2018年 〔春の陣/睦月鍋〕

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559次元:茶聖  地元駅下車。改札を抜けて、階段を下り、外に出た。途端に真冬の冷気が襲ってきた。こういう夜は一刻も早く帰りたい。一杯呑(や)りたい。そんな気持ちを反映してか、歩行速度が速くなる。しかし、歩道には歩道に適したスピードというものがある。自分以外に歩いている者が(ほとんど)いないとは云え、傍若無人に歩いていると、とんでもない目に遭う。  途中、コンビニに寄った。弁当と惣菜と氷と炭酸水を買った。店を出て、車道の脇に伸びる道とも呼べぬ細道を進む。暗い中、こんな道を歩いていると、いつか、事故に巻き込まれるかも知れない。酔っ払いが運転する大型車両でも突っ込んできたら、ひとたまりもあるまい。  逃げようにも逃げ場がない。ガラクタみたいに踏み潰されておしまいだ。人生のシャットダウンはそういう形で訪れるかも知れない。  帰宅後、屋根裏部屋に行き、腕立て伏せをやった。風呂場に行き、温水を浴びた。浴びてから、体を拭き、服を着た。居室に行き、晩酌を始めた。今宵の酒は、焼酎の炭酸水割りである。  酎ハイを呑みながら、池波正太郎の『食卓のつぶやき』(朝日文庫)を再読した。同書に収録されている「ナポレオンの食卓」の中で、  そもそも、ナポレオンとか、日本では西郷隆盛などは、いかな俳優でも表現しきれぬところがある。(25頁)  と、池波先生は書き述べられている。アート時代劇の重要キャラクターである千利休にも、この指摘が当て嵌まるのではあるまいか…。先日鑑賞した『花戦さ』では、佐藤浩市が利休に扮していた。  各人各様、色んな利休像があって良いわけだが、この役に説得性を持たせるのはなかなか難しい。佐藤パパの三國連太郎も、映画で利休を演(や)っているが、タイトルロールの筈なのに、むしろ、秀吉(山崎努)の映画になってしまっていた。邦画最高水準の怪優対決は、山崎さんに軍配が上がった。  安土桃山文化は、現在も高い人気を誇っているわけだが、信長、そして、秀吉が果たした役割は極めて大きい。カンブリア爆発を連想させる空前の隆盛は、信長と秀吉の支援と後援があったゆえに具現したのだ。  信長と秀吉が、どこまで芸術を理解していたのか(あるいは、愛していたのか)はわからないが「カンブリアを起爆させた」という実績は、永久評価に値すると思う。両将が単なる戦争屋でなかったことは確かだ。〔1月13日〕
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