同級生

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 あ、深山だ。    ラーメン屋に設置してあるテレビ、天井の隅にぽつんと置かれたブラウン管の中で深山は立っていた。スタンドマイクしかないシンプルなステージの上で、深山はもう一人の知らない男と必死で何かを喋っている。ラーメン屋の中は今日も満員で、水を切る音や食器の音、人々の話し声で阻まれて俺の席まで深山の声が届かない。画面の中の客席の様子もウケているのかいないのか。  ただ、深山のしゃべり方は相変わらずなのだろうと予想が出来た。  一小節ごとになぜか首を傾ける変わった癖。  テレビの深山はずっと首をかしげている。かくり、かくり、かくり。あ、叩かれた。じゃあ深山がボケなのかな。それさえも知らなかった自分に若干驚いてしまった。  深山と俺は高校の同級生だ。二年と三年の時にクラスが一緒だったが、特に交流はなかった。深山はとりたてて書くこともない、ごくごく普通の人間で数年後には深山が芸人をやっているなんて事は誰も予想できなかったと思う。大学に入って一年、成人式の集まりで初めてその事を聞いた。深山は成人式には来ていなかった。他の奴がバラしたのだ。  深山が何をやっているのか暴露したのは、クラスでもお調子者で通っていたサッカー部の男だ。あいつはどんな無茶をしでかしても、許してもらえる雰囲気があった。だからあいつが深山のことを嘲笑の対象として話しても誰も止めなかったし、当然のことのように受け止めた。  深山、大学やめて養成所入ったらしいぜ。養成所? なんの? お笑い芸人ってやつだよ。マジ? あれって訓練してなれるもんなん。てかなんで深山? 深山そんな面白かったっけ? 深山かー。印象にないわー。大学やめたってヤバくない? ほんとヤバい。ヤバいよね。  はてなマークでいっぱいの会話は、当たらず触らず言いたいことを誰も口にしなかった。つまり「お笑い芸人なんて寒いんだよ」ってことだ。あと「お前なんかがなれる訳ないだろ」ってことも。  夢は諦めるものだ。それか、妥協点を見つけるもの。アイドルになりたいといっていたあの子も、野球選手になりたいと言っていたあいつも、みんないつのまにか薬剤師やサラリーマンになっていた。小さい頃は未来がみえないから沢山夢が見られる。無限に広がる可能性、ゼロではない確率の中でいくらでも大きな風呂敷を広げられた。でも段々大人になるに従って、自分たちが夢見ていたのは本当に「夢」だと気づかされる。一握りの才能と積み重ねた努力、それでも掴めない先にあるのが思い描いていた「夢」なのだと。  みんな妥協点を見つけるのだ。スポーツ選手になれなくてもスポーツ関係の会社に就いたり、アイドルじゃなくて読者モデルをやってみたり。夢を見るなんて寒いのだ。夢は、夢見た形では実現しないから。妥協と諦めで作るのが本当の「夢」なのだ。  深山はそれに気がつかなかったのだろうか。大学までやめて、養成所に入るなんてもう後がないじゃないか。人生どぶに捨ててるもんだ。いいのかそれで、いいのか深山。  相変わらず深山は何か喋っている。あぁダメだ、身体が内向きだ。出始めの若手芸人は相方の方を見て話してしまうのだ。慣れてくると段々身体が外を向いて客の方を向けるようになる。深山ダメだ、お前客席の方全然見えてない。それじゃあ客の反応が分からないじゃないか。  ラーメンを口に入れると熱くて少しむせてしまった。テレビに夢中だったせいだ。ごほっ、ごほっと何回か咳き込むと元に戻る。気管に入った麺類ほど厄介な物はない。  そういえば、深山と一度だけ話したことがあった。咳き込んで思い出した。水を口に含むと冷たくてまた咳き込みそうになる。そうだ。高校三年生の時だ。 「神崎くん、それリンゴプラネットのノベルティだよね?」  深山は少し控えめにそう言ってきた。指したのは当時俺が使っていた筆箱で、黒地に赤い線が入っておりそこに『APPLE PLANET!!』と書いてあった。 「そうなの? 家にあったの勝手に持ってきたから知らない」 「あ、そうなんだ。てっきり神崎くんラジオ聞いてるのかと思って」  深山が首をかくりと傾げていた。手が行き所をなくしている。リンゴプラネットは、人気急上昇中のお笑いコンビだ。早回しのコントが有名で、リズミカルな言葉遊びとマシンガントークを売りにしている。毎週土曜一時から深夜で生放送のラジオをしているので、深山はそのことを言っているのだろうと思った。 「ラジオのはがきで、優秀者だけが貰える商品なんだそれ。貴重なものなんだ」 「……深山、AP好きなの?」  その時、深山の顔が輝いたのが分かった。APというのは、リンゴプラネットの略称でファンしか使わない。深山はジャングルの中で初めて人間に会った、みたいな顔をした。やっと言葉が分かる人と出会ったみたいな顔だ。 「うん、好き。ライブも何回か行ったことあるんだ。『ペットボトルキャップ』のネタ知ってる?」 「知ってる」 「あれを生で見れたんだ。嬉しかったな」  深山がはにかむような顔をした。本当に好きな物を話しているときの顔だ。  俺はそれが羨ましいと思った。  深山がお笑いの話しをしていたのを聞いたのは、あれが最後だったように思う。  テレビの中の深山は笑っていた。あの時と同じ顔だ。  なぁ、深山。  本当は俺、ラジオ死ぬほど聞いてたんだ。  全部ウォークマンに録音してさ。APのラジオだけじゃないんだ、その週にやってたラジオなら全部言える。片っ端からはがき送ってた。採用されたのは一握りだったけど、あの時は本気で放送作家になりたかった。ハガキ職人から放送作家ってよくあるパターンだろ。馬鹿だよな、そのパターンで放送作家になった人間の裏に何人なれなかった奴がいるのかって話だよな。  なぁ、深山。お前ってすげーよ。本当に尊敬する。俺は放送作家になるなんて諦めた。お前はあの時から芸人になりたかったんだもんな。本当にすごい。ちゃんとそこに立ってるんだから。スタンドマイク一本と、相方連れて戦ってるんだもんな深山。すごいよ深山。 「お前、あの芸人好きなのか」  顔を上げるとラーメン屋の店主と目が合う。毎日通っているうちにいつの間にか仲良くなったのだ。 「好きっつーか。実は片方が同級生でして」 「へぇすごいじゃないか。面白いのか」 「えっと」  深山が喋る。また叩かれる。喋る。叩かれる。そして傾けられる首。 「面白いかどうかはわかんないすけど、応援はしたい……感じですね」 「そうか。まぁ同級生の中で夢を叶えたやつがいたら、なんか嬉しいもんだよな」  そう言って店主は作業に戻っていった。  深山の夢――芸人になること。今、目の前で叶えられている夢。  単純に、頑張って欲しいと思った。消えるなよと思った。  ずっとずっと夢を叶えた存在であって欲しい、負けないで欲しい。 『僕は芸人になるのが夢でした』  唐突に、高校の時と変わらない声が聞こえる。 『ずっとそれを周りに言えなくて、苦しかった時期もあって。大学やめてまでやる必要があるのかとか、いっぱい考えて』  声が届いている。 『でも芸人になりたかったから、なりました。だから二人でテッペン取るまで絶対にやめません』  深山は、はにかんでいる。目だけが鋭くこちらを向いている。深山は新しい夢を見つけたのだ。噛みつくつもりなのだ。なんだか泣きそうになった。どんどん遠くなっていく。  深山が去って行く。テレビの端に消えていく。あの笑顔を浮かべて、とても身軽に、自由に、自分の目指したい方向へ。  かくり、と首が傾げられていた。  俺はその姿をこれからも時々思い出すんだろうなと思った。 完
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