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シリーズ化されたり小説が長くなってくると、多くの作家が、たいてい新キャラを登場させて引っ張ろうとします。
エブでもよくそういった小説を見かけます。
ほとんど伏線もなく突然、登場して主人公にか絡むわけですが、たいてい成功せず、そのまま打ち切りへまっしぐらというパターンが非常に多いのです。
『中古でも恋がしたい』シリーズはその点は成功していますが、八巻以降の迷走は、作者自身、ハッキリした構想を持っていなかったことや新キャラの使い方が拙かったことかと思います。
多くのシリーズ化作品の辿った道を、この作品も踏襲しているのにある種の感慨を覚えます。
作者の構想は多分次のようなものだったと思います。
三影高校に養護教諭として赴任してきた古都子の姉、田中徳子が性産業を激しく嫌悪する人間だったため、エロゲに熱中する清一と古都子の関係に露骨に干渉してくる。
二人の関係のピンチをつくる要因として、徳子を考えていたことは間違いないと思います。
たぶん構想が十分固まっていなかったため、十分活かせなかったようです。
まあ、前提として新任の養護教諭が赴任先の高校で、この小説のように大きな顔ができるのかという疑問は抜きです。突然、妹の通う高校に転任してくるあり得ない展開も・・・
この場合、シリーズ作品の「ご都合主義」の許容範囲だと思っています。
ただし両親の離婚で別居している姉が、妹のすることに一々干渉してくる設定自体、無理があります。
姉にそんな権利はありません。
徳子が清一を古都子の相手としてまだ認めないというのも余計なお世話で、
まだ結婚するかどうかも分からない高校生のカップルに対して、
「清一は古都子をどう導くつもりなのか」
などと大げさな物言いも、あまりにも不自然な感じがします。
突然、クリスマスイブにパーティをすると宣言する桐子同様、作者に都合のよいストーリーのためにつくられた不自然なキャラクターに終ったのは読者として大変残念に思っています。
作者の都合で無理につくられた「危機」というのは、読んでいてやっぱり分かるんですね。
読者は白けてしまい、感情移入することができません。
徳子の言動を生身の人間の言動ととらえることができない。徳子ではなく、作者の姿をここに見るのです。
徳子の理不尽な言動に対する清一と古都子のリアクションも、読者としては不可解です。
ハッキリ言って、シリーズの流れからすれば古都子が、
「姉ちゃんは黙っててくれ!」
と大声で怒鳴れば終わりなわけです。
その方が清一のことを大切に思っていることが読者にも伝わってくる。感動的だと思います。
エロゲを勝手に取り上げること自体、古都子が断固拒否すればよかったのです。
作者の都合でつくられるストーリーの関係上、「理不尽な言動に対して正面から戦わない」物分かりのよい古都子や清一でなければならなかったのです。
八巻以降は、突然、正面切って戦わなくなった古都子や清一のキャラが目立ち、それが作品のパワーダウンを顕著に見せつけています。
それがこの作品の魅力低下を招いたものだと思います。
「現代文」の村上の言動も支離滅裂で、現実社会でこんな幼稚な教師がいるとは思えません。
読んでいると、大変残念だけど、作者の都合で不自然な言動を繰り返すキャラの典型という感じがします。
古都子にぶつかったことに激怒し、清一が古都子に助け舟を出すと、文化祭のことを持ち出して見当違いの攻撃を繰り返し、挙句は期末で九十点取らなければ補習と通告する。
何となく遥か昔の学園漫画やドラマの展開を連想させます。
ドラマなら俳優というフィルターを通じて鑑賞するのでそれほど不自然には感じないけれど、小説だと完全にバカバカしくなってきます。
こうした理不尽な言動に対して正面から戦わない古都子や清一にも、読者としてはがっかりするばかりです。
結局九十点以上の点数を取って村上は沈黙し、徳子もあっさり清一の前から立ち去ります。
読者としては徹底的に徳子や村上の理不尽な言動に対して戦って欲しかった。
・正面からの対立。戦い。
この展開が小説としては間違いなくベストです。
作者はなぜそうしなかったのか?
ストーリーのストックが少なくなっていたことも原因の一つかもしれません。
エブで執筆している皆さんも経験済みだと思いますが、「正面からの対立・戦い」という展開は綿密な構想が必要ですよね。
執筆期間が短かったため、適当なところで幕を引いた印象があります。
八巻は、その後のシリーズを予想させるターニングポイントとなったかと思います。
また六巻、七巻、八巻と清一の一人称が、突然、三人称に変わってしまう場面が少なからずあります。
一人称で執筆していると、どうしても「語り手」の目の届かない部分を描写することが難しくなってきます。
ただしこの小説のように、突然三人称の展開になるのも珍しいかと思います。
たいてい清一以外のキャラクターの内面描写や清一不在の場所での場面で出てくるのですが、残念だけど非常に安易な方法だと思います。
もう少し工夫して書くことも出来たはずなので、やっぱり執筆期間の制約が大きかったのではないかと想像します。
なお三人称で小説が始まり、途中で「この事件に関わったAの手記」といった構成に変わることは別に珍しくありません。
ただしこの小説のように、突然、一人称が数頁だけ三人称に変わり、また一人称に戻るというのもあまりないかと思っています。
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