面白さを維持した二巻から四巻!シリーズ作品の典型そのままの五巻以降!

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 どうしても最終盤、田所と清一を絡ませたかったのなら田所に、  「黒陵高校のしていたことは分かった。実に許せないことで、それを阻止できなかった私自身、責任を感じている。  ただこの件を追及すると、知らずに利用された人々を傷つけることになる。  向こうが何か言ってこない限り、私も黙っていることにする。  だがお前にも問題はある。もっとスマートな方法で解決できたはずだ」 と言わせるぐらいで済ませればよかったと思います。  田所が清一に対して  「騒ぎを起こした」 と責め立てる自体、全く筋違いだし、清一が本当に古都子を守ろうとするなら、  「古都子は時雨亜湖のために陥れられるところだったんです。先生達は何をしていたんです。  なぜ古都子を守ってくれなかったんです」 と反論することもできたと思います。  清一を責める田所の不可解な態度。  この矛盾。深く考えなくても分かりそうなことですから、作者は本当に執筆の時間がなかったんだと思います。  次の巻第八巻で別の生徒指導の教師が清一に対して、  「お前は文化祭で騒ぎを起こした。両校との関係に傷が入るところだった」 と攻撃し無理難題を吹きかけるシーンがあります。  かなり苦しい展開ですが、ここへ持ってくるためには、  「騒ぎを起こした新宮清一」 というレッテルが必要だったのでしょう。  最後の田所と清一のやりとりは原文を読んでいるとかなり後味が悪く、四巻までのところで清一と古都子の見せた「いわれのない攻撃にたいして徹底的に立ち向かう」という姿勢までが影を潜めている。  少なくともラノベで、主人公に見当違いの攻撃がなされ、悪の張本人が涼しい顔というのはないでしょう。  時雨亜湖の退場の場面も不可解です。  自分の計画が失敗すると、さっさと学校から立ち去って終わりです。後追いはなし。  色々と証拠はそろっているのにお咎めなしなのでしょうか?  後々に再登場させるために、完全に潰すことができなかったのか?  第七巻を読むと、作者のご都合主義で不完全燃焼の部分の出ていることが分かります。  色々な意味でシリーズものとしての弱点が出てきていると思います。  僕の持論です。 松本清張の書く「社会派」ならともかくです。  読者を喜ばす娯楽小説なら、悪は徹底的に公衆の面前で叩きのめされて、奈落の底に突き落とされて大泣きし、正義が完全に勝利すべきだと思います。  それが悪役の宿命です。  あっさり倒されて終わりでは、読んでいて物足りなく思います。  仲間割れで主人公が手を下すことなく倒れたとか、生死不明など論外です。  作者でなく、読者を喜ばせるべきですから・・・  悪役の徹底粉砕。主人公の完全勝利。  この結末が、日本人の感性に一番合っていると思っています。  時代劇とか思い返して下さい。  時代劇ならクライマックス、主人公達を痛めつけた人間が大物から小物まで全員登場。  『水戸黄門』なんかそうですね。  大立ち回りで小物まで、叩きのめされるシーンがわざわざあって、最後は一同、ひとり残らず印籠にひれ伏します。  読者の立場だと徹底的にやって欲しいと思います。  主人公がムカつく態度をとった人間は必ず報いを受ける。  ここにリアリズムは必要ないかと思います。  第七巻を読んで特に考えたことです。      
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