老婆と少女

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「ユズ様、言葉がわかるようになったって本当?」 「『本当ですか?』でしょう」 申し訳ありませんと謝るマルゲリタに対して、柚子は首を振る。 「いいえ。えっと、ファミリアちゃんだっけ?」 「うん。ファミリアだ……です」 マルゲリタが目を光らせているからか、ファミリアは言い直しのだった。 「この前は、怖い思いをさせてごめんなさい」 「いいのよ。気にしないで。それより、助けに来てくれてありがとう」 シュンと項垂れるファミリアに笑みを向けると、ファミリアは小さく笑ってくれたのだった。 「ユズ様、ファミリアは私の娘夫婦の忘れ形見で、私にとっては唯一の家族でもある孫娘です。 旦那様のご厚意で、使用人見習いとして一緒に暮らしております。失礼もあるかと思いますが、孫娘をよろしくお願いします」 マルゲリタに紹介されたファミリアは、マルゲリタに言われるがままにお辞儀をした。 マルゲリタの教育の賜物だろう。ファミリアはとても育ちが良かった。 「ファミリアちゃん、これからよろしくね」 「うん! じゃなかった、はい。よろしくお願いします!」 ファミリアの花が咲くような笑みに、柚子は自然と笑顔になる。 その笑顔を見ていたら、今朝のアズールスとの会話で乱れていた心がだんだん落ち着いていったのだった。 そうして、柚子は気になっていた事を聞いたのだった。 「気になっていたのですが、この屋敷には私達四人以外は住んでいないんですか?」 柚子がこの屋敷に住み始めてまだ日は浅いが、この屋敷には柚子と家主のアズールス、アズールスの乳母で今は使用人のマルゲリタと、その孫娘で使用人見習いのファミリア以外を見た事は無かった。 柚子が訊ねると、二人は困ったように顔を見合わせた。 やがて、マルゲリタは観念したように話してくれたのだった。 「はい。このお屋敷には、私ども四人しか住んでおりません」 「え? 他の使用人や皆さんのご家族は住んでいないんですか?」 「はい。この屋敷には使用人は私とファミリアしかおりません。昔は、私以外にも使用人が大勢いましたが、訳あって今は私達しかおりません」 アズールスさんのご家族も、と柚子が言いかけると、マルゲリタは顔を伏せた。 「……旦那様のご家族は、十年前に馬車の滑落事故でお亡くなりになりました。この子の父親も一緒に」 マルゲリタはファミリアを見ながら教えてくれた。 ファミリアの母親ーーマルゲリタの娘は、産後の肥立ちが悪く亡くなっている事、それからは御者だったファミリアの父親が育てていたが、アズールスの家族が乗った馬車が滑落事故に遭った時に、御者台にいた父親も一緒に亡くなったとの事だった。 それ以来、ファミリアは祖母のマルゲリタに育てられてきたらしい。 「すみません。軽い気持ちで聞いてしまって……」 柚子が俯きながら詫びると、二人は首を振ったのだった。 「いずれ、ユズ様も知る事になったと思うので」 「うん。それに、ユズ様は旦那様の『赤ちゃんをうむ』んでしょ? それなら知ってた方がいいよ」 「こらっ、ファミリア」とマルゲリタはファミリアを咎めるが、柚子は今朝のアズールスとの話を思い出して、真っ赤になったのだった。 「ふ、二人は、今朝の事を知っているんですか!?」 「まあ、その……」 「うん」 言い淀むマルゲリタに代わり、ファミリアが全て教えてくれた。 アズールスが自分の子供を産んでくれる女性を探していたという事。 どうしても身近に相性の合う女性を見つけられなかったアズールスが、召喚書を用いて異世界より女性を呼び寄せる事にした事。 そして、マルゲリタ達は召喚された柚子の面倒を見るように、アズールスに言われた事を話してくれたのだった。 「旦那様から、女性用の部屋を一部屋用意して欲しい、と言われた時は驚きましたが、ユズ様を召喚する為に、必要な事だったらしいです」 それで、柚子が召喚された時に寝ていた部屋ーー柚子の自室となっていた部屋。は、掃除や手入れが行き届いていたのだと、柚子は納得したのだった。 「ユズ様が旦那様の望みを叶えなくとも、私達は決してユズ様を悪いようにはしません。ユズ様はこの屋敷を自分の家だと思って、安心してお寛ぎ下さい」 そうして、マルゲリタはお茶の後片付けの為に出て行ったのだった。 ファミリアもマルゲリタに続いて部屋を出ようとしたが、不意にその場に立ち止まった。 「ファミリアちゃん?」 柚子が声を掛けると、ファミリアは柚子の元に戻ってきた。 マルゲリタには聞こえ無いように「あのね」と柚子にこっそり話したのだった。 「おばあちゃんはああ言っていたけれども、ユズ様が良ければ、旦那様の『家族』になってあげてね」 「それは、どうして?」 ファミリアは悲しそうに教えてくれたのだった。 「旦那様はね。ファミリアとおばあちゃんが話しているのを見ると、時々、寂しそうな顔をするの。でも、ファミリアが声を掛けると、『なんでもない』って。おばあちゃんに聞いたら、『旦那様は寂しがり屋なだけなのよ』って。ファミリア達は使用人だから旦那様の家族にはなってあげられないの。だから……」 そして、ファミリアはマルゲリタを手伝う為に部屋を出て行ったのだった。 「やっぱり、もう来ないのかな……」 その日の夜、夕食と湯浴みを済ませた柚子は、自室のベッドに入って絵本を読んでいた。 あれから、柚子が夕食を済ませた頃にアズールスは帰宅したが、お互いに今朝の事を引きずってギクシャクしており、会話もままならなかった。 柚子はいつものようにアズールスが部屋に入ってきて、いつものように一緒に寝るのでは無いかと、絵本を読んで待っていたのだが、アズールスが来る様子はなかった。 柚子はもう何冊目になるのかわからない絵本を読みながら、何度目になるかわからない溜め息を吐く。 「それにしても、言葉だけじゃなくて、文字もわかるようになっているなんて……」 昼間、いつものように時間を持て余した柚子が、いつものように絵本を読もうと本の表紙を見た時に気づいたのだった。 昨日までは、文字が全く読めず絵だけを楽しんでいたのだが、今日改めて見たら文字が日本語になって、柚子の目に入ってくるようになったのだった。 例えるなら、柚子が目にした途端に、文字の羅列が、意味のある日本語に変化するようなイメージであった。 (どうして、急に言葉や文字がわかるようになったのだろう) きっかけは、昨夜のアズールスとのキスだろうか。 その時のアズールスと自分を思い出して、柚子は真っ赤になって首を振る。 (もういいや。今夜は先に寝よう) 外を見ると、随分と時間が経ったようだった。 柚子は燭台の灯りを消すと、ベッドに潜り込む。 (そういえば。この部屋で一人で寝るのは始めてだなあ) この世界に召喚された日から、アズールスと一緒に寝ていた。 だからか、柚子はベッドがとても大きく広い事を改めて実感した。 いつもならあるはずの、隣からの温もりが無い事を寂しく思いながら。 柚子はそっと目を閉じたのだった。
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