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政府による完全なるバース・コントロールが行われている現在、新しい命が生まれるのは国内に十数か所ある人口管理局・出生研究所の中と決まっている。およそ百年前、我が国は少子高齢化の進展により労働力人口が減少する一方で、望まない妊娠や母親の孤立化、育児環境の不整備等から幼児虐待が増加し、大きな社会問題になっていた。それを解決するために作られたバース・コントロール制度は、導入当初こそ猛烈な反発があったようだが、国の財政安定化、妊娠中・産後の女性の労働力低下の抑制等、適切な人口管理と「生」と「生殖」の分離がもたらす利益がはっきりと出始めると、批判する者は殆どいなくなった。このシステムは我が国と同じように人口問題に悩む世界各国の注目の的となり、各地の宗教団体の猛反発を受けながらも次第に浸透、今ではほんの一部の地域・民族を除いて、殆どの人類がバース・コントロールをごく当たり前のこととして受け入れている。
子供を持ちたい夫婦は経済状況、性格テスト、遺伝情報などありとあらゆる審査を経て、『親として適格』と判断されて初めて、研究所の門を叩くことができる。ただし、年間の出生数計画はあらかじめ決まっているので、大抵は順番待ちになるし、当然、研究所内のアクティブな人工子宮の数も厳密に管理されている。いくら飛び級に飛び級を重ねて博士号を得た、若き秀才の九条であっても、数々の規則や監視体制で守られた組織の抜け穴をくぐって『出産』にこぎつけるのは不可能に近い筈だ。となると、無理に抜け穴を探すよりは、正面玄関から入るような方法の方が、却って誰にもばれずに事を進められるだろう。正面玄関…そうだ、先進研究を隠れ蓑にするなら…。
俺の思考がここまで至る間、およそ数秒。俺が確信を得た顔に変化したのを見ていたであろう九条は、満足げに頷いた。
「さすが藤原さん、話が早い。さあ、時間がないんです。手伝ってもらいますよ」
「…俺に、不正をしろって言うのか」
たとえ夫婦間であっても、原則として政府の管理外の妊娠・出産は重大な違反行為だ。もちろん、危ない抜け道はあるし、思いがけない妊娠だってありうるのだが、政府に発見されたが最後重罪に処されることがほとんどだ。一般人でさえそうなのだから、人口管理局の職員が不正に生命を誕生させていたとなったら、社会全体を揺るがしかねない大スキャンダルだ。
断る、と言い出すより先に、九条は札束の入っているらしい分厚い封筒をどさりとデスクに置いた。
「断ってもらっても僕は一向に構わないんですが、もしそうなったら僕はこの件を藤原さんの仕業だと告発します。藤原さん、予定通り四月に結婚式、挙げたいでしょう?」
九条が持っている数枚のレポート用紙は、でっち上げられた俺の不正な先進研究の証拠書類だった。ご丁寧に、人工子宮の前で考え込む俺の写真(もちろん身に覚えはなく、九条によって巧妙に合成されたものだ)もついている。折しも、九条と俺とはほぼ同時期に先進研究の申請を出しており、所長からの信頼厚い彼がこの書類を所長に出せば、俺は大した弁解もできないままクロ確定となってしまうだろう。なにしろ、この研究所内に身に覚えのない物的証拠まであるのだ。
「あ、念のため言っておきますが、今のラボ内の監視カメラは、午前中の執務の様子をエンドレスに流すように加工させてもらってます」
「な…。そ、そこまで…」
俺が最後の希望と思っていた監視カメラまで掌握されているとは。俺は歯噛みした。
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