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俺の母が突然亡くなった。
その電話があったのは仕事から帰る途中の電車の中でだった。滅多にかかってこない兄からの電話でそれを知った。
俺には家族が俺を含めて5人いる。父、母、兄、姉、そして俺だ。その中でも俺の父親というのはいわゆる昔気質な人で、簡単にいうと亭主関白な人だった。常に自分が正しく、何をするにも自分が最優先だった。ある歌手が歌っている亭主関白な旦那をそのまんま現したような人間が俺の父親だった。だからその妻である俺の母は気苦労が多い人だった。
そんな父親を見ていたからか、俺たち兄弟はとにかく父親が苦手だった。けれどそんなことを口にしようものなら父親ではなく、母に怒られた。曰く、「お父さんはアンタたちのために頑張ってくれてるんだから感謝こそはしても、そんなことを言うもんじゃない」と。
確かに父は仕事で働いていたかもしれない。でも母は朝から晩まで家族のために働いていた。そんな姿を見ていたから俺たちはどうしても母のその言葉をどこか素直に受け入れられなかった。
高校を卒業する頃、俺たちはすぐさまこの家を出た。少しでも母の負担になりたくないという思いからだったが、きっと実際のところは父から逃げたかっただけなのかもしれない。もちろん父と二人っきりになる母のことは心配だった。しかし母は「大きくなったらさっさとこの家から出て行きなさい」といつも俺たちに言い聞かせるように話していた。もちろん家を出て自立してからちょくちょく時間を見つけては家に帰っていた。それは父親に会いたいからではなく、母が心配だったからだ。
そんな母が亡くなった。
翌日、休みをとって実家に戻るとすでに兄と姉がいた。二人とも俺と同じように疲れた顔をしていた。
実家の居間では父親が座っていた。しかしその姿は昔見た父の姿ではなく、すっかり柔らかくなった好々爺然としたものだった。
ここ数年、俺の父はこんな感じだった。定年を迎えしばらくして父は変わった。以前なら仕事第一で家族のことは後回しだったのが、肩の荷が降りたのか、それともやることがなかったからなのか今までは手伝おうともしなかった家事に励むようになった。俺たちはなにを今更と憤慨していたけど、母は「私が先に死んだらあの人は一人になってしまう。だったら一人でも生きていけるようになってくれるならそれでいい」と笑っていた。
幼い頃はずっと険しい顔をしていた父が今では物腰の柔らかい老人になっている。そのことに違和感を感じていたが、母がそれでいいと言うなら俺たちが四の五のいうことじゃないと結論づけた。でもそのことがきっかけだったのか、俺たちが父親に対して抱いていた苦手意識は次第に薄れていった気がした。
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