森の賢者

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——まず、先に見える森まで移動した。 草原の中では、身を隠す事すらままならない。 罠を張るには、当然身を隠さねばならない。 500mも大人の膝程の草の中を歩けば森へ着くだろう。 だが、その間に襲われる可能性はある。 慎重に進まねばならない。どこからでも此処は丸見えだ。 いつでも向かい打てる体制を取る。 森に着くと、木々に囲まれた、直径10m程の拓けた空間を見つける。 背後は3、4階建のビルほどの崖。15〜20m程はあるだろうか?  崖から大昔に崩れ落ちたであろう、大小の岩も崖下に転がっている。 中には身の丈をはるかに越える小屋程の物もあった。身を隠すにしても、周りの岩や木を足場にして登り、その上から見張るにしても、それはちょうど良かった。 背後はそびえ立つ崖であるから、前面の森の中にだけに集中すれば良い。 罠を張るには申し分ない場所だ。 「さぁて、賢くんとキュン君には、重大な役目をお願いしたい」 長は手揉みしながら、さも改まってそう言うと、奇想天外な罠を発案し話した。 拓けた土地の中心に賢とキュンを立たせた。 彼らは餌である。実は長はこういう戦法も考えて、2人の同行を認めたのだった。 皆は2人の背後の大きな岩の上に登り、前方から来るであろう化物を見張る。 「絶対に見るなよっ!」 「私は一向にかまわんっ!!」 賢とキュンは叫ぶ。 賢とキュンは股間を丸出しにして立たされていた。 「出てきたら、俺らどうすんですかっ!?」 「安心せい。お前らに近付く前にワシが仕留める」 「彩、カメラあったでしょ? 前に回って記念に撮っておきなよ?」 紗江子のそういう声が、賢とキュンの後ろから聞こえる。 「やだよ! Z–UP80が(けが)れる。お前のスマホで撮れば良い」 「そうね。そして、ネットで拡散してやれば良いわね?」 「やめろッ! 絶対に辞めろッ!! なんの恨みはあるんだッ!!」 賢は背後に向かい叫ぶ。 「恨み? やあね、ただの戯れよ」 「拡散は困るけど、撮るだけなら!! いいよっ!!」 「本当にキュンは、本物なのね……。恐ろしい子っ!?」 「お前ら静かにせいっ!! 喋っとったら、罠にならんだろっ!!」 「あれ、あんなの意味あるんですか?」 なんとも言えぬ困った顔で由美子が訊く。 「山の神は、さっきも言ったように女神だ。それも醜女。だから、昔からああやってマタギは山の神の機嫌を取ったりしておった」 金井が細くする様に言う。 「確かに、山で物を無くしてどうしても見つからない時なんかは、山の神に悪戯されたとして、股間を晒す事で見つかったりします。やはりそれは、そうする事で山の神のご機嫌を取る為。また地域によっては、若いマタギ達が初めての狩に参加した夜に、山小屋で山の神に勃起した股間を晒して力の限り振って見せる様な儀式もある。山の神は女神で醜女。若い男を好む。逆に女は嫌うから、昔は女人禁制の山は多かった」 「マタギってやばいわね? 今なら、セクハラパワハラモラハラよ?」 紗江子は呆れた様に言う。 「文化というのは、時に現代の常識と沿わない部分があるからね。でもそれは、それなりに意味がある行為の場合もある。なんでも現代の常識に当てはめて、否定しちゃいけないよ」 島田はそれっぽい事を言った。 それから暫く、じっと黙って森の奥を皆で見つめた——。 「ダメじゃな」 長は言った。 「ダメなんですかっ!!」 下半身丸出しのまま賢は叫ぶ。 「仕方ない。勃起させて振ってみるか?」 「はっ!? ボッキ!!?」 彩は思わず声に出す。 「年頃の娘がなんじゃ? はしたないのぉ」 「そこまでは嫌だぁーッ!!」 「私は一向にかまわんっ!!」 「キュン、お前1人でやれよ!!」 「僕らの活躍がみんなを救うんだよ? 賢が言ったんじゃないか? サポートするって。これも戦いだよ?」 「違うっ! お前は趣味だ!! ただ、やりたいだけだろ!! こんな戦いヤダッ!!」 賢は珍しく駄々をこねた。 「そんな事ないよ?」 キュンは珍しく冷静だった。 「そんな事ある!!」 「——お前ら黙れッ!!」 「でも、長ッ!!」 「違うッ!!? ——近付いて来とる!! 近いぞッ!! 静かにしとれ!!」 「えっ!? 」 ………………………………………………………ッ!? 緩み掛けていた空気が一気にピンと張り詰める。 皆の神経は前面の森に集中するが——。 「——違うッ!? やられたッ!!」 長がしまったという顔で言った。 「えっ!?」 彩が長の顔を見て言ったその時、 辺りが一瞬暗くなる!? 皆が上を見上げた時には、青い空だけが見えた。 長だけが、皆より早く頭上を見ていた。 もう長の視線は、前方の賢とキュンを見ている。 「もう下じゃ!!」 ———————————————————ズドォンッ!! 物凄い轟音と共に、皆が乗っている岩が大きく揺れた。 賢とキュンの前に、はるかに見上げる巨大な物体が降り立つ……。 そして、餌を値踏みするように、それは2人にゆっくりと顔を寄せた。 長はしまったと後悔する。 背後から来る事に、もう少し早く気付いていれば打つ手はあったが、一歩出遅れた。 化物が呼吸する度に、肺を通り、熱風のようになった熱い息が賢とキュンを襲う。 濃い獣臭が辺りに立ち込める。 とうとう学校を恐怖に陥れ続けた元凶が、皆の前に姿を表した。 毛むくじゃらの身体、顔と手足の指以外は全て毛に覆われている。 黒いガラス玉のような目が、つるりと光を受けて輝く。良く見れば、眼球を動かす度に、その周りにはちゃんと白目があった。 震える様に唇を上に歪ませるたびに、ナイフのような巨大な牙が見える。デカイ顎だ。人の肉を喰い千切り、切り裂くくらいなら、造作もない事だろう。 2人とも丸出しの股間から、今にも小便をほとばしらせそうだった。 その黒い顔の下には、確かに雌である事を表す乳房が2つあった。 しゃがみ込むようにして、その化物は2人をじっと覗き込んでいた。 大きさは、優に4mは超えている。5mに達するかもしれない。羆の比じゃない。完全な化物だ。 世界一背の高い哺乳キリンの雄の成獣より少し小さい程度だ。現在、世界一大きい霊長類ゴリラは2m程度なので倍以上ある。 想像をはるかに超える巨大さに、皆言葉を失った。 こんな奴に勝てるのか……。皆、そう思わずにはいられなかった。 「左足が無い……。コイツだ」 忠野は呟く。 鑑識の艦艇の中で、左足の欠損が上げられていた。 この化物も、左足がくるぶしから下がない。 そんな中で、 「凄いっ!? やっぱり、ギガントピテクスは居たんだっ!!」 島田だけが隠れる事を忘れて、両手を振り上げ立ち上がった。 学者の性とでも言うのか、その声は喜びに満ち溢れていた。 「阿呆っ! そんなもんじゃない! ——あれは、猩々(しょうじょう)じゃ!!しかも、バカデカイなっ!!」 長は声を挙げた。 「え? 猩々?」 「そうじゃ! じゃぁがっ、今は化物の正体などどうでもよいっ! ……それよりッ!?」 賢とキュンは大ピンチである。 掴み掛かろうが嚙みつこうが、もうどうとでもしてくれ状態だ。 まさか背後の20m程もありそうな切り立った断崖から、飛び降りて来るとは誰も思わなかった。そんな高さから飛び降りて、重い身体を支えられる足腰を持つ動物なんて皆無だ。羽でもなきゃそんな事はできない。 途中までは断崖を気付かれない様に伝い降りて来て、途中から飛び降りたのかもしれない。どちらにせよ、とんでもない運動能力であるには変わりない。 罠を張ったつもりが、逆に奇襲をかけられたのだ。 長はさすがに、どうすべきか頭を抱えた。 「何だよこれ!! 俺達意味あったのかっ!?」 「声を出すなキュン! 刺激すんなよっ!!」 長は眼前の化物からは目を離さずに、気付かれぬ様に意識だけを背後に向ける。 2人を助けたら、次にこれからどう戦うかを考える。 ——背後には切り立った崖、何処からでも見える岩の上の自分達。 どこから来ても向かい打てる筈が、自分達が逃げ道を潰されただけであった。 どうすべきか? うーん。 ——これ以上、今は考えても仕方ない。 さて先ずは、2人を助けねば。 だが、動いた瞬間、それは戦闘開始の合図になる。 そうなると最初に犠牲になるのは、助けようとしている賢とキュンだ。 どうするかッ!? 長が苦悩していると 「——逃げろッ! 2人共!!」 ずっと黙っていた金井が、すかさずライフルを構えて化物めがけてパンッ! と銃弾を放った。
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