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紗奈と軽口を叩き合っていた颯太が、ふと部室の壁に近づいた。
「へえ、これが真宙の写真かあ」
燃えるような空、その下で佇む一組の男女のシルエット。男子が自転車を押し、その隣を女子が歩いている。昼と夜の境界、いわゆるマジックアワーに撮影した一枚だ。自分で言うのもなんだけど、けっこう上手く撮れたと思う。高校の帰りにその光景を目にした瞬間、不覚にも心を奪われた。息を呑む美しさだった。夕日も、楽しそうに語らい合う二人の姿も。気がついたら無意識のうちにカメラのシャッターを切っていた。
学生のころにこういう景色を一緒に見られる人を作っておくんだぞ。大人になってからこういう経験をしたいと思っても、もう手遅れだからな。
家族に夕暮れの写真を見せたとき、市役所勤務の父親はそう言って悲しそうな表情を浮かべていた。実感のこもった口調だった。
母親とは職場恋愛だったと聞いている。結婚が視野に入る年齢だ、高校生がするような純粋な恋愛にかまけている暇なんてなかったに違いない。
大人になるということは、それだけなにかを失うということだ。ビールの缶を開けた父親が、そうぼやいていたのをおぼえている。
「俺、この写真めっちゃ好きだわ」
颯太の言葉に、わたしは我に返る。こちらを振り返った彼と視線がぶつかった。
好きだわ。
そのセリフが何度も頭の中でリフレインした。わかっている。彼は写真のことを言っているのだ。わかっていても、胸がドキドキするのを止められなかった。身体が熱い。ふわふわとした気分になる。
「ありがと」
お礼だけ言って、わたしはすうと視線を逸らした。それ以上は見ていられなかった。
颯太の顔を。
そして、紗奈の顔も。
彼女がなにを考えているのか、いまのわたしにはわかっていたから。
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