?以前あんな事に巻きこんでしまった後でこんな事を言うのは申し訳ないと思ってるの」
嘘つけ。
「でも君も『立場』を気にしてるんでしょ?悪い話じゃないと思うのんだけど」
何と就職活動をしなくても職が手に入るとは喜ばしいことだ。
この人の下でなければな。
とはいえ、正直金井の力を借りてでっちあげた経歴でいろんな所をうろついたせいでこの町で働く場所はあるかどうかも怪しい所だ。
だから、と言うわけではないが人情で雇ってくれた前回の会社は大変良かったのだが。
とりあえず悪あがき。
「大変嬉しいのですが、あなたの下には、まぁ俺を睨むヘビがいらっしゃいますから、入って直後からギスギスした空気を作るのはやはり如何なものかと思うのですよ」
笹木さんは、ふっと緩く笑い顔を作る。
「その心配は必要ないよ。あの子には説得してある。何だったらあの子はこうも言っていたよ。「もし来ないようであれば私に言ってください。直接出向いてとっ捕まえてきますから」と言ってよ」
「それはもう絶対に来い、ってことではないですか?」
「絶対にではないよ、今あたしと一緒に来るか。あの子からちょっとした物理的要因によって連れて来られるか、または断るか。その選択を君は出来る。結構自由な選択じゃない?」
それは俺が腕っ節でのし上がれるほどの肉のがあればの話だ。
『彼女』はおろか下手したら俺は笹木さんにも喧嘩で負ける自信はある。
「・・・行きます」
「よろしい」
俺の返事に笹木さんは頷き俺に背中を向けた。
その背中から数メートルの間隔を開けて付いて行く。正直俺が何か出来るとは思えないし、これで良かったとも思えないが。
とにもかくにも。
俺は転職に成功した。天職?まさかそんな訳はない。
前回のような出来事が依頼の内に入っている時点で彼女らの探偵事務所の仕事内容は荒事も茶飯事だと分かっている。
世間一般の社会人が荒事をする時は、決まって道から外れた時だ。
暴力、策略、金。
どこにでも蔓延るそれらは、誰もが簡単に手に触れられる。
では、俺はまた道を踏み外すのか?
それは数十分後の俺に任せる。
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