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長は鍵穴に鍵を差す。
鍵を捻る事も、扉を押す事も無く、黒い扉はゆっくりと後ろに下がり自ら開いた。
長の言った様に、まさに鍵に扉を開く術が掛けられている様だった。
賢は長の後ろから、扉の奥を覗いた。
扉の奥には、さらに深い底知れぬ闇が広がっていた。
——いや、広がってはいない。
どちらかと言えば、まるで黒い扉の裏に、さらに黒い闇の壁がある、そんな感じだった。
あまり入りたく無い雰囲気なのは、皆同様に感じていたが入るしか無い。
水面下が見えない、黒い淀んだ水に潜る様な不安があった。
何か汚れる様な嫌な気がした。生の感じが無い。この闇からは死を感じる。
入口を潜ると、中は扉の大きさに比べ、ずっと広く感じた。
目には見え無いが、直ぐ横に壁のある感じはない。周りを囲まれてる様な、空気による圧迫が無い。無限の空間を感じる。
彩は手を伸ばしてみたが、実際何にも触れる事は無かった。もう少し前に出て壁際に近付けばとも思ったが、一歩出れば闇の中に迷子になってしまうような恐怖があって、それは出来なかった。
彩がこの時、頭に浮かべたイメージは、宇宙だった。
見上げれば、この闇の中に銀河が見えそうだと思った。
再び長を先頭に、皆で奥へ進む。
懐中電灯の明かりが、まるで発光した所から闇に吸い込まれる様に、先まで照らされず何も見えない。持ってるだけで意を成さない。
だが長は今まで通り、見えなくとも見えている様だった。歩みに迷いが一切無い。気を抜けば、置いて行かれそうだ。まるで見えない糸でも伝っているかの様だった。
長を先頭に皆、お互いの服の端を摘み、逸れない様にして進む。
碧杜女子高生のメンバーは自然に、まとまり寄り添い合う。
まさに闇を泳ぐ様な状態だった。
闇は深いが、ふと気付くと、今まで通って来たトンネルの、洞窟の様な湿ったジメジメした感じはなく、なんだかとても無機質な空間を歩いている気がした。
やはり、賢はそこでも死を感じた。
そこでイメージしたのは、彩と同じ宇宙であった。
確かにさっきまでの、トンネルも無機質な人工物であるが、長年自然の中にある事で、劣化し自然の中に埋没し始めていた。崩れ、苔が生え、虫や小動物も住む。ほぼ自然に在る洞窟と変わらない状態と言える。もう数年、数十年経てば本当に洞窟と同じになるだろう。
なんとも表現し辛いが、今いる通路はほとんどの物質が逃れられない劣化感の様なものを肌で感じなかった。
室温の様な物も感じない。温かくも、冷たくも無い。無温だ。建物の中に入ると感じる室温は、言わば建物の体温。生きてても死んでても、体温は一応はある。人が住み生きている家は温かい。誰も住まなくなると家は冷たい。感覚的な物かも知れないが、確かにそういう物を人は感じる。
——そういう物が一切無かった。
まるで、今作られたばかりの様な、それでいて永遠に存在して来た様な変な感じがした——。
「決して、放すでないぞ! この中で、決して逸れるでないぞ!!」
長は一際声を張り、気を付けろと言う。
その声は、今までに聞いたどんな長の声よりも、厳しく賢には聞こえた。
思わず、襟首を糸で吊られた様に、背筋がピンとなる。
それ程、ここ中は危険なのだろう。
それは、例えるなら、光の無い未知の水中洞窟を進む様な物だ。
長は言わないが、この中を進むのは、常に死の危険と隣り合わせなのだろう。
それを裏付けるように、今まで通り先をすいすい行ってるように感じるが、長は着物の袖を掴む賢の歩みに、歩速を合わせている。
暫く慎重に歩み進め、前方に小さな光が見え始めた時に、なんだか空気が変わった気がした。空気だけじゃない。
急に足元に弾力を覚えて、土の感じがした。
空気に温かみや匂いを感じた。土と草の匂いがする。生が再び芽吹く気持ちがした。
周りも見えこそしないが、多分洞窟の様なありきたりの岩盤だろう。
正面から入る光で、薄っすらと前方の側面のゴツゴツしたシルエットが見える。
やがて、人工物のように感じていた通路から、洞窟に完全に変わったのを実感する。
その洞窟を抜けると、平らな草原へ出た。
眩しさに目が慣れると、草原の少し先には、森が見えた。
振り返るとすぐ後ろは、今いる草原から、地下に斜めに伸びる洞窟の様になっていた。ぽっかり地中に向け、穴が空いている。
それが、今自分達が出て来たトンネルだった。
「——此処は!?」
島田は訊く。
「山の頂上じゃ」
という長の発言に、金井は血相を変える。
「いや!? 待って下さい。この山の頂上にこんな場所は——!!? 数十年前ですが、前の事件の時に山狩りに入って、頂上を超えて反対側にも出ている。こんな場所が存在できる広さは無い。何年経とうが、こんな場所が出来るなんて事はないっ!!?」
山には詳しい筈の金井だからこそ、一番驚いていた。
限られた広さしかない山の頂上に、新たに広大な土地が生まれるなんて事は、絶対にないのだ。
長は金井に伝える。
「それは、人の行く頂上じゃ。山の頂上は昔から、天界と同じと言われる。人ならざる者が住む。それは神だったり、化物だったり——。その両方だったり。別の世界が在る」
「——異次元。」
島田の口を突いて、自然とそう言葉が出る。
「これは想像に過ぎんが、あのトンネルを掘った時に、今は行く事が出来なくなった、もう一つの頂上へと続く、トンネルを掘り当てたんじゃろ? 紙一重で表面的にはただの岩盤に見えても、その直ぐ裏まで異界の入り口が迫っているなんて事は、珍しくない。物理的な繋がりは無いからな。ある一線を越えるまでは、別別の世界なのじゃから——。人にとってはただの壁でも、力のあるモノはそれくらいなら平気で越えて来てしまう。その穴を先代が見つけて、閉じたのじゃろう。閉じこめられたモノは長い時間を掛けて、そこから解き放たれる方法を編み出した。もしくは見つけた。」
「異界か……。死ぬほど興味はありますが、今はその事についてゆっくり考えてる暇は無さそうですね。さて、思ったより広いどころの広さでは無いですが、どうやって化物を見つけますか? 今、気配はどんなですか?」
「居るのは確かだが、多分こちらの気配を伺っている。一定の距離を取ってる。今までがワシらをおびき出す為なら、じきに気配その物を消すじゃろう。獲物を襲う時に、気配を殺すのは狩をする獣の鉄則じゃ。そして、奴らの狩は基本、奇襲——」
「奇襲は困りますね?」
「なぁに、そういうのは人間の方が得意じゃろ? 相手が山の神なら、こっちにも良い餌がある。罠を張る」
長には何か策があるようだ。
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