二月十六日

3/3
前へ
/39ページ
次へ
 ずっと呼吸と共に出ていた声が弱くなり、私は母に声を掛けてみた。 「ここに居るからね」  母は目を開けないが口を開き、ギリギリ聞き取れる声で「お水」と呟いた。 「わかった」  私は母の首にタオルを置き、お茶の入っているマグカップとスプーンを手にした。 「飲める?」  母の答えはない。 「起きてくれないと飲ませてあげられないよ……」  警告音の鳴る中、私はまた眠りに落ちていった母に声をかけた。母はその後起きることはなく、私は飲ませることを断念するしかなかった。意識のない人間に飲ませるのは危険すぎる。今思えば、もっとしっかり声を掛けて一杯でいいから口に含ませてあげれば良かったと思う。母のことであまり後悔していることはないのだが、これはかなり私の中で悔いが残っている。  私はタオルを取り、マグカップを置いて、再び椅子に腰かけた。  母と警告アラームを交互に見ては、ナースコールを押そうか迷うと言う元の位置まで戻っていた。  次第に声が出なくなって穏やかな呼吸になったが、アラームは点滅していた。  私が母を見つめている先で、母はゴクリと何かを飲み込む。私は困惑し、母とアラームをまたチェックした。そして、再びゴクリと喉が揺れた。  私は悩んだ。血液を飲み込んでいるのではないかと。しかし、母の呼吸は先程より穏やかになっていた。  悩んでいるうちに、徐々に警告アラームが鳴らなくなる。  赤、赤、緑、赤、緑、緑。  正常を告げる緑サインが増えていき、ナースコールを押さなくて大丈夫なのかもしれないと思い始めていた矢先、急激に血圧が落ち始めた。血圧が落ちて行くのに驚いていると、呼吸の数値が一桁になり、さすがに驚いてナースコールを押す。  看護師がくるほんの短い間に、数回呼吸数がゼロになり、血圧の表示も度々山なりではなく、平坦な棒になった。  入ってきた看護師に「あの、呼吸数が……」私が言うと、看護師は母に「◯◯さん頑張ろう。◯◯さん」と声をかけ始めた。  私の目の前で、母の血圧も呼吸数も、止まっていった。  入ってきた医師が「ご家族を呼べますか? それまで待ちますので」と言ったので、私は父と兄に電話をした。  待ちますとは死亡宣告を待つと言う意味で、母はこの時静かに息を引き取っていた。  長くて短い、母の闘病生活が終わったのだ。  悲しみはもちろんあるが、最期に眠るように亡くなったことだけは、私にとって喜ばしいことだった。母は生きたかったかもしれないが、どうだっただろう。  帰ってきて欲しいとは思わない。ただただお疲れ様と言いたかったし、ありがとうだった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

68人が本棚に入れています
本棚に追加