予感

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 前日の鍋の残り汁に冷やご飯を足し、上から溶き卵を流しながら、タケルは深夜に届いたクレジットカードの利用速報メールについて考えていた。そのサービスは「速報」の名に背いてタイムラグが多く、決済額だって千円にも満たなかったから、【海外利用】という見出しさえなければ特に気に留めることもなかったかもしれない。 「タケちゃん、おはよー。あー、すっごいいい匂い」 「おはよ、恭平。もうグツグツってしたらすぐ食べれるよ。たまご半熟くらいが好きでしょ」 「うん、ありがとー」  普段は朝食を摂らない恭平が、前の晩が鍋ものだった朝だけは少し早く起きてくる。そんな冬の朝は幸せだ。 「昨日の夜、寝ちゃって洗濯しそびれたから今日しとくね」 「ほんと何もかもごめん」 「平気、平気。恭平、今日遅い?」 「んーと、午後は授業ないから、そんなに遅くはなんないと思う。でも明日は後期の合格発表」 「へぇ、じゃあまた『祝合格 ○○大学 △△学部 □名』って山ほど短冊書くんだ」 「山ほど書けたらいいんだけどねぇ」  そういって首をすくめた恭平は雑炊に七味をたっぷりかけ、「おいひい」と目を細めた。いつもと変わらない、ちょっとむくんだ寝起きの横顔。内心の疑念を悟られぬようこちらも努めて平静を装ったが、うまく笑い返せているかは自信がなかった。  恭平の出勤を見送ると、タケルは片付けもそこそこに自室に引っ込んだ。待機状態のモニターには、「この購入済み動画をもう一度DLしますか?」とポップアップが消えずに表示されていた。一瞬、不正利用さえ脳裏をよぎった利用速報の真相は意外と単純で、昨日、映画を観るときに横着な真似したせいだった。だって鍋を囲んで日本酒開けておまけにコタツと来れば、もうそこから動きたくないのが人間ってもんだろう。恭平が自室からノートパソコンを持ってきて、デスクトップしか持っていないタケルは動画配信サービスのアカウントを貸した。ログアウトって大事だ。特に他人の端末から自身のアカウントにアクセスするときには。カード情報がそのまま提携サイトで流用される可能性もある。そんなまさかと思ったが、カードの利用先はどうも配信サービスと連携したアダルトサイトらしかった。となれば思い当たる犯人は一人しかいない。  自分とのセックスを断り続けている恭平が一体どんな動画を購入したのか。暴いてやりたい。弱みを握ってやりたい。そんな手前勝手な欲望を堪えることができなかった。とはいうものの、結局、タケルの疑念を確信に変えた最後のピースが洗濯物だったのはタイミングの妙というほかない。動画の衝撃から立ち直ろうとランドリーボックスに手をつけたのがきっと運の尽きだ。恭平のインナーの身ごろ、真ん中より上に褐色のシミが二つ。この間の擦り切れと同じ位置で、もっと言えば動画の青年もあらゆる手段でそこを嬲られていた。輪ゴム、ダブルクリップ、医療用のディスポーサブル注射針、ペンチ、ヘアアイロン……。彼がぐったり白目を剥き、リノリウムの床に失禁を滴らせる場面で動画は終わっていた。漂白剤につけようと戸棚を開いて気づく。 洗濯バサミ、もっとたくさんあったはずだ。
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