2017年 〔冬の陣/師走鍋〕

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544次元:バルセロナの怪人  最後の鍵をかけた。自室を離れ、剥き出しの階段を下った。車道沿いの小道を10メートルほど進み、横断歩道を渡った。町はまだ闇の底に沈んでいる。この時期、夜明けを迎えるのは電車の中で…ということになる。ラジオを聴きながら、一番近い駅を目指した。  某週刊誌の編集者と番組のパーソナリティが「ここでしか聴けない話」をしていた。本真かいなと、吹き出したくなるような戯画的内容だが、満更デタラメでもないらしい。現実とは戯画以上に戯画的な場合がある。  職場到着。敷地内にあるコンビニに足を進め、パンとコーヒーを買った。休憩広場に行き、空いている椅子に腰をおろした。熱いやつを飲みながら、本を読んだ。池波正太郎の随筆集『旅は青空』(新潮文庫)である。  同書に収録されている「マドリッドとトレド」の中に、我らが死神博士、天本英世が登場し、俺を喜ばせた。天本さんを旅先で目撃(と云うのかな)した池波先生は、その際の様子を次のように描写されている。  ふと向こうを見ると〔略〕天本英世が歩いている。黒のベレーをかぶり、長身を屈めるようにし、革の小さな袋を肩にかけたところは、どう見てもスペイン人だ。〔略〕スペインが大好きだということは耳にしていたが、まさかバルセロナで彼の顔を見ようとはおもわなかった。(106頁)  どうやら「博士の異常な愛情」はこの頃から有名だったらしい。少なくとも、業界内では。天本さんはテレビ版『剣客商売』に殺し屋役(やっぱり!)で出演したことがあるらしい。  池波先生が天本さんのことを記憶されていたのは、おそらく、そのためだろう。容姿と云い、声質と云い、一度見たら(聞いたら)忘れられぬ。役者以外の職業は考えられぬ。天性のアクター、なるべくしてなった人だ。  俺としても、大好きな俳優さんの一人だが、芝居や演技よりも、独特の個性に魅力を覚える。性格俳優風だが、実はそうではないのである。むしろ、ミフネや健さんに近い。決して器用ではないが、存在感がずば抜けている。俺などは、天本さんが画面に現れるだけで嬉しくなってしまう。  帰宅後、屋根裏部屋に行き、腕立て伏せをやった。風呂場に行き、熱めのシャワーを浴びた。体を拭き、服を着た。居室に麦焼酎と氷を持ち込み、オンザロックを作った。呑みながら、キネマ旬報社の『森田芳光の世界』を再読した。〔12月9日〕
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