1 プロポーズ

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1 プロポーズ

 その日は― 「なんで、雨の中やるんだか」  金田 一華はぼそっと呟く。  窓のそばに立ち、外の雨を眺める。  外は梅雨に入り、しとしとと今日も雨が降っている。そんな日の、貴重な日曜日に、「結婚式」を挙げるのだと、従妹の招待でやってきた。 「どうせ、いっちゃん、ドレスじゃないと思った」  そういって用意されていたドレス、貸衣装を着せられ、髪の毛を結われ、化粧を施された。げんなりするので、立食をいいことに窓辺に大人しくいるのだ。  モスグリーンのフェミニンなシフォンドレス。胸を強調したり、腕や肩、足の露出などないのだが、 「ほらぁ、そうすればいっちゃんも美人に見える」  と言われるくらい、困ったくらい化粧映えしてしまい目立ってしまう。花嫁である従妹はそれがおかしくてしようがないらしく、自分が目立たなくても、一華の困った顔を見て喜んでいた。  とはいえ、今日の主役を差し置いて、中央に鎮座する気も、もともとこういう場が苦手なのもあって、そうそうに隅に引っ込んでいた。  一華の叔母で、花嫁の母親が話しかけてきたけれど、彼女もいろいろとあいさつに忙しく、早々に輪の中に戻っていった。  結婚式が終わるころ、今日に限って好都合に迎えに来てくれるのが、助手の小林君だけだったので、小林君に電話をする。  結婚式はホテルで行われたので、一階ロビーには、宿泊客、何かの宴会客などで大いにごった返していた。  そこへ、笑いながら、助手の小林君が近づいてきた。 「先生も、そういうぇ」  というのを、むっとしながら、引き出物の袋を五つ付きだす。 「まったく、今どき皿だそうな。九谷だか、唐津だか、伊万里だかしらんが、叔母さんが好きなものらしい」  とため息交じりに言う。従妹は先月まで一華と同じ静内私立大学で事務をしていた。理事長などは個別に招待されているようだが―挨拶に行く気もないので、遠くから会釈だけしておいた―助手の小林君たちからは、ご祝儀を預かって一華が代表で出席したのだ。 「着替えてくるから、待っといて、」  あくびをかみしめながらそういって振り返ろうとした時、大声でまくしたてながらほぼ小走りの状態の男がぶつかってきた。重心が片方だったのと、ヒールだったのもあって、一華がバランスを崩し、ぶつかってきた男によろけ、倒れ掛かった。 「すみません、」 「何、」  同時にそういい、一華は態勢を整え、少し頭を下げた。  相手の男が携帯電話を落とし、「いえ、……、お怪我はありませんか?」と聞いた。  いつの時代の文句だ? と一華が顔を上げる。  たぶん、相手の男にはそう見えたのだろう―うるんだ目(あくびのため涙目)、謙虚な俯き加減と、目を合わせると背ける目(怪訝そうに上下に見ていただけ)。つややかな唇(いとこに塗りたくられたリップグロス―おかげで料理の味が解らず、ほとんど食べられなかった)。落ち着いた洗練された緑のドレス(一華の趣味ではない)。まさに女神! (知らぬが仏・助手小林君談)。  男は急に片膝をつき、 「俺と結婚しろ」 「はぁ?」  一華は、面倒くさい奴に関わった。と思った。 「俺は市議会議員の息子で、いずれ、その跡を引き継ぐと思う。さらに言えば、金を持っているし、俺ほどの好条件な男はそうはいない」  と言い切った。  助手の小林君の感想として、なんて頭のでかいバランスの悪い男だろう? 足が短いのは何か運動していたのか? と思えるが、ただ単に短いだけのようだ。運動をして居そうな俊敏さや、機敏さを感じない。さらに言えば、金や権力はすべて親のものであって、 「お前いくつだよ? お前の金でも、お前が市議会議員でもないのだろう? その年になって、親の威を借りてるような奴と何で結婚せねばならぬのだ? あほらしい、おとといいきやがれ」  一華はそう捨て台詞を吐くと、エレベーターに向かった。 「な、なんだと? 行きおくれのババアがえり好みしてんじゃねぇぞ」  などの暴言を吐くだけ吐いたが、内容が小学生以下なので助手の小林君でもその場を立ち去るほどだった。  帰りの車で、一華は疲れたと肩をもんでいた。 「さっきのは、ひどかったですね」 「さっき?」 「公開プロポーズですよ」 「……あれを、プロポーズだと呼ぶのかね?」 「そうでしょう?」 「いやぁ、無いわぁ。そりゃぁ、全ての女性の憧れそうなプロポーズを期待してなどいない。そういうものを端折っても構わないとさえ思っている。だけども、あれは無いわ。初対面の相手に、結婚しろ? はないだろう? そのうえで、親の権力だけがやつの自慢だと、そんな奴、親が死んだらどうなるんだろうかね?」 「市議会議員の息子だって言ってましたね」 「あんな息子に育てるような奴が議員じゃぁ、この国も終わりだね」  助手の小林君は苦笑いを浮かべた。  「甲子園の組み合わせ発表」の文字が新聞をにぎわせている。  今日も暑くなりそうだと思われる。蝉がもう鳴き始めている。  時給のいい深夜・早朝バイトからの帰り。  きしむタイヤの音、  救急車の音 パトカーの音 消毒液の匂い 線香の匂い  青天の霹靂  発作 線香の匂い  その年の夏は、とにかく、とにかく、暑かった―。  五年後―。  蝉が激しく鳴き、まるで押さえつけるように泡立ってるように鳴いている。  一華は首筋に流れる汗を首にかけたタオルで拭い、細く息を吐きだす。 「暑い。暑すぎる」  夏休みに入っているが、教師が休めるのも、一般社会人と同じくお盆の時期だけだ。学生の補習や、課外学習、実習、などに付き添わなければならない。  毎年、学生の候補生だけで日本各地の発掘現場で募集がかかっている場所に発掘実習に出向くのだが、その引率を考古学部の先生でじゃんけんで決める。今年、一華は「全敗……」で留守番になった。  今日は、長野方面へ行く班の荷物乗せの日だ。 「何も真昼間にしなくとも、」  一華の小言など誰も聞いていなかった。全員が汗をぼたりぼたり垂らしながら、スコップやら、ざるやら、いろいろと白いワンボックスに詰め込む。これを運転するのが助手の小林君で、あす出発する。そして荷物をおろして、夜中には戻ってくるが、長距離運転後なので明日は休みだ。  一華は手を翳し空を見上げる。雨は降りそうもなく、しばらく暑い日が続くであろうと思われた。  
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